映画監督・アッシュ・メイフェア、またまたベトナムに映画の天才登場。

クリエーティブ・ビジネス塾45「第三婦人」(2019.11.4)塾長・大沢達男

 

アッシュ・メイフェア、またまたベトナムに映画の天才登場。

 

1、映画の発明

ベトナム人留学生の友人が数人います。ベトナム語をほんの少し覚えました。それでベトナムの映画を見ようと思いました。『第三婦人と髪飾り』(2018年 アッシュ・メイフェア監督)です。

勢い込んで映画の始まるのを待ちました。ところが台詞の少ない映画・・・私の闘志は空回りし始めました。

そして出てきた会話に全くついて行けませんでした。私のベトナム語は全くダメ。・・・ところが映画は面白い。どんどん引き込まれていきます。この監督は映画を発明している。久しぶりに、というより生涯に何度しかないと思われる、映画を見る楽しみに興奮していました。

1)水の描き方とモンタージュ

川縁での女性たちが光を浴び水浴びを浴びるシーン、手の平が水の中で動くだけの長いカット、映画の主人公は水です。さらに草木、花、岩、洞窟を描いて動き回るカメラ、自然も映画の主役です。そのなかで人間のドラマが描かれモンタージュされていきます。

2)生理(本能・エロス)の映画

血で汚された初夜のシーツ、流産で汚されたシーツ、さらにはつわりによる嘔吐。映画は論理や理性で作られていません。感覚や感性でもありません。映画の根本を支えているのは、本能です。生理です。ロゴスでもパトスでもない、エロスと呼ぶべきものです。

3)悠久の時間感覚

93分の比較的短い映画ですが、ゆったり流れる長い時間が描かれています。舞台は19世紀のベトナム。私たちが失ってしまった歴史と伝統の時間が流れています。使われいる音楽がそれをさらに増幅します。映像と音楽のミックスが映画になり、独特の時間、普遍の時間、真実の時間をを生み出しています。

2、トラン・アン・ユン

映画のエンドタイトルを見ていたら、スパイク・リーの名前が目に入りました。???。私はなぞに包まれ、ネットで『第三婦人と髪飾り』のことを調べ始めました。翌日には再び映画館を訪れプログラムも手に入れました。そして恥ずかしい話、映画の基本的な情報を手に入れることに成功しました。

まず第1に、この映画は脚本の段階でD、NYU(ニューヨーク大学)で教師でもあるスパイク・リー監督に激賞され、2014年にNYU脚本プロジェクトのファンドを獲得した作品でした。

第2に、この映画には『シクロ』でヴエネチア国際映画祭金獅子賞に輝いたベトナム人監督トラン・アン・ユン監督が協力していました。私はかつてトラン監督にいかれていました。『青いパパイヤの香り』、『シクロ』、『夏至』そして『ノルウェイの森』。すべての作品にイエスを出していました。『第三婦人と髪飾り』でトラン監督は美術監修をつとめ、さらにトラン監督夫人も第一夫人役で映画出演していました。

そして第3に、驚くべきはアッシュ・メイフェア監督は女性であったことでした。私の不明のほかはありませんが、作風からして女流はうなずけます。アッシュ監督は祖母の話にヒントを得てこの映画の脚本を書きました。監督はホーチミンで生まれ、14歳でオーストリアへ、大学は英国のオックスフォード、さらにニューヨーク大学大学院で映画製作を学んでいます。12歳でパリに渡って学んだトラン監督の経歴に似ています。

3。ベトナム人

社会学者・上野千鶴子は、19世紀のベトナムの身分制社会を描いた作品として、日本の皇室・家父長制度を批判しながらマルクス主義的なフェミニズムの立場から映画を評価し、今後のアッシュ監督の作品に期待していますが、これは大きな見当違いです(『第三婦人と髪飾り』映画カタログより)。

監督の当初のタイトルは「Between shadow and soul」、谷崎潤一郎の『陰影礼賛』をやりたかったのです。さらに監督は溝口健二の名をあげています。14歳でベトナムを離れ、18歳で溝口監督の映画を見て心の底から感動しています。

なるほどなるほど、だから私たちを捉えて放さないのです。

上野千鶴子が批判すべきなのは過去の身分制や家父長制ではなく、現在の社会主義ベトナム社会です。私のベトナム人の友人たちは、ベトナム語を私に教えてくれますが、ベトナムの映画について語ることはできません。ベトナム人留学生はだれも、トラン監督を、アッシュ監督を知りません。「ベトナムではアートハウスの映画を見ることができません」。アッシュ監督はこう語っています。