『ドン・ジョバンニ』は素晴らしい。けど、私は遅れてきた「プレイボーイ」。

TED TIMES 2020-58 「ドン・ジョバンニ」 10/19 編集長大沢達男

 

ドン・ジョバンニ』は素晴らしい。けど、私は遅れてきた「プレイボーイ」。

 

1、昭和音楽大学

小澤征爾らを育てた斎藤秀雄の指揮法があります。スラー(音をつなげて演奏する)とスタッカート(音を短く切って演奏する)をはっきりとさせること、これは一曲の中ではもちろんのこと、演奏会全体の構成にもいえます。そしてもうひとつ、「誠意」を持って観客に音楽を届けすること。レストランで食事を届けるときに、さあ食え!ではなく、どうぞ召し上がれ、丁寧にテーブルに並べることです。

オペラ『ドン・ジョバンニ』(モーツアルト)を昭和音楽大学のテアトロ・ジーリオ・ショウワ(10月10日)で聴きました。格安のチケットの中でさらに安い3階席、それも舞台に迫り出した上手寄りの一人席で見ました。長年の知恵で、演奏者に一番近い席で見るのがよいが、私の流儀、やはり絶好の席でした。最初の音が鳴った時にわかりました。指揮者の松下京介のほぼ真上、横顔がわずかに見える位置です。オーケストラのアンサンブルが、湧き上がるように聞こえてきました。いい音です。興奮しました。スラーとスタッカート、OK。さらに横からの位置ですので、松下の表情と、演奏者への指示が手にとるように見えました。松下は誠心誠意、音楽を観客に届けようとしていました。

2、3人の女性

ドン・ジョバンニ』は、ドン・ジョバンニが快楽のために3人の女に手を出す、プレイボーイの物語です。3人とは、ドンナ・エルヴィラ、ヅェルリーナ、ドンナ・アンナです。どの女がよかったか。

まずドンナ・エルヴィラ(仁戸部桃子)。最近ドン・ジョバンニと別れた別れたばかりのドンナ・エルヴィラは「大輪の花」。いきなり、自分を捨てた男への恨み辛みを歌います。第1幕No.3のアリアです。あの人でなしが、どこにいるのか、彼を恥ずかしいけど、私は愛してしまって(『ドン・ジョバンニ』 p.29 小瀬村幸子訳 音楽之友社)。仁戸部は、3人の中では一番、1番鳴っていました。いい声です。しかしエルヴィラの心境は複雑です。拒否するけれど、体はジョバンニに引きつけられています。「怨念の愛」、そのニュアンスは難しい。

つぎにヅェルリーナ(来崎寛未、くるさきひろみ)。ただいま恋愛中の田舎娘ヅェルリーナは「蕾の花」。 聴かせどころは第2幕N.18アリア「薬屋の歌」です。ドン・ジョバンニに傷つけられた恋人マゼットを抱きしめいたわる歌です。よく効くお薬、私はあんたにあげたいのそれってなにか香油みたいで、あたしの体の中にあるの、だからあんたにあげてもいいのよ♬(p.111)。来崎は、本公演がデビュー。歌詞は歌えていますが、意味は歌えていません。彼を愛しながらなおも他の男性に惹かれる。「不倫の愛」。エロがありません。

そしてドンナ・アンナ(木村有希)。今まさに彼と結婚に向けて準備中で、ドンナ・アンナは「満開の花」。第二幕のエンディング近く、アンナは結婚を急ぐ彼をなだめるために歌います。第二幕N.23ロンドです。あなたはどれほどわたくしがあなたを愛したかをよくお分かりです、あなたはわたくしの真心をご存知です。あなたの苦悩をお鎮めください♬(p.145~6)。発声と歌唱のテクニックが問われる難関曲です。昨年デビューの木村は見事に歌い切りました。しかし父殺しの男に父替りを求める「背徳の愛」を歌えたでしょうか。

だれに一番惹かれたか。それは内緒。ただ言えるのは、日本人がイタリア語の歌う不思議さ、そしてボディランゲージの違和感がありました。

それは、コロナ感染症対策のためにファイスガードをつけて歌う不自由さを考慮しても、否定できませんでした(勿論、困難な開催をした関係者の努力には、敬意です)。

3、近代西欧文明

男性ではただひとり、騎士長(田中大揮)が印象に残りました。プレイボーイを断罪した、悔い改めよ、生き方を変えよ(p.160)。田中は意味を歌いました、説得力がありました。

ドン・ジョバンニ』の初演は1787年。私たち250年前の西洋音楽にいまだに心を奪われています。そして経済学でも1776年のアダム・スミスの『国富論』がトップに、さらに政治思想では1776年のアメリカ合衆国独立宣言が影響力を持っています。 しかし昨年(2019年)、近代西欧思想は「白人帝国主義」であると書いた『サピエンス全史』(ユヴァル・ノア・ハラリ 河出書房新社)のベスト・セラーになり世界は動き始めました。

悔い改めよ、生き方を変えよ。このメッセージは、単なるプレイボーイへの告発ではなく、西洋音楽の楽典(Music Grammar)への疑義、音楽・経済・政治、近代西欧文明への警告になっています。