クリエーティブ・ビジネス塾26「わが青春に悔いなし」(2017.6.26)塾長・大沢達男
「黒澤明に悔いが残った、映画『わが青春に悔いなし』」
1、検閲された日本映画
平和と民主主義の日本は偽りに満ちています。映画『わが青春に悔いなし』(1946年 黒澤明監督 東宝)がそれを証明しています。
映画はGHQのCIE(民間情報教育局)のデビット・コンデ(1906~81)により、意のままに制作されています。コンデは共産主義者で、民主主義映画の制作、という名のもとにシナリオを検閲し、映画会社に労働組合を作らせ労働争議を起こさせ、日本を社会主義化しようとしていました。
1)主人公ユキエ(原節子)の父である大学教授は、言論の自由を主張をかどに時の政府により、大学を追われます。父の教え子にふたりの若者がいました。平穏無事で堅実、退屈な男と思われかねないイトカワ、もうひとりは、いつもギラギラ主義主張を説き、目も眩むような生き方をする魅力的なノゲ。
2)日本は戦争の時代へ。ユキエは東京でふたりの若者と再会します。イトカワはすでに結婚しこどもがいました。ノゲは、経済研究所を主宰し、国際問題の権威として活躍していました。ユキエはノゲを選び、結婚します。昭和16年12月8日、日本と米英との戦争が始まり、ノゲが逮捕されます。罪状は戦争妨害の大陰謀。ノゲはスパイ。投獄そして獄死。ユキエはノゲの実家に行き老父母の農業を手伝います。待っていたのは村八分。「スパイの家」と落書きされ、田植えが済んだばかりの苗代が荒らされます。
3)終戦。自由が蘇り、ユキエの父は大学の教壇に復帰します。ユキエはノゲの実家で、農村文化の輝ける指導者として、女性生活の向上に戦いを始めていました。
2、悔いが残った原節子
小津安二郎監督の子飼いのような原節子が、黒澤映画に初めて出演しています。
失敗でした。悔いが残りました。伝説の原節子はズタズタに引き裂かれてしまいます。
第1に、この社会主義リアリズムのような映画に原節子は不似合いでした。教授のお嬢さまであったころのシーンはまだしも、農村でドロだらけになり汗水たらして農作業に精を出す原節子など見たくありません。なぜなら、彼女は聖女だからです。さらにセリフがひどい。「村の女の人たちの生活はあんまりヒドすぎる。それを少しでもよくするのが私の仕事」「つまり私は、農村文化運動の輝ける指導者っていうワケね」
第2に、ラブシーンが見ていられません。ユキエはノゲと再会し、彼の事務所での、ふたりきりで話し合い、愛が深まる、長いシーンがあります。ラブシーンなのに、ふたりは理屈をこねた議論を続けます。やっと再会できたというのに、なんということでしょう。しどろもどろ。黒澤監督は女がダメです。
第3に、おしゃれじゃありません。まず洋服の原節子がよくない。スカート姿では、原節子の大根足を強調しています。かっこわるい。ダサイ。原節子は着物で正座して、永遠に微笑しなければ、いけません。
原節子の悔いはGHQのせいではありません。黒澤監督の責任です。黒澤は、ジョン・フォードや北野武と同じように、男を描く監督です。
3、最大の悔いは黒澤監督
最大の悔いは黒澤明監督にありました。
まず、シナリオが直されています。当時の東宝には労組が映画製作に口を出す「シナリオ審査委員会」がありました。もちろん労組はGHQのCIE(民間情報教育局)のコンデの指示により結成されたものです。コンデの意のままの御用組合です。組合により『わが青春に悔いなし』は物語の後半を変更させられています。
<私は農村文化運動の輝ける指導者>、ハッハッハ!、お笑いです。主人公を演ずる原節子にこんなセリフをはかせる・・・。そして映画のエンディングは、トラックの荷台に乗った農民たちの群れにユキエ(原節子)が飛び乗り加わり、未来に向かって走って行くのですから。なーに、これ?プロパガンダ映画?
しかし、ただでは死なない世界のクロサワ、『わが青春に悔いなし』は、映像と映画を発見しています。
まず冒頭の、学生たちが野山を駆け巡るシーンがすばらしい。撮ったのは中井朝一カメラマンです。流れる緑のなかを学生たちが丘を目指します。命あふれる青春が映像になっています。
そしてユキエがノゲを求めて、ノゲの事務所に何度も通うシーン、季節が変わり、ファッションも変わる。先ほど、この映画はオシャレじゃない、と腐しましたが、ここに関しては訂正です。
そしてノゲが逮捕されたあとの、ユキエの苦悩を表すシーン、主人公のいくつものカットが同じポジションで
時間を超えてモンタージュされています。アバンギャルドです。映画の可能性を見せます。発明があります。