漱石、潤一郎はモテた。子規、荷風はモテなかった。ただそれだけのこと。

TED TIMES 2021-20「正岡子規」 5/14 編集長 大沢達男

           

漱石、潤一郎はモテた。子規、荷風はモテなかった。ただそれだけのこと。

 

1、俳諧大要

1)絵画、彫刻、音楽、演劇、詩歌、小説・・・美の標準は同じものである。美は比較的なものでしかない。

2)美の標準は人によって違う。同じ人でも時によって違う。3)俳句は四季の題目を歌う。四季の題目がないものを雑という。

○修学第一期

1)巧を求めるな。拙を恐るれるな。他人に恥ずかしがるな。2)人に見せろ。先輩に見てもらえ。初心は俗気を離れて、いい場合もある。3)紙に書け。時候の景物を詠め。

4)古今の俳句を読め。自分の句と他人の句を並べてみろ。5)一題十句。一題百句。一時間に数十句。数日で一句。

6)事物をありのままに詠む。古池に蛙が飛び込んでチャプンと音がしたのを、芭蕉は聞いて、古池や蛙飛び込む水の音、を詠んだ。

7)ただただ自分が面白いと思うものを作るがいい。できるときはできるにまかせ。できないときはできないにまかせる。8)朝顔に釣瓶取られてもらひ水(千代)。俗気が多くて、俳句とはいえない。

結論。ありのままの事物をありのままに連ねる。

○修学第二期

1)5000~10000首以上詠んだら第二期。古人の句を見ても、自分の句を見ても、あらましの評論ができるようになる。なんとなく、自己の心中に、頼むところがあるように感じる、これが第二期である。

2)壮大雄渾。あら海や佐渡に横ふ天の河(芭蕉)/稲妻や海のおもてをひらめかす(史邦)/嵐吹く草の中より今日の月(吉)/五月雨や大河を前に家二軒(蕪村)/蟻の道雲の峰より続きけり(一茶)

3)繊細精緻。草刈りて菫選り出す童かな(鴎歩)/杜若しぼむ下から咲きにけり(自友)/草の葉や足の折れたるきりぎりす(荷号)/埋火に年よる膝の小ささよ(呎尺)

4)理屈は理屈で文学ではない。生きて世に人の年忌や初茄子(几菫)。こうした句には、作るに熟練、見るにも熟練が必要である。

5)たるむとたるまぬがある。たるむとは緩んでしまらないこと。たるまぬとは言葉が緊密で、一字も動かすことができぬものをいう。名詞はしまる。「て、に、は」はゆるむ。

6)山川草木を材料にしてはならない。山川草木に美を感じた時に、山川草木を詠むべきである。

7)空想か、写真か。汽車の旅はダメ。靴、下駄もダメ、草履。洋服より笠、脚絆。一人旅。8)芭蕉は自白して「我に富士、吉野の句なし」と言う。本当である。

○修学第三期

俳諧の大家をめざすものだけが入ることができる。よって省略。

2、寒山落木

蛇逃げて山静かなり百合の花/御手の上に落ち葉たまりぬ立仏/人桶の藍流しけり春の川/花散って水は南に流れけり/城跡や大根花咲く山の上/くらべ馬おくれし一騎あはれなり/秋立つとさやかに人の目ざめけり

朝寒やたのもと響く内玄関/行く我にとどまる汝に秋二つ/夕焼けや鰯の網に人だかり/柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺/しぐるるや紅薄き薔薇の花/帰り咲く八重の桜や法隆寺/元旦の人通りとはなりにけり/

三味線を掛けたる春の野茶屋哉/五月雨や假橋ゆるぐ大井川/蚊を打って軍書の上に血を流す/美服して牡丹に媚びる心あり/野の道や童蛇打つ麦の秋/腹に響く夜寒の鐘や法隆寺/長き夜や孔明死する三国志/

あるが中に最も愚なる案山子哉/冬されや狐もくはぬ小豆飯/8人の子供むつましクリスマス/日かがやく諏訪の氷の人馬哉

3、俳句稿

小夜更けて雛の鼓の聞えけり/犬が来て水のむ音の夜寒哉/雪残る頂一つ国境/江の嶋へ女の旅や春の風/林檎くふて牡丹の前に死なん哉/稲妻や一本杉の右左/赤き林檎青き林檎や卓の上/

大三十日愚なり元旦猶愚なり/陽炎や石の仁王の力瘤/けしの花大きな蝶のとまりけり/(日本近代文学体系 正岡子規集 角川書店