クリエーティブ・ビジネス塾47「高倉健」(2019.11.25)塾長・大沢達男
健さん、なんであなたはそんなに人気があったのでしょうか。
1、映画俳優ランキング。
映画スターで誰が好きかは言えません。恥ずかしいですが、思い切って声を出せば、鶴田浩二でしょうか。映画『総長賭博』の鶴田を三島由紀夫がほめたからです。「おめえが言う、任侠道はどうなるんでぇ?」「任侠道か・・・そんなもの俺にはねぇ・・・俺は、ただの、ケチな人殺しなんだ・・・」。
鶴田浩二と山口三代目田岡一雄の関係もいい。さらに岸恵子との恋物語もいい。そして学徒出陣、戦友への追慕が大きな影になり鶴田浩二の姿を際立たせています。・・・でも所詮、大人の知恵です。
本当は誰が好きだった?高倉健です。私はそんなこと、これぽっちも思っていませんが、客館的に見て、高倉健と言わざるを得ません。池袋の文芸座地下で『網走番外地』シリーズを見ました。タバコの煙が充満する、オールナイトでした。そしていつも♫『唐獅子牡丹』♫を口ずさんでいました。
会社に入り、希望と配属先を聞かれたとき、私は毅然として答えました。この会社にお世話になることに決まりました。わがままは言いません。なんでもやります、便所掃除でもなんでも。・・・笑いちゃいます。
2、『高倉健、その愛』
1)高倉健の旅支度・・・ジムのハードトレーニングだけでなく、朝食前の30分にストレッチメニューをこなす(『高倉健、その愛』p.94~95小田貴月 文芸春秋社)。真冬の滝行。日課の木刀の素振り(p.99)。滑舌の自主トレ。英語の早口(p.102)。
2)高倉健の体調管理・・・外出時のマスク。洗面室に割れ物を置かない。家具の角を削る。コーナーガードをつける。段差にラバークッション。足先までの室内履き(p.105~106)。
3)高倉健の精進・・・自分のスタイルを貫く、ファッションを追いかけるのではない(p.130)。「野暮な客は芸者に踊らせて酒を飲んでいる。粋な客は自分が踊って芸者を喜ばせる」(p.240)。映画のロケ現場で座らない。立って見ている(p.244)。「我が往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」(p.174~5)。
3、天皇と日本
♫義理と人情を秤にかけりゃ 義理が重たい男の世界 幼なじみの観音様にゃ 俺の心はお見通し
背中で泣いてる唐獅子牡丹♫ なぜ日本人は、高倉健に熱中するようになったのでしょうか。
「とめてくれるなおっかさん 背中の銀杏が泣いている 男東大どこへ行く」
1968年に東大生の橋本治が書いた東大駒場祭のキャッチコピーがあります。
ポスターには高倉健を思わせる若い男の諸肌を脱いだ姿が描かれていました。社会現象となります。
69年1月の東大安田講堂事件で全共闘の学生たちはバリケードの中で『唐獅子牡丹』を聞いていました。さらに70年11月の三島由紀夫事件で楯の会のメンバーたちも『唐獅子牡丹』に身震いしていました。
そしてもちろん、全国の週末深夜の映画館には、仕事の後のキャパレーのホステスとボーイ、飲食店の従業員が群がり、「健さん」の映画を楽しみしていました。
老いも若きも、男も女も、貴賎貧富も、高倉健という存在に熱中していました。しかもその人気は変わったものでした。誰もが他人事のように「健さん」の人気を語りました。その人気を背負っているのは自分とは思っていませんでした。
♫義理が重たい 男の世界♫ 義理とは世の道理です。日本人は誰に対して義理を果てしていなかったのでしょうか。何に対して義理を果たさなければならないと感じていたのでしょうか。
答は天皇です。天皇に対して、日本という国に対して日本民族として、義理を果たしていないことに、日本人みんなが責任を感じていました。しかしその情念のモヤモヤを、誰もはらすことができずにいました。
なぜなら、天皇や祖国への思いを述べることは許されなかった。日本では、皇室に否定的な「平和と民主主義」と、天皇の戦争責任を問う「天皇制ファッシズム論」が正義でした。
しかし戦後の日本を支えたふたつの正義は、まず『閉ざされた言語空間』(江藤淳 文芸春秋 1989年 初出は1982年から)によって、つぎに『失敗の本質』(野中郁次郎他 ダイアモンド社 1984年)によって、さらに『日本国記』(百田尚樹 幻冬社 2018年)によって粉砕されます。
高倉健が好き、だなんて言えるはずがありませんでした。なぜなら、高倉健は「平和と民主主義」によって封じ込まれた日本的情念のシンボルだったからです。日本的情念とは、天皇への帰順と、民族の誇りでした。でもあのとき、それに気づいている者は誰もいませんでした。