創業者に学ぶことで、明日の「朝日」が見えてきました。

TED TIMES 2020-38「朝日新聞」 6/1 編集長 大沢達男

 

創業者に学ぶことで、明日の「朝日」が見えてきました。

 

1、『最後の社主』

村山美知子(1920~2020)という方が、この3月に亡くなられました。聞き慣れない言葉ですが、朝日新聞の「社主」(しゃしゅ)と呼ばれていました。「社主」とはオーナー。事実、村山美知子は朝日新聞の36.5%を保有する筆頭株主でした。

村山美知子は朝日新聞を創業した村山龍平の孫、龍平の娘・於藤(通称・藤子)の子として生まれ、高級住宅地である神戸・御影(みかげ)の6000坪の住居に住む、お嬢さんとして育ちました。オーナーとして朝日新聞の論調にあれこれ指図し、影響を与えたわけではありませんが、様々な文化事業を行い、その財力と権力を誇示してきました。

村山美知子を追悼する『最後の社主』(樋田毅 講談社)が出版されました。この本の中には、日頃抱いている朝日新聞の疑問への答えがあります。リベラルとは? 平和憲法とは? 戦後民主主義とは? 村山美知子に学び、明日の「朝日」を展望してみます。

 

2、村山美知子

村山美知子は日本のクラック音楽に途方もない貢献をしています。

1)カラヤン

まずびっくりするのは『最後の社主』のグラビアページにある写真です。カラヤンと並んで話しながら歩いているではないですか。その上にはバーンステインと話している写真もあります。

1958年に日本で初めての2700席を誇る音楽ホール「フェスティバルホール」が大阪・中之島に完成します。東京タワーと同じ年、東京文化会館より3年早いオープンです。朝日新聞が所有する朝日ビルディングです。当時の「朝日」の社長は美知子の父・村山長挙でしたが、美知子の意志が強く働いたものです。翌年から美知子のプロデュースによる大阪国際フェスティバルが始まり(第1回だけは「大阪国際芸術祭」)、現在まで続いています。

そこには美知子が選んだ世界の名だたる音楽家が来日しています。

カラヤンベルリン・フィルを率いてなんと3回も大阪国際フェスティバルに来日しています。カラヤンフェスティバルホールの音響を絶賛しました。奇跡は、外国に出ないといわれる「バイロイトワーグナー・ファスティバル」を呼んだことです。

第30回のプログラムには辛口の音楽評論家・吉田秀和が大阪国際フェスティバルを絶賛する文章を寄せています。

<自分で好きで勝手に始めた事業。そして私利私欲とは正反対に損するのに決まっている事業。そういうものを長年続けた。(中略)こういう人に、満幅の敬意を表します>(p.98)。

2)才能

美知子は財力と権力のパトロンではありませんでした。音楽の才能にあふれたプロデューサーでした。

甲南高等女学校5年生だった美知子は北原白秋作詞の『遂げたり神風』に曲をつけています。シングルレコードのB面が山田耕作作曲だというのですから、大したものです(p.52~3)。「神風号」とは東京→ロンドン間を最短時間で飛行した朝日新聞の社機です。

美知子の才能は招聘する演奏家選びでも発揮されます。若い才能をギャラが安いうちに呼ぶ、その目に狂いはありませんでした。ですから美知子の元には世界中の演奏家からのデモテープが送られてきていました。<(美知子が)招いたソリストにまず間違いはなかった>(梶本音楽事務所梶本尚靖社長 p.101~2)。

才能を示す素敵なエピソードがあります。2013年新装なったフェスティバルホールで指揮者の井上道義が大阪フィル全員を集め、村山美知子一人のだけのためのコンサート開きます。ベートーベンの序曲「コラリオン」。演奏を終えて井上が聞きます。「ホールの音はいかがでしたか?」。美知子「そうね。ちょっと響きすぎね」。そして井上は説明します。今日はお一人だけですが、観客が入ると音を吸収してくれてちょうど良くなります。そして美知子も笑顔でうなずきます(p.244~5)。

3)小澤征爾

世界の小澤征爾も若い頃は美知子の世話になっています。1957年24歳でフランス・ブザンソン・コンクールで優勝した小澤は、日本に帰っても若造扱いで仕事がありませんでした。美知子は大阪フィルで小澤を起用します。それが日本での活躍の足がかりになり、NHK交響楽団の指揮をやるようになります。しかし小澤はそこでも喧嘩。ボイコットされます。小澤は失意のまま、日本を離れます。7年後1969年、小澤はトロント・シンフォニーを率いて凱旋公演、大阪国際フェスティバルで指揮をします(p.91~2)。

小澤は美知子に頭が上がりませんでした。2017年小澤征爾は、死の3年前の美知子に病院を訪れ、号泣します。「感謝しても、感謝仕切れない」(p.268~9)。

 

3、神道、茶道、芸道

村山美知子の私生活を象徴するものが3つあります。神道、茶道、芸道です。○神道朝日新聞の朝刊、夕刊が届けられると、まず皇祖と先祖が祀られている祭壇に備えられ、1時間後初めて美知子が目を通します。そして邸内の小さな社「祖霊社」に毎日お参りする。檜皮葺(ひわだぶき)の本格的な社で20人程が社殿内に入れる広さがあります。○茶の湯。村山家では毎年村山龍平の命日に合わせ大々的な茶会が開かれます。藪内流(やぶのうち)です。○芸道。香雪美術館。村山邸に隣接して美術館があります。一般にも公開されている堂々たる日本古美術のコレクションがあります(本来は「芸道」ではなく「美術」とすべきだが、美知子の音楽活動、本業の新聞発行も加えて、芸や美の体系、芸道とした)。

美知子の人格形成に大きな影響を及ぼした神道、茶道、芸道は、すべて創業者村山龍平に由来するものです。どんな企業でも、創業者は極めて重要な位置を占め、企業の精神を決定し、経営の未来に影響を持ちます。

 

4、村山龍平と上野理一

朝日新聞は、1879年(明治12年)に木村平八、謄(のぼる)によって創刊されますが、1881年に村山龍平と上野理一に経営権が譲られ、実質的な創業者は村山・上野とされています。

村山龍平(りょうへい 1850~1933)は、伊勢国田丸(三重県度会郡玉城町)の武家の人です。田丸とは伊勢神宮の隣町です。伊勢神宮とはもちろん天照大神が祀ってある、全国の神社を統べる神社です。村山龍平の神道信仰、村山邸に神棚、社(やしろ)があるのは、その影響です。見逃せないのは、村山の父、守雄が師弟に文学を教え、藩学の設立に加わったほどの優秀な国学者であったことです。

時代は江戸から明治へ。やがて村山家は大阪に出て、引取屋(輸入業)を始め、龍平は22歳で家督を引き継ぎ、商売の街・大阪でメキメキと頭角をあらわし、「朝日」の経営にタッチするようになります。

次に村山龍平は、美術蒐集家でした。明治初期は欧米化の時代でした。西洋は優れている、日本は遅れている。日本の美術品は海外に流出していました。龍平は憂い、日本を東洋の美術品を守ろうとしました。刀剣、仏画、古画の蒐集から、やがて茶道具に辿り着き、茶道家、数寄者(すきしゃ)になります。数寄者とは茶道を愛し芸道を愛する者です。茶道の薮内家とは利休ではなく武家古田織部に由来する流派です。号を香雪、村山邸に隣接する香雪美術館は、村山龍平美術館の意味です。(村山龍平については、『月刊神戸っ子』2018年4月号を参考にしました)。

上野理一(1848~1919)は、丹波国篠山町西町(兵庫県丹波篠山町)の生糸商に生まれました。藩校で渡辺措(ふっそ)に学んだとあります。渡辺は水戸藩藤田東湖を交流しています。藤田とは水戸学です。藤田は本居宣長国学に学び、尊王攘夷の思想的な基盤を築きました。村上の父も上野の師も国学です。国学とは「やまとごころ」です。皇室を将軍家より上に置きます。そして上野もまた、「有竹」を号とする、数寄者でした。

村上と上野は、単なる歴史的人物ではありません。岡倉天心から受け継いだ美術雑誌『国華』を、日本最古の雑誌として、現在でも朝日新聞出版から発行させています。

つまり朝日新聞の精神の背骨には、リベラル、平和憲法、民主主義と対立するような、神道、茶道、芸道があります。

 

5、村山長挙

朝日新聞は現在では「リベラル、平和憲法 民主主義」の新聞ということになっていますが、かつては「国民を戦争にあおり立て、国民を戦争に動員した」新聞として批判されています。それは日清・日露戦争から始まるとされています。

1905年日露戦争終結のための「賠償金ゼロ」のポーツマス条約が結ばれます。その時、朝日新聞は「大々屈辱」、「講和憤慨」、「日本政府自ら自国民を侮辱するに当たる」と書きます。そして日比谷焼打事件に発展します。<「新聞社(メディア)が戦争を煽り、国民世論を誘導した」事件であり、「新聞社に扇動された国民自らが戦争を望んだ」そのきっかけになった事件でもあったのだ>(『日本国記』百田直樹 p.324~325 幻冬社)。そして敗戦にまで進みます。

たしかに村山・上野の朝日新聞は、日清・日露で発行部数を伸ばしています。しかし日本は新聞の力で、議会政治でも、経済発展でも、文化の発信力でも西欧に追いつくことができています。日本は世界でもまれなクオリティ・ペーパー(良質な新聞)が大発行部数を競う国になりました。英国も米国も発行部数が多いにはゴシップとエロのタブロイド紙です。変な表現でが、新聞のおかげで日本は世界と戦争できる国にまで成り上がった、ともいえます。

そもそも村山・上野には、商売として新聞事業しか頭にありませんでした。ふたりは西洋かぶれの民主主義者ではなく、国学を精神的な支柱に持つ、洒脱な数寄者でした。

もし朝日新聞に責任が問われるすれば、「戦争ネタ」から「平和ネタ」にビジネスモデルを転換した戦後です。問題は、戦争の前も後も、「朝日」を率いた村山長挙(ながたか1894~1977)です。

長挙は、美知子の父ですが、村山龍平の娘・藤子と結婚した婿養子です。旧岸和田藩主・岡部長職(ながもと)の三男で、長兄・岡部長景は東條内閣の文部大臣で、三菱財閥岩崎弥太郎の娘と結婚しています。長挙は、1920年朝日新聞に取締役として入社(考えられない)、1933年に朝日新聞社会長、1940年社長に就任し、戦争推進の論調を指揮しました。終戦。1945年朝日新聞の戦争責任ということで長挙は退陣、47年には公職追放で社主からも追放されます。しかし1951年社主にさらに会長に復帰しています(ありえない)。「戦争ネタ」を商売にしたのは許されますが、同じその人が、手のひらを返して「平和ネタ」でも商売しているとなると、それは人のすることではない。長挙を村山家の人とは呼べません。『最後の社主』では長挙を<口数の少ない温厚な紳士>と紹介しています(p.31)。もちろん長挙は美知子の父で、テナーでアリアを口ずさむほどのオペラファンでした。美知子の活動を支えたことを否定しませんが・・・。

 

6、昨日、今日、明日

<人権、人間の尊厳、法の支配、民主主義ー(中略)これらの言葉は、西洋近代が打ち立てた普遍的な理念として、今日に生きる><(自民党改憲草案には)「和を尊び」「美しい国土を守り」(中略)日本の「固有の文化」や「良き伝統」へのこだわりが、前文を彩る><この草案にせよ、現政権のふるまい方にせよ、「普遍離れ」という点で、世界の憂うべき潮流と軌を一にしていることはまぎれもない>(朝日新聞2020年・令和2年元旦社説)。

村山龍平と上野理一の昨日の「朝日」の創業者は、この社説を読んでなんと思うでしょうか。二人は言います。「これでは新聞は売れない」。「商売がわかっていない」。今日の「朝日」の論説委員は創業者を無視しています。歴史と伝統に学んでいません。創業者の精神、神道、茶道、芸道により、明日の「朝日」を展望します。

1)まず、リベラリズム自由主義)より、「神道」です。

人権を主張するリベラリズムは白人キリスト教徒による帝国主義です。1930年代の西洋の超一流大学の学者たちは、白色人種が知能が高く、倫理的で技能が優れていることを証明する研究を発表していました(『サピエンス全史下』 p.38~9 ユヴァル・ノア・ハラリ 柴田裕之訳 河出書房新社)。<白人至上主義は少なくとも1960年まで、アメリカ政治では主流のイデオロギーであり続けた>(同 p.39)。リベラリズム聖典とされる米国の独立宣言(1776)はいかさまです。もちろん日本民族蔑視の平和憲法もです。人種偏見だけではありません。人権のリベラリズムキリスト教)は自然破壊をし、地球環境を危機の陥れ、解決することができません。人権と平等のリベラリズムの時代は終わりです。山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)。八百万の神を祈る神道の時代です。

○明日の「朝日」は、環境破壊の地球に、人権のリベラリズムを捨て、自然崇拝を提案します。

2)つぎは、平和憲法より、「茶道」です。

1945年8月5日終戦、1946年11月3日発布、1947年5月3日施行の日本国憲法は、どのような献身的な日本人の尽力があろうと、GHQ製です。戦争状態が終わるのは1952年4月28日です。新憲法のおかげで平和が守れたの主張も、疑問です。世界から戦争は消えています。人類にとって危険なのは、火薬より砂糖です。2012年、糖尿病の死者150万人、戦争の死者12万人、砂糖のほうが戦争より危険です(『ホモ・デウス』 p.27 ユヴァル・ノア・ハラリ 柴田裕之訳 河出書房新社)。さらに日本国憲法には日本人がいません。茶道とは、「和」、「敬」、「清」、「寂」。わび、さび、色即是空、空即是色です。そして茶道とは禅です。禅とは知ではなく智慧です(『禅と日本文化』 鈴木大拙著 北川桃雄訳 岩波新書)。憲法改正は数寄者によって行われるべきです。

○明日の「朝日」は、バイオテクノロジーとデジタルテクノロジーの時代に、人類とロボットの和を提案します。

3)そして、民主主義より「芸道」です。

日本の文芸、美術の根本には、皇室があります。日本語の成り立ちには、『万葉集』、『古今集』、『新古今集』、『源氏物語』が大きな力になっています。いずれも天皇が主役です。美術も同じです。埴輪、正倉院聖徳太子の仏像、狩野派、現在の皇居の絵画、皇室があります。皇室伝統の下にある日本文化は、正邪、善悪、好悪の問題ではなく、歴史的な現実です。そして民主主義にも天皇があります。主権者と人民の契約、その絶対性を保証するのが、西欧では神、日本では天皇です(『奇跡の今上天皇』 p.92~3 小室直樹 PHP研究所)。天皇の存在が立憲政治を可能にしています。文化の主催者としての天皇(『古事記及び日本書記の研究』 p.10~46 津田左右吉 毎日ワンズ)のもとでの立憲政治。つまり芸道を通しての民主主義です。

○明日の「朝日」は、AI(人工知能)に仕事を奪われ、BI(Basic Income=基礎的な給付金)で暮らす人々に、生きる意味と歓びを提案します。

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東京の朝日新聞の題字の背景には桜があります。それは江戸時代の国学者本居宣長の和歌にある山桜を象徴としたものです。1889年、東京朝日新聞創刊からの伝統です。今日の「朝日」のリベラル、平和憲法、民主主義の主張は、それを忘れています。昨日の「朝日」の村山龍平も、上野理一も、そして村山美知子も、それでは明日の「朝日」がないと、嘆いています。

「敷島の大和心を人問はば朝日ににほう山ざくら花」 (本居宣長

 

END