TED TIMES 2021-36「イスラム教」 9/10 編集長 大沢達男
欧米の常識、報道からでは、イスラム世界はわからない。
1、トルコ行進曲
モーツァルトのピアノソナタ第11番(k331)があります。この曲の第3楽章に「トルコ行進曲」と呼ばれる部分があります。なぜトルコ行進曲なのか。その訳を初めて知りました。1529年と1683年にオスマン・トルコ軍はウィーンを攻撃します。当時のヨーロッパは野蛮、トルコは世界に冠たる文明国でした。トルコ軍は軍楽隊があり歩兵は音楽に合わせて整然と行進していました。ヨーロッパ人はトルコ軍を見て驚きます。そしてヨーロッパにも行進曲というジャンルができ、1778年(もしくは1783年)のモーツアルトのピアノソナタが誕生することになります。同じように「ウィンナー・コーヒー」があります。当時のオーストラリア人はコーヒーなんて見たこともありませんでした。豊かなトルコではコーヒーを楽しむ習慣がありました。トルコ軍が撤退した後、見慣れぬ焦げ臭い黒い粉を見つけます。火薬か。それが「ウィンナー・コーヒー」の始まりです(『イスラム言論』 p.373 小室直樹 集英社インターナショナル)。
21世紀の現在、西欧キリスト教社会はイスラム教社会を見下していますが、イスラムは1000年以上にわたって世界史の中枢でした。ヨーロッパのゲルマン人は汚い野蛮人でしかありませんでした。
2、十字軍
なぜイスラム教徒に反米感情があるか、西欧のキリスト教徒に反発するか。「十字軍コンプレックス」があるからです。イスラエルは7世紀以降、聖都としてエルサレムを支配下に置いていました。ところが1099年野蛮なキリスト教徒は、異教徒に奪われた聖地を取り戻せ、と十字軍を送り出します。わずか二日間で数万のムスリムが老若男女の区別なしに殺されます。1187年ハッティンの会戦で英雄サラディンにより、エルサレムは奪還されます。さらに1244年に十字軍によりエルサレムはキリスト教徒のものになります。ムスリムは3世紀にわたり十字軍との戦いに翻弄されます。
その間、野蛮はヨーロッパ、文明はイスラムでした。「零」の概念を発展させ、アラビア数字を開発したのはアラブ人です(p.148)。アラブ人は識字率ほぼ100%、たいしてカトリックは僧侶にしてもギリシャ語はおろかラテン語も読めないのが普通でした(p.353)。さらに、9世紀のバクダッドには150万人の住民に数万の公衆浴場がありました。対して近代以前のヨーロッパ人は1年に数回の入浴。アラブ人は、「汚きこと、クリスチャンのごとし」と言っていました(p.344)。
3、イスラム教
イスラム教はキリスト教とは違います。武力や暴力を用いて異教徒に改宗を迫ったことはありません(p.33)。イスラム教は、ユダヤ教、キリスト教の不合理や欠陥を徹底的に研究して生まれた宗教で、教理は整理されていて合理的です(p.23)。対してキリスト教徒は異教徒を殺すことに罪の意識を持ちませんでした(アメリカ先住民の大虐殺、奴隷の海中投棄、原爆投下)(p.6)。十字軍によって実際行われたことと言えば、強盗、強姦、略奪など、殺戮に次ぐ殺戮です(p.184)。
「十字軍コンプレックス」にイスラム教徒の心に塩を塗り込むようなことをしたのが1990年の湾岸戦争です。米軍は、サウジアラビア、イスラムの聖地、メッカ、メディナに進駐しました。十字軍以上のショックでした(p.443)。 白杵陽<日本中東学会> は、ネット上に「米は聖地を犯す『新十字軍』」で、ムスリムはアメリカ軍の前ではむしけら同然である」と、ビンラーディンのジハードの論理を紹介しています。
「イスラム原理主義」という言葉があります。原理主義(ファンダメンタリズム)はキリスト教にみに見られる言葉で、イスラム教には起こり得ない、宗教知らずが生み出した言葉です(p.437)。また「イスラム過激派」という言葉も間違いです。コーランに戻れ、マホメットに戻れ、ならば、イスラム教には初期から過激派は存在しました。今に始まったものではありません(p.322)
同時多発テロの実行犯は、「狂信者」「ならず者」ではなく、留学生、高い知性の持ち主です。アッラーのための戦い、聖戦(ジハード)で倒れた者は、死んだことにならない。いや、生きているのだ。コーランにはそう書いてあります(p.317)。
以上、『イスラム言論』(小室直樹)からです。書かれたのは2002年3月31日、同時多発テロの直後です。「かりにアメリカが今回の『テロ戦争』において勝利を得たとしても、それは束の間のものでしかない」(p.447)と結ばれています。小室博士の予言は20年後にすべて的中しています。学問とは恐ろしいものです。