THE TED TIMES 2024-19「濱口竜介」 5/10 編集長 大沢達男
映画『悪は存在しない』は、濱口監督の最高傑作ですが、最後の10分が・・・。
1、濱口竜介
映画『悪は存在しない』(濱口竜介監督)を観ながら、これは濱口監督の最高傑作になる、と思っていました。
濱口は『寝ても覚めても』で商業映画にデビュー、そのとき脚本・編集はいいけれどカメラ・音楽・MAはどうかな、という印象を持ちました。
そして濱口は、『ドライブ・マイ・カー』で世界的な評価を、獲得するようになります。
でも、濱口作品はなんとなく馴染めませんでした、苦手なんです。
しかし今回は、カメラ・音楽・MAよし。ウム、ウム、ウム・・・とうなづきながら観ていました。
映画の話は簡単です。
信州の自然の豊かなある町に、レジャー宿泊施設の開発の話が持ち込まれ、それをめぐる住民と企業のひと騒動です。
まず映画が映し出す風景がいい。八ヶ岳のふもとの富士見町(映画では架空の「水挽町」)、リゾートです。
そこに住む父と娘がいます。
映画は延々と樹々を写します。緑です。森です。
そして水の流れ。そのまま飲める雪解け水が流れています。
もちろんそこに住む者にとっては、生活用水。ポリタンクでその水を運ぶ仕事は重労働です。
さらに薪を割る力仕事もあります。
深呼吸したくなるような映像が続きます。
映像の世界はまるで違いますが、濱口ではなく溝口(健二)の映画ような、長いカットが連続します。
音楽もいい。
そして圧巻は住民への開発企業からの事業説明集会です。
開発企業から派遣された男女社員ふたりによるプレゼンテーション、質疑応答、ディベート・・・緊迫した人間の戦いのシーンが展開されます。
「金儲けのために、住民のことなんか、何も考えていないんじゃないか」
「宿泊施設の建設予定地は、鹿の通り道です」
「夜間に管理人がいなくなれば、宿泊客はなにをするかわかったものではありません」
「上流に住むものは、下流の生活に配慮しなくてはならない」
住民は宿泊施設建設に反対、ないしは設計変更を要求します。
事業説明のプレゼンをした二人は東京に帰り、社長に住民の状況を説明します。
しかしコロナの補助金目当ての事業は時間との戦い、住民の同意しかない、と社長はプレゼンの二人に、再度の住民説得の命令を出します。
ふたたび現地へ説得に向かう男女社員の二人の心は、社命とは反対に、住民と自然保護への共感へと傾いていきます。
面白くなってきた、どんな結末をつけるのんだろう。
しかし映画が始まってから1時間以上を過ぎている、時間がありません。
そして映画は、訳のわからない「エンディングの10分」になり、濱口監督の最高傑作にはなりませんでした。
「エンディングの10分」とは別に気になったところがあります。
一つは喫煙です。豊かに自然に住む主人公がタバコを吸い、吸い殻を所構わず捨てることです。
プレゼンの男性もタバコを吸い捨てます。
そしてタバコは開発反対の主人公と開発プレゼン男のコミュニケーション、共感の道具として使われます。
許せないカットです。それとも監督が仕掛けたワナでしょうか。
もう一つは、見事な姿の富士山の登場です。
残念ながら「富士見」町からあのサイズの富士を見ることはできません。
葛飾北斎の富嶽三十六景に「信州諏訪湖」があり、富嶽百景に「信州八ヶ岳の不二」があります。その富士は小さくかなたにそびえているだけです。
「水挽町」という架空の町だからといっても、諏訪ナンバーの車が出てきてしまっては、リクツなりません。
これも納得できないカットです。
2、『ヨーロッパ新世紀』
『悪は存在しない』によく似た映画があります。
『ヨーロッパ新世紀』(クリスティン・ムンジウ監督 ルーマニア・フランス・ベルギー合作 2022年)です。
舞台は、ルーマニアのある村の住民集会。村のパン工場に働きにやってきたスリランカ人3人を巡って、喧々諤々(けんけんがくがく)のディベートが行われています。
「いまはたったの3人だが、やがて仲間も、家族もやってきて、この村は占領されてしまう」、
「彼らが触ったパンを食べろというのか」、
「私たちと、彼らが持っている免疫は、違う。野生動物からのウィルスが人間に感染して新しい病気が流行るように、彼らが新しい感染症を持ち込む可能性がある」
スリランカ人を雇用しているパン工場の女性オーナーは、
「法律に則って雇用しています」、「彼らを隣の村に移住させ、通わせます」、「手袋をして作業をさせます」・・・。
などと弁明しますが、村人は聞き入れません。
映画の主人公は、マティアスと恋人のシーラです。
マティアスは出稼ぎのドイツの職場で「ジプシー!」と罵倒され反抗し、村に帰ってきたばかりのダメ男です。
恋人のシーラは、パン工場の女性オーナーを支える有能なビジネス・パースンです。
マティアスは雪と水との付き合い方、野獣からの回避を知っている自然派。シーラはチェロを演奏し、スリランカ人の労働に理解を示す教養あるリベラル派です。
住民集会では圧倒的多数でスリランカ人追放が決議されます。まあちょっと趣旨は違いますが、建設説明会では宿泊施設建設反対の空気と似ています。
問題は『ヨーロッパ新世紀』のエンディングです。
仕事で有能、音楽を愛し、性で奔放。リベラリズムの象徴のようなシーラが、ダメ男の自然派マティウスに「ごめんなさい」と謝罪し、闇の中へ動物の住む荒野に消えて行きます。
つまり映画は、保守的な自然派、進歩的なリベラル派、どちらかに味方しているのではありません。
『ヨーロッパ新世紀』のエンディングを補助線にして考えると、『悪は存在しない』も、自然派あるいは開発支持派、どちらかを支持している映画ではないことがわかります。
『悪は存在しない』のエンディングを、ネタバレにならないように紹介します。
なぜプレゼンをした開発派男は、主人公の自然派男に暴力的に取り押さえられてしまうのか。開発派は悪なのか。
そして自然派男の娘は死んだのか。無事なのか。娘を襲った鹿が悪なのか。
それとも悪は存在しないのか。
3、『悪は存在しない』
映画とは別に変なことを知ってしまいました。濱口監督の父が建設官僚であったという嘘のような本当の話です。
それで『悪は存在しない』から、静岡県知事川勝平太を思い出してしまいした(まったく濱口の父とは関係ありません)。
環境保護、大井川の水量を守るためにリニア中央新幹線の工事を止め、JRに2027年開業を断念させた人です。
環境保護の正義は、時として生活破壊の正義になります。
かつて東京都知事の美濃部亮吉(都知事在任 1967~79)は「青空バッジ」(東京に青空を)の環境保護のもとに首都高速の工事を大幅に遅らせました。
その結果、いまだに首都高2号線は第3京浜につながっておらず、高井戸に料金所がありません。さらには成田空港への高速アクセスを大幅に遅らせました。
環境保護が、渋滞と公害のもとになり、生活を破壊しました。これは忘れてはならないことです。
リニア問題も同じです。開業延期がどれだけの人の生活を破壊しているかするか。想像もつきません。そしてリニアは中国と競争する日本の技術力の問題でもあり、開通延期は国益損失になっています。
さらに驚くべきはリニア技術は軍事技術であることです。中国人民解放軍が欲しがる「電磁式カタパルト」、航空母艦から固定翼機を発射するシステムです(「川勝平太 歴史に残る汚名」佐々木類 『WiLL』6月号)。
話が横道に外れすぎました。本題に戻ります。
環境保護か、宿泊施設建設か。スリランカ人受け入れか、スリランカ人追い出しか。青空バッジ(東京に青空を)か、首都高速道路か。環境保護か、リニア中央新幹線か。
どちらが正しいか。
これは映画の問題ではありません。
映画はそれぞれの主張をする人間を問題にし人間をデッサンし映像にします。
その結果今回の映画では、開発派にも自然派にも『悪は存在しない』、という結論に至りました。
映画『悪は存在しない』は、代表作寸前のいい出来でしたが、映画の題名は、抽象的過ぎて、いただけませんね。