遅くなりました。今年から社会に出たみなさん、就職おめでとう。

THE TED TIMES 2024-21「就職おめでとう」 5/24 編集長 大沢達男

 

遅くなりました。今年から社会に出たみなさん、就職おめでとう。

 

むかし、「諸君、学校出たら勉強しよう。日本経済新聞」、という広告がありました。その通りです。

学校を出てからの勉強の第一は、日本経済新聞を読むことです。いわゆる朝日、毎日、読売の三大紙とは別に、日経(日本経済新聞)を読むことです。

駅の売店を見れば分かるように、朝一番売れているのは日経です。職場の同僚も取引先のお客さんも、仕事をしている人はみんな日経を読んでいます。

日経のどこを読むか。まず、「私の履歴書」。先輩たちがどう仕事をしてきたか、自らはどう道を選ぶべきか、を学ぶことができます。つぎに「経済教室」(時々でもいい)。自らの仕事を日本経済の中に、日本の歴史の過去から未来の中に、位置付けることができます。そして英国の経済紙「フィナンシャル・タイムス」からのコラム(これも気が向いたら)、日本の世界での位置を知ることができます。

 

学校を出てからの勉強の第二は、国際的なビジネスパースンになるためのMBA経営学修士)の学習です。

私たち日本人は、島国で、単一民族、単一文化、単一言語で育ってきました。

コミュケーション、ネゴシエーション(交渉)、プレゼンテーション(発表・提案)、ビジネスの国際言語を知りません。話し方、聞き方、書き方の国際ルールを学ぶことです。

会社に留学制度があるなら、留学が早道。留学ができないなら、留学経験のある先輩に教わることです。もちろん、自学自習の道もあります。MBA関連の参考書はたくさんあります(この勉強は必須)。

 

学校を出てからの勉強の第三は、日本人と日本を学ぶことです。

上記の二つは技術的ですが、日本を学ぶことはいちばん重要な勉強です。私たちは西欧流の日本国憲法のもとにリベラリズムの教育を受けてきましたが、自己変革で新たな日本人として人格を形成する必要があります。

まず日本語を学ぶことです。日本語は、古事記日本書紀万葉集、そして勅撰和歌集から成り立っています。古典に親しんでください(和歌か俳句を作ること)。

つぎに日本を学ぶことです。日本には皇室があり、9万に近い神社、8万に近い寺があり(コンビニは全国でたったの5.7万店)、冠婚葬祭、四季の行事、祭りで、私たちの日常生活を支えています。神社仏閣の前で謙虚に祈ることです。

そして、日本人の思想(精神)を学ぶことです。

「和を以て尊しなす」、「山川草木悉皆成仏」、「一視同仁」、「三方よし」などの日本の歴史と伝統の考え方が、日本企業の理念を形成しています。

世界に類のない創立200年以上に長寿企業が日本にあるのは、日本精神による経営の成果です。

 

現在、日本人と日本という国は消滅に向かっています。日本人として日本人の考え方に目覚める必要があります。

西欧の人権、自由、平等のリベラリズムの思想は、侵略、奴隷、支配の思想に過ぎません。その証拠に、英米仏の国歌は、戦いの歌です。

世界に出て仕事をしていて一番恥ずかしいのは、祖国を誇り、日本の魅力を語れない人です。

誤解がないように言っておきます。日本人が優れていると主張しているのではなく、西欧人のマネをするなと言っているのです。

以上、「日経」、「MBA」、「日本」、学校を出てからの三つの勉強法をご紹介しました。

最後にアドバイスをひとつ。初任給(ボーナス)を何に使うかです。

初任給(初ボーナス)をもらったらその日に、いままで一番お世話になった人に、手土産をもって挨拶に行ってください。

今日おかげさまで、初めて給料(ボーナス)を、いただくことができました。お礼の挨拶のために、お邪魔したました。お忙しいところお許しください。今後ともよろしくご指導ください。

 

 

個人的なイタリアの思い出と重なる、映画『エドガルド・モルターラ』。

THE TED TIMES 2024-20「エドガルド・モルターラ」 5/17 編集長 大沢達男

 

個人的なイタリアの思い出と重なる、映画『エドガルド・モルターラ』。

 

1、ファエンツァ

アイルトン・セナの時代でしたから、1990年頃の話です。

F1ミナルディティームの一員として、飛行機でドイツのフランクフルトからイタリアのボローニャへ移動し、クルマで小都市のファエンツァまで移動したことがあります。

飛行機はフェラーリランボルギーニミナルディのイタリア・ティームのチャーター便です。

なんでCMクリエーターの私がそんな光栄に浴したのか、当時ミナルディの日本人のスタッフの粋(いき)な計らいです。今となっては感謝しかありません。

今では「ミナルディ」を知っている人はいませんが、レッドブルティームに引き継がれている、と聞けばうなづけると思います。

ミナルディの本拠地だったファエンツァの城壁で囲まれたような広場のレストランで、ゆったりと過ごしたことがあります。

ビールと白ワインを飲んで、隣の席に座っていたイタリアのご婦人と、親しく話し込んでしまいました。

前夜、ミナルディのオーナー、ジャンカルロ・ミナルディと食事をしたとき、ジャンカルロはピザをナイフで端っこから切って食べていました。

そしてレストランの客はスパゲッティを食べるときにフォークひとつで食べていました。

私は見逃しませんでした。イタリアではピザに「タバスコ」なんてかけません。

翌日のその日の私はすっかりイタリア通になったつもりでいました。

イタリア語ができないのに、イタリアのご婦人と話し込む、それも2~3時間、不思議な時間でした。

ご婦人の笑顔を30年以上たったいまでも覚えています。

ファエンツァの歴史的なたたずまい、そして早春の陽の光が心地よかったのです。

 

2、『エドガルド・モルターラ』

映画『エドガルド・モルターラ』は、ファエンツァからちょっと離れた、ボローニャを舞台にした話です。

ユダヤ人の子供が教皇の力によって誘拐され、キリスト教徒として育てられ、立派に牧師になっていくという話です。

映画の原題は『Rapito』で、「誘拐された」、「暴力を振る舞われた」、「レイプされた」という意味です。

当時19世紀のイタリアは、教皇が支配するところとサルディーニャ王国に分かれいて、イタリアという国はありませんでした。

1858年、エドガルドの誘拐事件が起きたボローニャローマ教皇教皇国家に属していました。でもその後サルディーニャ王国に併合されます。

1861年イタリア王国が成立。

1870年に教皇国家は消滅。その後教皇はイタリア政府と対立しますが、1929年にヴァチカン市国が成立し、現在に至っています。

16世紀以降イタリアには3万人から6万人、現在は3万人のユダヤ人がいます。ユダヤ人は人口の0.1%ですが、学術、芸術分野では大きな影響力を持っています。

映画『エドガルド・モルターラ』のテーマは、ユダヤ教キリスト教教皇サルディーニャ、わかりにくことばかりです。

 

3、マルコ・ベロッキオ

なぜ映画「エドガルド・モルターラ』を観たのか。日経紙上で尊敬する中条省平が絶賛したからです。

「画面の奥行きを変える空間設計、カメラの柔軟な動き、街並み、建物、インテリアのため息が出るほどの魅力的なたたずまい、抑えた色彩で陰翳を強調する画面設計など、これほど充実した映画美学を味あわせてくれる監督は世界にまれだ」(中条省平 ちゅうじょうしょうへい、日経4/26夕刊)。

中条は映画『エドガルド・モルターラ』を、特異な歴史と宗教問題の映画としながらも、マルコ・ベロッキオ監督のその映像美を絶賛しました。

まったく同感です。

加えて言えば、俳優の演劇的な芝居が酔わせる、編集のテンポがいい、さらに圧倒的な音楽もあります。

映画「エドガルド・モルターラ』は、特上の映画の教科書です。映画を「観た」と言える、満足感があります。

マルコ・ベロッキオ(1939~)は、『ソドムの市』のピエル・パウロパゾリーニ(1922~1975)の弟子で、『ラストエンペラー』の『ベルナルド・ベルトリッチ(1941~2018)の同僚です。

レオナルド、ミケランジェロ、ラ・ファエロのイタリア美術の伝統がある、イタリア映画は独特です。

表現の重さが違います。

 

4、シニョーラ(signora)

ファエンツァは陶芸・陶工の街です。いまでも当時買った小皿を持っています。

かつてファエンツァは、ヴェネツィア共和国、その後教皇領でした。

私が城壁で囲まれた広場(PIAZZA)のレストランで出会ったご婦人は、ユダヤ人だったのでしょうか。

ひょっとすると、私が広場だと思っていたのは、ユダヤ人のゲットーの中だったのでしょうか。

それともご婦人は引退した陶工だったのでしょうか。

何も話せず、2~3時間も見つめ合っていたのは、クリエーターとして波長があったからでしょうか。

ご婦人はクラウディア・カルディナーレ(1938~)やソフィア・ローレン(1934~)に似た、バーンバーンバーンとした、イタリア女性ではありませんでした。

映画『グラン・ブルー』(リュック・ベッソン監督)で、ジャック・マイヨールの間食を叱る怖いママのような、普通の人でした。

そして今、ファエンツァのご婦人(signora)の笑顔が、映画「エドガルド・モルターラ』の登場人物の一人になって、思い出されます。

映画は不思議な時間旅行に連れて行ってくれます。

 

End

映画『悪は存在しない』は、濱口監督の最高傑作ですが、最後の10分が・・・。

THE TED TIMES 2024-19「濱口竜介」 5/10 編集長 大沢達男

 

映画『悪は存在しない』は、濱口監督の最高傑作ですが、最後の10分が・・・。

 

1、濱口竜介

映画『悪は存在しない』(濱口竜介監督)を観ながら、これは濱口監督の最高傑作になる、と思っていました。

濱口は『寝ても覚めても』で商業映画にデビュー、そのとき脚本・編集はいいけれどカメラ・音楽・MAはどうかな、という印象を持ちました。

そして濱口は、『ドライブ・マイ・カー』で世界的な評価を、獲得するようになります。

でも、濱口作品はなんとなく馴染めませんでした、苦手なんです。

しかし今回は、カメラ・音楽・MAよし。ウム、ウム、ウム・・・とうなづきながら観ていました。

映画の話は簡単です。

信州の自然の豊かなある町に、レジャー宿泊施設の開発の話が持ち込まれ、それをめぐる住民と企業のひと騒動です。

まず映画が映し出す風景がいい。八ヶ岳のふもとの富士見町(映画では架空の「水挽町」)、リゾートです。

そこに住む父と娘がいます。

映画は延々と樹々を写します。緑です。森です。

そして水の流れ。そのまま飲める雪解け水が流れています。

もちろんそこに住む者にとっては、生活用水。ポリタンクでその水を運ぶ仕事は重労働です。

さらに薪を割る力仕事もあります。

深呼吸したくなるような映像が続きます。

映像の世界はまるで違いますが、濱口ではなく溝口(健二)の映画ような、長いカットが連続します。

音楽もいい。

そして圧巻は住民への開発企業からの事業説明集会です。

開発企業から派遣された男女社員ふたりによるプレゼンテーション、質疑応答、ディベート・・・緊迫した人間の戦いのシーンが展開されます。

「金儲けのために、住民のことなんか、何も考えていないんじゃないか」

「宿泊施設の建設予定地は、鹿の通り道です」

「夜間に管理人がいなくなれば、宿泊客はなにをするかわかったものではありません」

「上流に住むものは、下流の生活に配慮しなくてはならない」

住民は宿泊施設建設に反対、ないしは設計変更を要求します。

事業説明のプレゼンをした二人は東京に帰り、社長に住民の状況を説明します。

しかしコロナの補助金目当ての事業は時間との戦い、住民の同意しかない、と社長はプレゼンの二人に、再度の住民説得の命令を出します。

ふたたび現地へ説得に向かう男女社員の二人の心は、社命とは反対に、住民と自然保護への共感へと傾いていきます。

面白くなってきた、どんな結末をつけるのんだろう。

しかし映画が始まってから1時間以上を過ぎている、時間がありません。

そして映画は、訳のわからない「エンディングの10分」になり、濱口監督の最高傑作にはなりませんでした。

「エンディングの10分」とは別に気になったところがあります。

一つは喫煙です。豊かに自然に住む主人公がタバコを吸い、吸い殻を所構わず捨てることです。

プレゼンの男性もタバコを吸い捨てます。

そしてタバコは開発反対の主人公と開発プレゼン男のコミュニケーション、共感の道具として使われます。

許せないカットです。それとも監督が仕掛けたワナでしょうか。

もう一つは、見事な姿の富士山の登場です。

残念ながら「富士見」町からあのサイズの富士を見ることはできません。

葛飾北斎富嶽三十六景に「信州諏訪湖」があり、富嶽百景に「信州八ヶ岳の不二」があります。その富士は小さくかなたにそびえているだけです。

「水挽町」という架空の町だからといっても、諏訪ナンバーの車が出てきてしまっては、リクツなりません。

これも納得できないカットです。

 

2、『ヨーロッパ新世紀』

『悪は存在しない』によく似た映画があります。

『ヨーロッパ新世紀』(クリスティン・ムンジウ監督 ルーマニア・フランス・ベルギー合作 2022年)です。

舞台は、ルーマニアのある村の住民集会。村のパン工場に働きにやってきたスリランカ人3人を巡って、喧々諤々(けんけんがくがく)のディベートが行われています。

「いまはたったの3人だが、やがて仲間も、家族もやってきて、この村は占領されてしまう」、

「彼らが触ったパンを食べろというのか」、

「私たちと、彼らが持っている免疫は、違う。野生動物からのウィルスが人間に感染して新しい病気が流行るように、彼らが新しい感染症を持ち込む可能性がある」

スリランカ人を雇用しているパン工場の女性オーナーは、

「法律に則って雇用しています」、「彼らを隣の村に移住させ、通わせます」、「手袋をして作業をさせます」・・・。

などと弁明しますが、村人は聞き入れません。

映画の主人公は、マティアスと恋人のシーラです。

マティアスは出稼ぎのドイツの職場で「ジプシー!」と罵倒され反抗し、村に帰ってきたばかりのダメ男です。

恋人のシーラは、パン工場の女性オーナーを支える有能なビジネス・パースンです。

マティアスは雪と水との付き合い方、野獣からの回避を知っている自然派。シーラはチェロを演奏し、スリランカ人の労働に理解を示す教養あるリベラル派です。

民集会では圧倒的多数でスリランカ人追放が決議されます。まあちょっと趣旨は違いますが、建設説明会では宿泊施設建設反対の空気と似ています。

問題は『ヨーロッパ新世紀』のエンディングです。

仕事で有能、音楽を愛し、性で奔放。リベラリズムの象徴のようなシーラが、ダメ男の自然派マティウスに「ごめんなさい」と謝罪し、闇の中へ動物の住む荒野に消えて行きます。

つまり映画は、保守的な自然派、進歩的なリベラル派、どちらかに味方しているのではありません。

『ヨーロッパ新世紀』のエンディングを補助線にして考えると、『悪は存在しない』も、自然派あるいは開発支持派、どちらかを支持している映画ではないことがわかります。

『悪は存在しない』のエンディングを、ネタバレにならないように紹介します。

なぜプレゼンをした開発派男は、主人公の自然派男に暴力的に取り押さえられてしまうのか。開発派は悪なのか。

そして自然派男の娘は死んだのか。無事なのか。娘を襲った鹿が悪なのか。

それとも悪は存在しないのか。

 

3、『悪は存在しない』

映画とは別に変なことを知ってしまいました。濱口監督の父が建設官僚であったという嘘のような本当の話です。

それで『悪は存在しない』から、静岡県知事川勝平太を思い出してしまいした(まったく濱口の父とは関係ありません)。

環境保護、大井川の水量を守るためにリニア中央新幹線の工事を止め、JRに2027年開業を断念させた人です。

環境保護の正義は、時として生活破壊の正義になります。

かつて東京都知事美濃部亮吉都知事在任 1967~79)は「青空バッジ」(東京に青空を)の環境保護のもとに首都高速の工事を大幅に遅らせました。

その結果、いまだに首都高2号線は第3京浜につながっておらず、高井戸に料金所がありません。さらには成田空港への高速アクセスを大幅に遅らせました。

環境保護が、渋滞と公害のもとになり、生活を破壊しました。これは忘れてはならないことです。

リニア問題も同じです。開業延期がどれだけの人の生活を破壊しているかするか。想像もつきません。そしてリニアは中国と競争する日本の技術力の問題でもあり、開通延期は国益損失になっています。

さらに驚くべきはリニア技術は軍事技術であることです。中国人民解放軍が欲しがる「電磁式カタパルト」、航空母艦から固定翼機を発射するシステムです(「川勝平太 歴史に残る汚名」佐々木類 『WiLL』6月号)。

話が横道に外れすぎました。本題に戻ります。

環境保護か、宿泊施設建設か。スリランカ人受け入れか、スリランカ人追い出しか。青空バッジ(東京に青空を)か、首都高速道路か。環境保護か、リニア中央新幹線か。

どちらが正しいか。

これは映画の問題ではありません。

映画はそれぞれの主張をする人間を問題にし人間をデッサンし映像にします。

その結果今回の映画では、開発派にも自然派にも『悪は存在しない』、という結論に至りました。

映画『悪は存在しない』は、代表作寸前のいい出来でしたが、映画の題名は、抽象的過ぎて、いただけませんね。

 

 

ソフィア・コッポラの映画『プリシラ(Priscilla)』が好きです。

THE TED TIMES 2024-18「プリシラ」 5/3 編集長 大沢達男

 

ソフィア・コッポラの映画『プリシラPriscilla)』が好きです。

 

1、ソフィア

ソフィア・コッポラのファンです。映画『プリシラ』のベタほめをお許しください。

まず音楽がすばらしい。エルヴィスの映画だから、音楽がいいなんて当たり前だと思われるでしょうが、違います。

エルヴィスの曲(2曲か3曲あったかな・・・?)なんか出てきません。それもどうでもいいような使い方です(悪いとかひどいと言っているのではない)。

映画の始まり、プリシラ(ケーリー・スピーニー)登場のシーンには、フランキー・アバロンの「ヴィーナス」(1960年)が使われます。

そしてプリシラが、西ドイツを去ってしまったエルヴィス(ジェイコブ・エロルディー)に想いを寄せるシーンでは、「ラブミーテンダー」のメロディがピアノで流れます。

胸がいっぱいになり、涙を流してしまいました。

俗っぽい奴だと思われるかもしれませんが、ソフィア・コッポラ監督の作戦にはまっただけです。

監督は映画にリアリティを持たせるために、ドキュメンタリーのようなカメラワークを使います。

パーティー・シーンでは、人の集まりにカメラが飛び込んでいきます。

プリシラやエルヴィスに常識的なライティングをしません。ですから顔がシャドウになり、よく見えなかったりします。

関係ないのです。それが映画を現実っぽく、本当っぽく見せる・・・だからウブは泣いちゃう。

そしてプリシラのファッションがメチャ面白い。

エルヴィス好みになるために、プリシラはいろいろなファッションを、まるで着せ替え人形のように着せられます。

結婚式の衣装が印象に残ります。

プリシラのウディングドレスはシャネル。エルヴィスのタキシードはヴァレンチノ

オペラ『椿姫』を演出し、衣装を担当したソフィアの感覚が、ここでも光ります。

音楽の話に戻ります。

極め付きは、映画のラストソングです。

”I will always love you.”

If I should stay / I would only be in your way / So l’ll go, but I know 

I’ll think of you every step of the way / And I will always love you

I will always love you / You / My darling, you, mm, mm

(ここにいたら お邪魔なだけね だから出ていきます。でもどこでも心にはあなたのこと いつも思っています。いつも大好き あなた あなたが )

歌っているのはドリー・バートン、ヒットしたホイットニー・ヒューストンではありません。

これがいい。

「私は私の人生を歩む」、プリシラはエルヴィスと別れ、自らハンドルを握り、グレースランドを去り、映画は終わって行きます(プリシラケイリー・スピーニーベネチア国際映画祭最優秀女優賞)。

こんなおしゃれな映画のエンディング観たことがありません。ソフィアはホント、音楽の趣味がいいです。

 

2、プリシラ

映画『プリシラ』は、エルヴィス・プレスリーと結婚したプリシラ(1945~)の物語です。

1935年エルヴィス誕生。

1945年プリシラ誕生。

1954年 エルヴィス”That’s all right Mama” 録音。

1956年 エルヴィス”Heartbreak Hotel”発売。 映画 ”Love me tender”(やさしく愛して)

1957年 映画 ”Loving you” (さまよう青春) 、映画”Jailhouse Rock” (監獄ロック)

1958年 映画 ”King Creole” (闇に響く声 

1958年 エルヴィスはアメリカ陸軍へ徴兵。エルヴィスの母、グラディス・プレスリー死去。

1959年 14歳のプリシラと24歳のエルヴィスとの出会い。プリシラは父(米陸軍将校)の転属で西ドイツへ来ていた

1960年3月 エルヴィスは兵役終了。帰国。

1962年3月、エルヴィスはプリシラに電話し米国に呼び寄せる。

米国で学校を卒業することを条件にプリシラグレースランドでの生活が始まる。

1967年結婚。

1968年リサ・マリア・プレスリー誕生(1968~2023)。

1973年離婚。

1977年8月16日 エルヴィス・プレスリー死去。

1982年~1998年 プリシラ、観光地グレースランドをマネジメントするエルヴィス・プレスリーエンタープライズのCEO。

映画『プリシラ』の原作は『ELVIS and ME』(Priscilla Beaulieu Presley BERKLEY BOOKS, NEW YORK) です。

何も知らない14歳の少女が、スーパースターのエルヴィスと出会い、何か何までエルヴィス好みの女性に育てられます。

しかしプリシラがやがて、自分のヘアスタイルとは、自分のファッションとは、自分とは、自らのアイデンティティを問い、自らを確立していく物語です。

ガーリー・カルチャーの権威のソフィア・コッポラ(1971~)が14歳の少女プリシラプレスリー(1945~)に感情移入して作られた映画です。

 

3、エルヴィス

映画の中でエルヴィスの周りをいつもうろついているボディ・ガードのような5人の男たちがいます。

なんの説明もありませんが、「メンフィス・マフィア」と呼ばれる、エルヴィスの付き人です。

彼らは10代から亡くなるまでのエルヴィスと一緒にいました。メンフィス・マフィアはプリシラをどう見ていたのでしょうか。

まずマーティ・ラッカー。メンフィス・マフィアの顔役、エルヴィスのハイスクール時代からの友人です。

「例えばあんたが16歳の女の子の親だったとして、もし億万長者の成人男性があんたのところまでやってきて『あんたの娘のことがとても気に入った、彼女と一緒に暮らしたいんだ』と申しでたとする(中略)。

オレだった絶対にこう言うね。『ここからさっさと出ていけ!』」( 上 p.408)。

つぎはラマー・フェイク。メンフィス・マフィアでナンバー1の巨漢。1956年にエルヴィスの家の前をうろついていてメンバーになりました。

「エルヴィスは彼女を育てていたんだ。(中略)彼女は赤ちゃん言葉で彼を甘やかし、彼がいちばん好きなやり方で彼をなでるんだ。そして互いに赤ちゃん言葉で話し合う」(上 p.412)。

以上は、『エルヴィス・プレスリー メンフィス・マフィアの証言』 (アラン・ナッシュ 青林霞訳 共同プレス)から。

プリシラはエルヴィスの音楽に何か影響を与えたか。エルヴィスは何も変わりませんでした。

エルヴィスは、リズム&ブルースとカントリー・ミュージックゴスペル・ミュージックを融合し、ロックンロールを誕生させました。

エルヴィスは、マーロン・プランド、ジェイムス・ディーンによって生まれた若者ファッションの若者市場を確立しました。

エルヴィスは、黒人のように歌う白人として、既成の価値観に反抗し、人種の壁をぶち壊しました。

エルヴィス・プレスリーというロックンローラーの活躍は、アメリカ陸軍への入隊で終わっています。徴兵に応ずる反抗者なんていません。

1958年でエルヴィスはおしまい、それ以降、音楽・文化・社会の革命を起こすことはありませんでした。

映画『プリシラ』は、エルヴィスの歌と音楽を全く問題にしませんでした。ですから、逆説的ですが、ソフィア・コッポラは、エルヴィス・プレスリーの音楽をよく理解していると言えます。

冒頭にソフィアは音楽センスがいいと褒めました。私はソフィア・コッポラの映画が好きです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

AIで余計者になる私たちをサム・アルトマンが救ってくれる。

THE TED TIMES 2024-17「AI」 4/26 編集長 大沢達男

 

AIで余計者になる私たちをサム・アルトマンが救ってくれる。

 

1、サム・アルトマン

オープンAIを設立し、チャットGPTを開発したサム・アルトマン(1985~)が、2023年11月に突然CEOを解任されそうになりました。

解任しようとしたのは、オープンAIの共同創業者であるイリア・サツキバーたちです。

なぜそんなことをしたのか。

オープンAIの中の、加速主義と破滅主義の対立がありました(「サム・アルトマンのヤバい革命思想」 橘玲 『文藝春秋』 2024.4)。

AIを加速的に進歩・発展させようとするサム・アルトマンたちと、AIが人類の脅威になると考えるイリア・サツキバーたちの対立です。

イリア・サツキバーなどの破滅主義者たちは、サム・アルトマンがいる限り、オープンAIはチャットGPTの進化を加速させる、そして取り返しがつかないことになると考えました。

イリア・サツキバーの師であるジェフリー・ヒントン(1947~。トロント大名誉教授)がAIの危険性を以下のように指摘しています。

1)ジェフリー・ヒントンはAI研究のゴッドファーザーと呼ばれ、深層学習の礎を築きながら、AIが人類の存続に危機をもたらすとグーグルを退社した人です。

2)AIに気候変動を止めるように指示すると、AIは人間を排除することが必要だと結論し、実行に移すリスクがある(「人知を超すAIは人を操る」日経3/10)。

3)10年以内に自律的に人間を殺すロボット兵器が登場する。しかしその規制は実際に戦場で使われて悲惨さを認識した後になる。

しかし、破滅主義者によるサム・アルトマンの解任は失敗に終わり、わずか5日後にCEOの復活します。

2、エヌビディア

AIへの期待感から米株価が毎週史上最高値を更新しています。

AIが巨額に利益をあげると期待できる・・・しかしその株価は異常で、現在の状況はAIバブルに近いものです。

まず、半導体大手の米エヌビディアの今の株価は今後4500年間、配当を出し続けなければ正当化できないようなものです(「AIの『夢物語』に要注意」 ラナ・フォルハー 日経3/29)。

つぎに、AIを動かすための投入コストが大幅に値上がりが予想されています。

さらに、著作権問題でのAIへの風あたりが強くなってきています。

EUはAI法(AIの包括的ルールを定める規則)を制定しようとしています。

データ解析や機械学習のために著作物を利用することは、研究目的だけに限定されるようになります(「EU、運用次第で革新阻害も」 マーチン・クレッチマー日経2/27)。

「(AI)法の運用を誤れば、AT関連のイノベーションEUの管轄から姿を消すだろう」というAI法への疑義もありますが、AI事業者は確実にコスト増に、直面します。

AIは17世紀のチューリップバブル再来かもしれない、とフィナンシャル・タイムのラナ・フォルハーはその文章を結んでいます。

3、余計者

AI事業者やAI開発者は、AIのあげた利益の恩恵に与れますが、無能は私たちはどうなるのでしょうか。

私たちがいまやっている仕事はすべてAIがやってくれます。私たちの仕事は、機械から指示されるだけの仕事になります。

シンギュラリティ(人間の知性を上回るAI )の時代がやってきます。私たちのような労働者は過剰になり、余計者になります。

余計者は人生の目的を見出せなくなりますが、余計者は貧民になりません。

加速主義のサム・アルトマンが、地球上全ての人間に暗号通貨でI(ベーシックインカム)を支給するシステムを考えてくれています(前掲 『文藝春秋』)。AIあげた巨額の利益は、私たちに無条件で再分配されます。

 

 

 

 

 

 

映画『オッペンハイマー』が、日本人の私たちに提起した、3つの問題。

THE TED TIMES 2024-16「オッペンハイマー」 4/19 編集長 大沢達男

 

映画『オッペンハイマー』が、日本人の私たちに提起した、3つの問題。

 

1、非公開

映画『オッペンハイマー』(クリストファー・ノーラン監督 ユニバーサル映画) は、日本では公開される予定がなかった、映画です。

アカデミー賞で作品賞、監督賞、主演男優賞、撮影賞など主要7部門で受賞を果たした話題作であった、にも拘らずです。

米国での公開は昨年(2023年)7月21日、日本での公開は今年(2024年)の3月29日、なんと8ヶ月遅れ、まあ公開されたからよかったようなものの・・・。

なぜ当時、日本公開の予定がなかったのか。昨年の8月にニューヨークで『オッペンハイマー』を観た評論家の東浩紀が、その理由を書いています。

1)「『広島・長崎を描いていない』『被爆者の視点がない』といった批判があり、それに配給会社が忖度した・・・」(「問題作『オッペンハイマー』を観て来た」 p.173 東浩紀 『文藝春秋』 2023.10)。

2)「SNSでの『バーベンハイマー騒動』がとても悪い印象を与えていた」(p.175)。

「バーベンハイマー」とは、同時公開のコメディ映画『バービー』と組み合わせた造語です。バービーとキノコ雲を組み合わせたファンアートが拡散し、日本人の反感を買っていました。

3)そして東浩紀は、SNSでの炎上を恐れ『オッペンハイマー』の未公開とするようなら、日本は世界から取り残される、と警告をしています。

結局、『オッペンハイマー』は、東宝東和ではなく「ビターズエンド」の配給で、日本でも上映されるようになりました。

私は、台湾に観に行こう、と計画を立てようとしていたぐらいですから、よかった!よかった!です。

 

2、原子力発電

3時間しかもアイマックスの超大作ですが、映画の構造は簡単です。

1)優れた物理学者であったオッペンハイマー原子爆弾開発「マンハッタン計画」のリーダーとなる。

2)1945年7月の「トリニティ実験」で、机上の理論でしかなかった原子爆弾の爆発実験に成功する。同時に2発の原爆が生産され、トルーマン大統領に決断により、1945年8月に広島・長崎に投下される。

3)戦争が終わりオッペンハイマーは原爆開発を後悔するようになる。そして水爆開発への参加を拒否し、やがて共産主義の共鳴者の疑いをかけられ、追放される。

映画は完璧な出来栄えです。

私がとくに好きなのは音楽の使い方、効果音の使い方です。

原爆爆発実験のシーンの恐怖感も十分に味わえます。

オッペンハイマーを演じたキリアン・マーフィーもいいです。

ただひとつ気になることがあります。

私たち日本人は軍事利用として原子爆弾ではなく、平和利用と原子力発電の可能性を教育されてきました。

ですから、オッペンハイマーがなぜ、そちらに向けて思考を転換しなかったのか、映画を観ていたときから疑問になっていました。

調べてみれば、1942年にエンリコ・フェルミが実験炉で核分裂に成功しています。

そしてフェルミの弟子であるベヴィット・L・ヒルも「マンハッタン計画」に参加し映画に登場しています。

オッペンハイマー原子力発電をどう考えていたか一言欲しかったところです。

・・・エッ?キミは原発賛成なの?・・・

当たり前です。原発容認です。

原発反対は正義です。しかしそれは生活破壊の正義です。

余談ですが、似たような話があります。

1970年代に東京都知事美濃部亮吉が、高速道路は環境破壊をする、とその建設に反対しました。

結果は首都高2号線と3号線のいびつな状態が、いまでも続き渋滞と公害の元となり、成田空港へのアクセスにも大きな影響を与え、日本は世界から大きく遅れました。

もう一人、リニア新幹線反対、環境を守れの静岡県知事川勝平太がいます。

環境破壊は正義ですが、生活破壊の正義です。リニアは資源がない日本の科学技術が誇る世界への目玉商品です。これでまた日本は世界から遅れます。

 

3、リベラリズム帝国主義

さてこれからが本論です。正直言いまして私は『オッペンハイマー』という素晴らしい映画を観ていて、吐き気を感じていました。

映画の中で、トルーマン大統領をオッペンハイマーが訪れ、「自分は原爆開発を後悔している」と告白するシーンがあります。

すると大統領はオッペンハイマーが帰ったあと「二度とあの泣き虫野郎をここに入れるな」と怒るシーンがあります。

このトルーマン大統領こそが、米国の人権、自由、平等のリベラリズムの正体です。

「日本人は原爆投下を大量虐殺だと思っているけれど、アメリカの国民の大半はそう考えていない」(p.176)。

東浩紀は「バーベンハイマー事件」の真相を見破りました。

英国のリベラリズムは、インドと中国で大量虐殺を、米国のリベラリズムは、インディアンと黒人の大量虐殺をしてきました。

そして米国のリベラリズムは、広島・長崎への原爆投下(そして東京大空襲)をし日本人の大量虐殺を、やったということです。

映画『オッペンハイマー』(クリストファー・ノーラン)と原作『オッペンハイマー』(カイ・バード、マーティン・J・シャーウィン ハヤカワ・ノンフィクション文庫)は、人類と平和を問題にしていて、日本への原爆投下は科学の問題ではなく軍事と政治の問題である、と逃げています。

なぜ日本なのかの問題は全く問われていません。

映画にはありませんが原作に、「長崎被曝の翌日に日本政府はただ一つ、天皇制護持を条件として降伏受諾の申し入れをした」(『オッペンハイマー 中』 p.269 ハヤカワ・ノンフクション文庫)、という記述があります。

嘘っパチです。事実は逆です。

戦後マッカーサーは、「私は戦争のすべての責任を背負うべき唯一の人間だ」と自らの首を差し出した天皇に、「日本で最高の紳士だ」と感激しています。

日本は「ポツダム宣言」を受諾し終戦したのであって、天皇制護持(「天皇制」はマルクス主義の用語)を条件に降伏したのではありません。

21世紀の今に、なぜこんな嘘の記述が通用するのでしょうか。なぜピューリッツァー賞を受賞するのでしょうか。

米国人と『オッペンハイマー』の作者たちは、彼らが虐殺したインディアンの酋長(Chief)のように、天皇を考えていた(いる)に違いありません(それはそれで光栄ですが・・・)。

米国の人権、自由、平等のリベラリズムが、日本へ原爆を投下しました。そして日本人は、米国リベラリズムによる日本国憲法と戦後政策を、いまだにありがたがっています。

「理性主義のリベラルの本質は、自らが説く絶対なるものは理性に照らして明らかである」と考え、「そもそも敵の存在を認めることができない。彼らにとっては、間違ったことを教えられ、間違った判断をしている者たちがいるにすぎない」とするところにあります(『産業人の未来』 p.188~91 ドラッカー ダイアモンド社)。

人権、自由、平等のリベラリズムの観点からは、万世一系天皇と「天照大神」を祀る神社に手を合わせる日本人は間違っている、ということになります。

これを「リベラリズム帝国主義」といいます。

映画を見ていて気持ち悪くなったのは、この「リベラリズム帝国主義」に気がついたからです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『愛子天皇論』に賛成ですが、未来のことはわかりません。

THE TED TIMES 2024-15「愛子天皇論」 4/12 編集長 大沢達男

 

『愛子天皇論』に賛成ですが、未来のことはわかりません。

 

1、『愛子天皇論』(小林よしのり 扶桑社)

皇室典範第一条には、「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」、とあります。

令和の天皇(1960年生まれ)の後は、秋篠宮(1965年生まれ)、そして悠仁親王(2005年生まれ)、さらに常陸宮(1935年生まれ)ということになります。

これでは皇統の維持が心許ないので、愛子天皇論が登場したわけです。

しかし今上天皇が100歳まで御存命であるとすると、問題が発生するのは2060年、さらに悠仁親王が100歳の時は3005年ということになります。

皇位継承は、あと10年ほどしか生きない私のような者の問題ではなく、未来の日本人が論じることです。

重々存じているつもりですが、偶然、書店で『愛子天皇論』(小林よしのり 扶桑社)を手にしてしまいましたので、この際、この本を参考にしながら、自分自身の考えをまとめておきます。

 

2、皇位継承

1)皇室典範

安定的な皇位の継承を可能にするアイディアの第1は皇室典範の改正です。

「男系の男子」とは何かです。

まず歴史的に女子の天皇はいました。「男子」と限定するのはおかしいのです。

飛鳥時代推古天皇皇極天皇斉明天皇)、奈良時代元明天皇元正天皇持統天皇孝謙天皇称徳天皇)、江戸時代の明正天皇後桜町天皇です。

男子だけが天皇になれるとされたのは、明治時代からです。

さらに「男系」とは何か。父方の血筋によって継承する家系です。

女子の遺伝子はYY、男子の遺伝子はXY。男系には神武天皇Y染色体が生きているという説です。

しかしY染色体は垂直だけでなく水平にも拡散していきます。神武天皇Y染色体は日本人に拡散しています。

男系も無意味ということになります。

皇室典範を改正し、「愛子天皇」を誕生させるは、筋の通った話です。

2)皇族拡大

皇室典範を改正せずに、安定的な皇位継承を可能にする2のアイディアは、旧宮家系の男系男子を皇族に復帰させるアイディアです。

これに対して小林は憲法違反だと主張します。憲法14条の「・・・門地により差別されない・・・」によってです。

しかし、実際に旧宮家系の男系男子をあたってみると、「適当な人材は存在しない」となり、この話は打ち切りになります。

 

3、愛子内親王

愛子さまはなぜ評判がいいのでしょうか。

まず、学習院時代の成績が優れていたという「うわさ」が、あります。

つぎに、お一人でお出かけになったとき、周囲の人へのていねいで気品のある対応が、評判になっていることがあります。

そして、新年祝賀の儀の際のティアラ。他の皇族方が2000万円もするティアラを新調されていらっしゃるのに、ご自分だけは黒田清子さまにお借りした物をお付けでいらっしゃいました。

さらに、日本赤十字社へ初出勤のダークスーツ姿が凛々しいとの評判もありました。

『愛子天皇論』を手にしすぐ購入を決めたのは、表紙と各章の冒頭を飾るポートレートのイラストに、愛子さまの人柄が描かれていたからです。

しかし残念ながら『愛子天皇論』では愛子さまの魅力にたいする記述がなく、逆に戦闘的な論述のために、愛子さまがそのような方なのか、誤解を招きかねないところがあります。

なぜ愛子さまは気品に溢れているのでしょうか。

なぜ愛子さまは無限に優しく見えるのでしょうか。

なぜ愛子さまは聡明に見えるのでしょうか。

それは愛子さまが日本の皇室の歴史と伝統を体現されているからです。

第1に、皇室は日本を征服したわけではなく、民族の内から起こって自然に地位を権力を得られました。

第2に、皇室と異民族との戦争はありませんでした。

第3に、皇室は政治、事業をしませんでした、ですから失政、失敗はありませんでした。

第4に、天皇には宗教的な任務と権威がありました。

第5に、皇室には文化上の地位がありました(『古事記及び日本書紀の研究』 p.23~9 津田左右吉 毎日ワンズ)。

「愛子天皇」実現のためには、皇室典範を改正より先に、憲法改正が必要です。

天皇は神聖にして犯すべからず」の大日本国憲法と「天皇は国民の象徴である」の日本国憲法を並べてみると、遥かに旧憲法の方が私たちが抱く、天皇と皇室のイメージに近いからです。