TED TIMES 2020-63「筒美京平」 11/23 編集長大沢達男
「謎」の筒美京平、あなたはやはりプロ中のプロでした。
1、新しい音楽
ボクたちは「キョウヘイさん」と呼んでいました。キョウヘイさんの新しさに敬意を表していました。正確に言うと、「新しさ」というより、「湿っぽくないドライだ」、「醤油味でない塩こしょう味」、「コブシじゃないビートがある」、が魅力でした。『影を慕いて』の古賀政男ではない、『港
町ブルース』の猪俣公章でもない、『別れの一本杉』の船村徹でもない、新しい作曲家、世界基準の音楽を感じていました。
キョウヘイさんって、すごいよね。ボクは広告代理店のCMプランナー、ボクたちとは打ち合わせにくる音楽プロダクションのプロデューサー、映像の演出家でした。キョウヘイさんを評価できる、それだけで勲章でした。お前らのセンスじゃ、わかんねえだろう。優越感に浸っていました。でも、誰もキョウヘイさんを知りませんでした。一緒に仕事をしたり、打ち合わせしたことがありませんでした。キョウヘイさんはお見かけしたこともない、謎の人でした。
2、私の好きなベスト5
1967年の『バラ色の雲』(ヴィレッジ・シンガーズ)があります。ある打ち上げで、誰かがカラオケで歌いました。バンド経験者です。やたらかっこよかった。それですぐにこの曲を自分のレパートリーにしました。♬君はやさしく 涙をふいていた♬のところがいい。ビートルズの『今日の誓い(Thing We Said Today)』です。♬Someday When I’m Lonely♬です。
1968年の『ブルー・ライト・ヨコハマ♬』(いしだあゆみ)があります。ボクは横浜の大学の出身です。OB会で歌います。カラオケのいしだあゆみの生映像はかわいすぎます。♬歩いても歩いても小舟のように♫ちょっぴり、演歌が入るのがオツです。『カラーに口紅』(コニー・フランシス)です。♬This is What I Saw♬です。
1971年の『また逢う日まで』(尾崎紀世彦)があります。ダイナマイトの尾崎の声量です。僕も声量ではなく、でかい声を出せます。だから歌います。♬ふたりでドアを閉めて♬負けず嫌いです。『ディライラ』(トム・ジョーンズ)です。♬My My Delilah♬です。
1971年の『17才』(南沙織)があります。『夢見るシャンソン人形』(フランス・ギャル)です。アメリカの音楽とは違います。物語があります。違うビートです。
1975年の『ロマンス』(岩崎宏美)があります。ヒロミちゃんの歌唱力にだまされてはいけません。これは日本にはなかった新しい曲です。『誓い(You Make Me Feel Bland New)』(ザ・スタイリスティックス)です。♬You Make Me Feel Bland New♫です。
キョウヘイさんパクっている。そんなことを言っているのではありません。キョウヘイさんは時代を読んでいる、そしてその時代の空気の中でトップを走っている、ことを言いたいのです。
3、仕事師
なぜキョウヘイさんはすごいのか。理由は三つあります。まず、母親の影響で東京・赤坂の霊南坂教会幼稚園に通っていたこと。そこでピアノを弾き始めます。キョウヘイさんの音楽の骨格には賛美歌、西洋音楽があります。つぎに、才能の作曲家であったことです。「いち早く新譜をまとめ買いして聴きあさり、それらを参考にして斬新な曲を作った」(日経10/13)。「彼と一緒に仕事をする時は、最先端の音楽や風俗を勉強して打ち合わせに出かけた。しかし彼の勉強量もすさまじかった」(酒井正利 日経10/19)。「勉強」という言葉いやらしい。東京の街に敏感に反応する、それを才能と呼びます。ビズネス・パースンの酒井は回想します。「京平さんは芸能界になじまない、孤高の人だった」。つまり、変人だった。「ぼくのような職業作曲家は、好きな音楽を作ることが役割ではなく、ヒット曲を作ることが使命」(『文藝春秋2020.12』 p.437)。才能は、恥ずかしがって、テレています。
そして第3。青山学院大学卒業であることです。荒木一郎(1944~)、桑田佳祐(1956~)、尾崎豊(1965~1992)、そして筒美京平(1940~2020)。かっこいい人ばかりです。青学がなぜミュージシャンを出すのか。多分、街でしょう。渋谷、青山、原宿が才能を育てる、その伝統は、キョウヘイさんが作りました。