日本には、天皇陛下がいらっしゃいます。それが歴史で伝統です。

TED TIMES 2021-43「天皇」 11/1 編集長 大沢達男

 

日本には、天皇陛下がいらっしゃいます。それが歴史で伝統です。

 

1、大衆天皇

「『大衆天皇制』の崩壊」(御厨貴 林真理子 文藝春秋2021.11)で、御厨貴松下圭一の「大衆天皇論」を取り上げ、評価しています。戦前の「絶対天皇制」は臣民の皇室に対する「畏怖」を支配の基盤にしていた、戦後の「大衆天皇制」は皇室への「親愛」の情に支えられている。大衆天皇制は美智子上皇后に象徴されるが、令和に来て、今や大衆が天皇制そのものを無視している、「大衆天皇制」は崩壊しようとしている、御厨の提案に従い皇室の本質論議、「天皇家は何のために存在するのか」「現代における象徴天皇制の意味は」、を考えてみます。

議論を始める前に「天皇制」という言葉に注意しておきましょう。「天皇制」は1932年のコミンテルンで「天皇制打倒」と初めて使われるようになった訳語で、共産主義者の用語です。本来なら皇室伝統とでも言うべきものです(「皇室伝統」谷沢永一 PHP研究所)。

2、天皇

天皇と皇室は、英国のヴィクトリア王朝(1837~1901)、ウィンザー王朝(1917~)、フランスのブルボン王朝(1589~1792 1814~1830)などの西欧の王室と比べることはできません。

天皇は、神話時代の天照大神から神武天皇(西暦紀元前660年2月11日即位)の始まり、現在の126代天皇徳仁)まで万世一系で現代にまでつながっています。

海行かば 水漬くかばね 山行かば 草むすかばね 大皇の 辺にこそ死なめ かへりみは せじ」(大伴家持 万葉集

日本人は、忠によって日本国民となり、忠によって生きがいを感じ、全ての道徳的根源を見出してきました。尊皇精神は日本人を動かす最も力強いものです。

「山はさけ海はあせなむ世なりとも君に二心我あらめやも」(源実朝)。歴史上のどの支配者も天皇への忠誠の気持ちに変わりはありませんでした。

「何事のおわしますをばしらねども忝(かたじけな)さの涙こぼるる」(西行法師)。日本に8万以上ある神社は、祭祀の精神と儀式の中心になってきました。

万葉集そして古今、新古今の勅撰和歌集の中心にはいつも天皇がありました。そして世界最古の小説といわれる『源氏物語』にも天皇は帝として登場してきます。

私たちが普段使っている日本語の中心には、天皇があります。日本語の特徴である、敬語、尊敬語、丁寧語は、天皇の存在により生まれました。

天皇は良いか悪いかではありません、天皇の権威は、その時代の権力者に認められ、日本語としてそして神社として日本民族の日常にありました。まして制度ではありません。

「御歌所の伝承は、詩が帝王によって主宰され、しかも帝王の個人的才能や教養とほとんどかかわりなく、民衆詩を「みやび」を以て統括するといふ、万葉集以来の文化共同体の存在証明であり、独創は周辺に追いやられ、月並みは核心に輝いている。民衆詩はみやびに参興することにより、帝王の御製の山頂から一トつづきの裾野につらなることにより、国の文化伝統をただ「見る」だけでなく、創ることによって参加し、且つその文化的連続性から「見返」されるという栄光を與られる」(『文化防衛論』三島由紀夫全集33 p.398)。

なんという美しい文章でしょう。天皇天皇を中心にした共同体が余すところなく、論じられています。

3、基本的人権

憲法14条 全ての国民は、法の下に平等であって、人種、信条、社会的身分又は門地のより、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」日本国憲法では、国民に天皇は含まれません。「憲法1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」と天皇基本的人権の例外とされています。しかしこの憲法は無理です。改正されるべきです。大日本帝国憲法は、「第3条天皇ハ神聖二シテ侵スヘカラス」、こちらの方が遥かに理にかなっています。

日本は欧米流の基本的人権とは違う価値観を持つべきです。西欧の個人主義とは、人間はバラバラな個体であり、各人が理性を持っているアトム(原子)的世界観です。対して日本人は和です。全体の中に分を以て存在し、行を通じて一体を保つ、大和です(『日本国家の真髄』佐藤優 p.124 産経新聞社)。