TED TIMES 2020-8 「Sapiens-3」2/17 編集長 大沢達男
「白色人種が科学的に優れている」、が20世紀になっても西欧社会の常識だった。以下は、『サピエンス全史』( ユヴァル・ノア・ハラリ 柴田裕之訳 河出書房新社)からの要約。
12、宗教という超人間的秩序
紀元前2000年前から登場した。農業革命の宗教的結果として、動植物は人間の対等のメンバーではなく資産になった。2000年に渡っての一神教洗脳で、西洋人は多神教を無知で子供じみた偶像崇拝だと、考えるようになった。多神教は「異端者」、「異教徒」を迫害しない。キリスト教徒は1500年の間に、同じキリスト教徒を何百万人も殺害した。仏教は神ではなく自然法則を信奉する。中心的存在はゴータマ・シッダールタ。王子ゴータマは29歳で王宮を抜け出し旅に出る。6年後解脱、涅槃の境地に達する。「苦しみは渇愛(欲望)から生まれる」がダルマの法則である。近代には自由主義、共産主義、資本主義、国民主義、ナチズムの自然法則の新宗教が台頭した。今日最も重要な人間至上主義の宗派は自由主義である。人間性、自由、「人権」を神聖であると信じている。「平等」とは一神教の信念の焼き直しに過ぎない。1930年代、西洋の超一流大学の学者たちは白色人種が科学的に優れていると信じていた。1960年代まで白人至上主義がアメリカ政治の主流のイデオロギーだった。人間至上主義の信条と生命科学の成果は巨大な溝を開けている。自由で永遠な魂を科学者は発見できない。人間の行動は自由ではなく、ホルモン、遺伝子、シナプスで決まる。生命科学と法・政治学科の壁はもはや維持できない。
13、歴史の必然と謎めいた選択
交易と帝国と宗教で、サピエンスはグローバルな世界に到達した。無数の枝分かれを経て一本の歴史の道がある。例えばローマ帝国のコンスタンチヌス皇帝はイエスを選んだのだろうか。マニ教、ミトラ教、ゾロアスター教、ユダヤ教、仏教もあったのに、わからない。歴史が行う選択を説明できない。しかし歴史の選択は人間の利益のためだけになされるのではない。文化は一種の精神的感染症あるいは寄生体で、人間はその宿主になっている。この考え方を「ミーム学」と呼ぶ。生物の進化が「遺伝子」の複製であるように、文化の進化も「ミーム」の文化的情報単位の複製である。歴史のダイナミックスは人類の環境を向上させていない。
14、無知の発見と近代科学の成立
近代科学は、最も重要な疑問に関して集団的無知を認めている。生物学者は脳がどのようにして意識を生み出すか説明できないことを認めている。物理学者は何が原因でビッグバンが起こったかわからないことを認めている。近代は、社会的政治的秩序を安定させるために二つの非科学的方法に頼ってきた。1)科学的な説を選び、絶対的な真理だとする方法。ナチズムは生物学的事実の必然として人種政策を、共産主義者は経済の絶対的真理としマルクス・レーニン主義を主張した。19世紀までは軍事面での革命は組織上の変化の産物、それ以降は戦車、原爆、スパイ・ハエ、多種多様な軍事テクノロジー。科学研究は宗教やイデオロギーと提携した場合にのみ栄えることができる。
15、科学と帝国の融合
1768年にロンドン王立協会は、金星の日面通過観測のために、ジェームス・クック船長が指揮する遠征隊をタヒチに送った。遠征隊はオーストラリア、ニュージーランドを訪れ1771年に帰国した。クックは16~18世紀にかけて200万人の水夫の命を奪った壊血病を、船にザワークラフトを積むことで解決した。だがクックはオーストラリアを初め「発見した」島々をイギリス領にした。そして以後100年で先住民の人口は9割も減少した。タスマニアの先住民は皆殺しにされた。科学と帝国主義は区別できない。1775年アジアは世界経済の8割を担っていた。世界の権力の中心がヨーロッパに移ったのは1750~1850年にかけてで、1900年までにはヨーロッパは世界の領土の大部分を押さえていた。ヨーロッパの帝国主義者は新たな領土とともに新たな知識を獲得することを望んだ。15世紀の明朝の鄭和は、300隻の艦隊で、インドネシア、スリランカ、インド、ペルシャ湾、紅海、東アフリカを訪れた。しかし訪れた国を征服したり植民地にしなかった。ヨーロッパ人は特別である。探検して征服したい、無類の飽くなき野心があった。近代ヨーロッパ人にとって、帝国建設は科学的事業で、科学の学問領域の確立は帝国の事業だった。医療、教育、鉄道、用水路、正義、繁栄、帝国主義者は、大規模な搾取事業ではなく、非ヨーロッパ人種のための利他的な事業だと、主張した。だが帝国は死や迫害、不正義を世界に広めた邪悪な怪物である。そして科学も邪悪な目的で使われた。ヨーロッパ人はどの人種より優れているため、彼らを支配する権利を持っている科学的証拠を提供した。そして今、「人種差別」の代わりに「文化主義」が使われている。血統だと言わずに文化のせいだと言う。