江戸・本所で生まれた葛飾北斎は、世界に誇れる史上最高の画家ではないでしょうか。

TED TIMES 2021-33「葛飾北斎」 8/19 編集長 大沢達男

   

江戸・本所で生まれた葛飾北斎は、世界に誇れる史上最高の画家ではないでしょうか。

 

1、富嶽三十六景

たとえば、葛飾北斎の代表作、世界で最も知られている日本絵画「神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)」を、よく見てみましょう。

富嶽三十六景」のなかのひとつの風景画ですが、たんなる風景画ではありません。絵の中央のやや右に、雪をかぶった富士山が見えますが、どこから見た富士なのかわかりません。

神奈川沖とタイトルにありますから、港が見える公園か、本牧の沖でしょうか。それにしても、画面の左てっぺんから崩れ落ちる巨大な波はなんでしょう。東京湾は波おだやかです。そして波にほんろうされる船、押送船(おしおくりぶね=鮮魚を江戸に運ぶための快速の小型荷物船)は、つぎの瞬間には沈没してしまいそうです。巨大な波、船、遠くに見える富士、そして上空の雲。北斎は現実の風景を描写したのではありません。4つの要素を、カッコよく、コンポジションしただけです。

たとえば、赤富士(あかふじ)、正式名、「凱風快晴(がいふうかいせい)」を、見てみましょう。画面の右半分にスリムな赤い色をした富士山があり、画面の左半分に豊かな裾野が広がり、そのうえに白い雲がたなびいています。これも実はどこから見た富士かはわかりません。「凱風快晴」には地名がありません。専門家の鑑定も、山梨県三つ峠から、または東海道の吉原宿から、あるいは沼津から、とバラバラです。赤富士とは夏の富士、赤茶けた地肌を描き、通俗的な雪の富士を避けたものです。

2、風景画と人物画

風景画といえば、モネの「印象・日の出」です。あるいはセザンヌ、「サント・ヴィクトワール山」です。人物画といえば、ルノワールです。「少女イレーヌ」、「ピアノ前の少女たち」です。そしてピカソです。「アルルカン姿のパウロ」、「腕を組んで座るサルタンバンク」です。

しかし世界の巨匠でも、風景画と人物画をともに描いた画家はいません。決定的なのは、史上最強の画家・天才ピカソに、風景画がないことです。

ところが、わが葛飾北斎には、「富嶽三十六景」と「富嶽百景」という風景画だけでなく、「北斎漫画」という人物画があります。「北斎づくし」(生誕260年記念企画 特別展 東京ミッドタウンホール 2021.7.22~9.17)は、余すところなしに北斎の異才を証明しています。

北斎漫画」には全15編(冊)があります。その13編皮をなめしている3人の職人がいます。中央には座り込んで、糸を口にくわえ皮を縫っている職人、手前では左右に別れたふたりの職人が膝をついて、なめしの棒を持った手を振り上げています。ダイナミックな構図、筋肉の動き、骨格をどう使っているかがわかるデッサンです。その4編。「浮腹巻(うきはらまき)」と題する、水中での人の動きを描いた作品があります。水に潜っていく、水中で宙返りをする、水の中の馬につかまって前に進む、普通ではありえない人間のポーズが描かれています。そしてこれらの人物画は、相撲を取る力士のさまざまなポーズで頂点に達します(「北斎漫画」11編)。たった一本の線で、肉体の複雑で美しい動きを、表現しています。このような人物画をいままでだれがものにしたでしょうか。レオナルド・ダ・ヴィンチ以外思いつきません。しかしレオナルドに風景画はない。

3、職人

「七十前に画く所は 実に取に足ものなし 七十三歳にして稍(やや)禽獣虫魚の骨格 草木の出生を悟り得たり」。北斎73歳とは、「北斎漫画」の11編、「富嶽三十六景」の出版当時です。11編とは力士の絵です。そして「富嶽三十六景」では恐るべき作品を残しています。

甲州三坂水面(こうしゅうみさかのすいめん)」。河口湖に映った富士です。これは風景画の概念を超えています。まず、御坂峠(三坂)からこの景色は見えない、湖畔からの眺めです。つぎに、富士が湖水に写った逆さ富士をを描いていますが、実際の頂上と写った頂上の位置がずれています。そして、実際の富士は夏なのに、写った富士は冬の富士です。画面の最上部には藍の太い帯が、最下部には透き通るような浅葱(あさぎ)が、同じ絵具で描かれています。河口湖の湖畔に立ち、何日も富士を見て過ごしましたが、想像だに出来ない絵です。モンドリアンのようなコンポジションアンディ・ウォーホールのようなコラージュです。

葛飾北斎は、芸術家でも画家でもなく、画工ないし職人でした。北斎と同じ日本の国で、同じ東京・本所で、職人の子供として生まれたことに感謝します。がんばらなくちゃ。