女性に「金」を払う、永井荷風という人は、どういう人だったのでしょ

クリエーティブ・ビジネス塾39「永井荷風」(2018.9.17)塾長・大沢達男

女性に「金」を払う、永井荷風という人は、どういう人だったのでしょうか?

1、『纆東綺譚』
女「(前略)もうすぐ袷(あわせ)だから」/男「(前略)袷はどのくらいするんだ。店で着るかの」
女「そう。どうしても30円はかかるでしょう。」/男「そのくらいなら、ここに持っているよ」
そして男は紙幣(さつ)を出して、茶ぶ台の上に置きます(『纆東綺譚』p.74~75 永井荷風 新潮文庫)。
明治末期から、大正にかけての話です。大正時代の100円はだいたい現在の貨幣価値にして30万円。
ですから、男が女に渡した金は10万円。女にワンピース欲しいって言われて、ポンと10万円を差し出した。自分にはできない。ひがみからなのでしょうが。読んでいておや?と思いました。永井荷風といえば、粋で洒脱で風流、憧れの名前でした。それが疑問に思えてきました。
2、『ふらんす物語
「驚いた300法(フラン)以上持っていた紙入れの金は、僅(わず)かに50フラン残すばかりじゃないか。それも尤(もっと)も至極。目が覚めてみれば、ちっとも怪しむ事はない。最初から5日5晩と云うもの、三度々々の高い食事、高い酒の他に、毎日云うなり次第の価の払っていたのだもの」(『ふらんす物語』「祭りの夜がたり」p.85 永井荷風 新潮文庫)。/「一週間に二度三度位は必ず女を買っているが、自分から進むのではなくて、或時は巴里見物に来る日本人への義理、或時は女から無理やりに引張られるに過ぎない」(「雲」p.143)/「(前略)この辺を徘徊する売娼婦の大半は、何れも一度は買った事のある女ばかりなのに自分ながら呆れた」(「雲」p.159)。
永井荷風の小説は、金を与える存在として、女性を描きます。「女を買う」という表現があたり前に登場してきます。つぎに、女性と恋をしません。女性と友達関係になりません。金を払い肉体関係を結ぶだけです。金でしか女性とコミュニケーションできません。さらに男性との関係も、変わっています。外国人の男性と飲んだり、食べたり、話したりするシーンが登場しません。
それが明治、大正の常識だったのでしょうか。女性を軽蔑しています。人間扱いしていません。
「女と云えば女工か売子位がせいぜいだが(中略)何か話の糸口を見付けて話掛ければ(中略)直ぐに言う事をききそうに見える」(「雲」p.139)。/「下宿した家の令嬢と懇意になった。音楽が好きで自分にも勧めて毎晩ピアノを教えてくれた。処女の純白が如何にも気高く美しく見えた。浅ましい経歴の女を遠くから呼寄せて、強いて自分の一生涯を日陰にする(後略)」(「雲」p.150)。/「フランスのこう云う種類の女には、どうかすると、一時の酔興で恐ろしく所帯じみた事の好きな性質のものがある」(「雲」p.154)。
イヤな叙述が続きます。
もちろん平成の今の時代でも外国人とコミュニケーションできない日本人はいます。
外国に行っても日本人だけで行動し、ストレスがたまると金髪のオンナを世話しろと、外国語ができる日本人に強要します。そして彼らは、日本人レストランに行って、味付けがどうの日本が分かっていない、と無口から饒舌に変わり、さらにつけ加えれば、このどうしようもない日本人は、西洋人だけに萎縮しアジア人には帝国主義者のように威張りまくります。
明治と大正の永井荷風は、伝統のある家系に生まれ、慶応大学の教授にもなり、文化勲章を授章しています。日本国の宝です。でも永井荷風の叙述は疑問です。好きになれません。
3、モテるモテない
永井荷風は女性にモテなかった。これが私の結論です。
岩波文庫『あめりか物語』の表紙には、蝶ネクタイ姿の正装の若き日の永井荷風ポートレートがあります。
キリリとした若者の写真ですが、乙女を悩ますような、いい男ではありません。同じく新潮文庫ふらんす物語』の表紙裏に晩年の丸めがねと山高帽の荷風ポートレートがあります。おなじみの写真です。もちろんこの姿にも女性がため息をもらすような、シブさはありません。
たいして永井荷風エピゴーネンのように扱われる谷崎潤一郎はどうでしょうか。谷崎は美男です。やや目つきがきついが、セクシーです。谷崎はモテました。金で女を買うような事をしませんでした。いやそれ以上快楽を求めるに純真一途で、異常に走りました。谷崎が好んだ『源氏物語』の源氏も薫もモテました。
永井荷風谷崎潤一郎。その違いは、モテるモテない、にありました。同じ事は、三島由紀夫太宰治大江健三郎石原慎太郎にもいえそうです。あまりもチャラい結論でしょうか。