クリエーティブ・ビジネス塾32「天気の子」(2019.8.5)塾長・大沢達男
1、霊力
「昔々、ヒミコという女王の世にはこの國は栄えておりました。そもそもこの國の始まりはアマテラス、すなわち女王でした」(『ワカタケル(第306回)』池沢夏樹 日経)。
男は武力、女は霊力で、この国を治めてきました。武力だけではだめ、かといって霊力だけでもだめ、男と女で、上手くバランスをとってやってきました。
男の武力は世界のどこででも同じです。しかし女の霊力に頼る、ということで日本という国は、世界のほかのどの国とも違います。キリスト教世界では、女性は男性の骨から生まれた、世界の付属物。だから女性は、魔女狩りで、意味もなく殺害されました。それが現在の「セクシャルハラスメント」につながっています。日本では安易に「セクハラ」などというべきではありません。
もうひとつ日本と西欧が違うところがあります。キリスト教ではヘビを憎みました。ヘビが住む森林を憎みました。そして光の当たらない、森林を伐採しました。自然破壊で、ヨーロッパ大陸と北米大陸から森林は姿を消しました。地中海の澄んだ青の海は、水が痩せている証拠です。
日本列島は違います。国土の70%は森林に覆われています。日本の国土では、草にも、木にも、森にも、山にも、雨にも、川にも、湖にも、海にも、神さまが宿っています。山川草木悉皆成仏です。
環境問題を論ずるときには、この日本独自の視点を忘れるべきではありません。神社に飾られているしめ縄は、ヘビが交尾している姿です。私たちはそれに手を合わせ、祈ってきました。
2、新海誠
10年前、『秒速5センチメートル』に渋谷で出会い、感動しました。新海誠はアニメ革命を起こすと期待しました。そして『君の名は。』でそれは確信にかわりました。
まず、アニメがみずみずしい。風、青空、流れる雲、夕焼け・・・まるでベートーヴェンの『田園交響楽』、ヴィヴァルディの『四季』です。バカみたいな武器、ロボットそして戦闘シーンのアニメではありません。
つぎに、新海誠はオタクではない。産業社会の倫理「勤勉、禁欲、努力」を否定した、「自己中心、無関心、快楽主義」ではない、新しい価値観を提示しようとしているように思えました。
そしてアニメ革命を起こしている。反「スタジオジブリ」です。アニメとは、コミック(笑い)、ファンタジー(夢)、カートーン(風刺)です。ジブリは『風の谷のナウシカ』の左翼教条主義から何も進歩しませんでした。
新海誠には新しさの匂いがしました。
3、『天気の子』
アニメ映画『天気の子』は、雨が降って欲しくないときを晴れに変えることができる、霊力を持った少女の物語です。舞台は新宿・東京ですが、日の光、萌える緑、移ろう季節、美しい日本の物語です。
霊力、美しい日本、すべてはいいのに・・・『天気の子』には感動しませんでした。
批判ではありません。新海監督と一緒に悩んでみたいと思います。
まずラブストーリーへの不満があります。雨になろうが晴れになろうが、ふたりが出会えればそれでいい。映画のラストシーンでは、思わず涙を流してしまいましたが、こんな身勝手な映画を作っていいものか、すぐに反感を抱いてしまいました。あんた、自分の年齢(とし)を考えてご覧よ。主人公のホダカは16歳の少年だよ。あんたはターゲットでもなんでもない。へんな言いがかりはつけないほうがいい。でもジコチュウはいやです。新海誠は反オタクだと評価していたからです。
つぎに野田洋次郎への不満があります。音楽が多すぎる。RADWINPSのPV(Promotion Video)のようです。野田洋次郎は前回(『君の名は。』より、深く映画製作に加わったようです。曲は悪くありません。でも映画には邪魔。もっと減らすべきです。
そして川村元気への不満。川村は映画の企画に加わっていたようですが、スタッフに名前がありません。川村のDNAの少なさが、『天気の子』を線の細い作品にしてしまったのかもしれません。
東京が水浸しになるプロットは荒唐無稽。東大で環境学を専攻された奥さま(三坂知絵子)のお墨付きかもしれませんが、風刺にも社会批判にもなっていません。海面上昇の理由はさまざま。「縄文海進」(今より5m海面が高い)もあります。そしてそれに対する人類の戦いもさまざま。東京水浸しは、安易な描写です。
オリジナルの原作はむずかしい。新海誠の描写力、造形力は、日本の古典を描くことで、発揮されます。
例えば、「アマテラス」、「ヒミコ」。さらには「竹取物語」もあります。ジブリの『かぐや姫』(高畑勳監督)は左翼教条主義により原作は破壊されています。新海誠の挑戦を期待します。