安倍総理を評価すれば右翼、安倍晋三を悪く言えば良識派、そんな日本が悲しい。

THE TED TIMES 2022-33「安倍総理」 9/18 編集長 大沢達男

 

安倍総理を評価すれば右翼、安倍晋三を悪く言えば良識派、そんな日本が悲しい。

 

1、コミュニケーション

安全保障、外交、アベノミクス・・・さまざまな安倍総理の実績のなかで、あまり注目されていないのが、安倍総理のコミュニケーション能力です。

スピーチとプレゼンテーションとは、政治家のコミュニケーション活動のなかで、一番重要なものです。

コミュニケーションで最悪だった総理がいます。国際会議で聴衆にアイコンタクトができず、空の彼方を見ながら演説をし、原発事故の時に技術者に向かって<俺は原発の基本はわかっている>と怒鳴りつけた人です。

名前をあげるのも憚(はばか)れます。単一民族・単一言語、身内だけのコミュニケーションで育ってきた私たちには他人事ではありません。安倍総理にコミュニケーションを学ばなければなりません。

2、プレゼンテーションとスピーチ

1)2013年9月 ブエノスアイレス

IOC総会のプレゼンテーションで日本は、マドリード(スペイン)、イスタンブール(トルコ)を破り、2020東京オリ・パラリンピックの開催地に決定しました。

何を主張したか。まず、東京はアジア40億人が住む玄関口。オリンピックはプライムタイム放送され、史上最大の大会になる。つぎに、フクシマに懸念はない。私(安倍総理)が保証する。そして、すべてのプレゼンターがパワー・オブ・スリー(3の力)で、3点に要約して話しました。

英国人ニック・バーリーの指導で、安倍総理とプレゼンターは涙ぐましい努力をしました。安倍総理と東京はプレゼンテーションの力で勝利しました。すべての日本人のお手本になるものです。

2)2007年8月 インド国会(「魂の名演説」 『ありがとうそしてサヨナラ安倍晋三元総理』月刊 Hanadaセレクション 飛鳥新社

インドと日本の関係は、自由で開かれたインド・太平洋です。1655年のムガルの王子ダーラー・シコーの「二つの海の交わり(Confluence of the Two Seas)」の書名を借り、そのことを伝えるためにインド国会にまいりました。

日本人は知っています。アショカ王の治世からマハトマ・ガンジーの不服従運動に至るまで、インドの精神史に寛容の心が脈々と流れいるのを。そして皆さまインドの人々が、一木一草に命を感じ、万物に霊性を読み取る感受性の持ち主であることを知っています。

インド洋と太平洋という二つの海が交わり、新しい「拡大アジア」が形をなしつつあるいま、両国は友情を深めていかなければなりません。

日本人は「パラタナティアム」「カタック・ダンス」のインド舞踊に驚きます。ダンサーと演奏家の絶妙な同調です。インドとも日本もそのようなパートナーでありたいと願います。

*これは「自由で開かれたインド・太平洋」の嚆矢となる歴史的な演説です。「つかみ」でのインド人の心の捉え方が非常にいいです。

3)2015年4月 米連邦議会上下両院合同会議(「魂の名演説」 『ありがとうそしてサヨナラ安倍晋三元総理』月刊 Hanadaセレクション 飛鳥新社

私とアメリカの出会いは学生時代にお世話になったキャサリン・デルーフランシア夫人です。亡くなったご主人のことを「ゲーリー・クーバーより男前だったのよ」と言っていました。ここに妻・昭恵がいますが、私のことをあえて訊きません。

やがて就職しニューヨーク勤務になります。上下のない実力主義、地位・年功にかかわりなく意見を戦わせる、この文化で育った私は先輩議員から「アベは生意気だ」とずいぶん言われました。

いまここにローレンス・スノーデン海兵隊中尉がいます。70年前中隊を率い、硫黄島に上陸しました。そして隣に新藤義孝国会議員。彼のお祖父さんこそ、栗林忠通大将・硫黄島守備隊司令官です。

熾烈に戦いあった敵は、心の紐帯を結ぶともになりました。歴史の奇跡です。

戦争の後、焦土と化した日本に、ミルク、セーターが米国市民から届きました。山羊も2036頭やってきました。

米国による自由な戦後経済によって最大の便宜を得たのは日本です。そして日本は米国と民主主義国で冷戦に勝利しました。日本を成長させ繁栄させた、この道しかありまsん。さらに太平洋とインド洋の広い海を平和の海にしなければ、なりません。

2011年3月11日。日本を地震津波原発の事故が襲いました。高校生時代に聞いたキャロル・キングの歌があります。「落ち込んだ時、困ったとき、目を閉じて、私を思って、私は行く、あなたのもとに。たとえそれが、あなたにとっていちばん暗い、そんな夜でも、明るくするために」。日本のいちばん暗い夜に、米国は未曾有の規模の救難作戦を展開してくれました。私たちにはトモダチがいました。

アメリカと日本の「希望の同盟」で、世界をもっとはるかに良い場所にしようではありませんか。

*これも「いい男」のユーモアでの「つかみ」がいいです。エンディングでキャロル・キングを持ち出し、最後は感覚に訴えるのも、高等戦術です。

3、戦後レジーム

スピーチやプレゼンテーションがうまいと言うと、日本人は軽く見る傾向にあります。でも結局は語る中身です。中身がいいから説得力も生まれます。

安倍総理は口先だけの人ではありません。その思想、国家像でも優れています。

安倍総理は親米以上に愛国者です。その証拠が「戦後レジーム(体制)からの脱却」です(『約束の日 安倍晋三試論』 小川榮太郎 幻冬舎)。

安倍総理は、2006年(平成18年)9月に発足しわずか1年で退陣しますが、その間に教育基本法改正、防衛庁の省昇格、憲法改正のための国民投票法の制定など、戦後の日本を支えてきた根幹を変えました。

教育基本法には「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに」の一文を入れました。

最終目標はもちろん占領軍が作った「日本国憲法」の改正、自主憲法の制定です。

吉田松陰がいます。幕末、欧米列強に平身低頭して皇室を軽んずる幕府に業を煮やし、尊皇の気概を元手に、開国、通商大国への歩むべきである。「江戸幕府ジーム」からの脱却を主張しました。

三島由紀夫がいます。日本は自己決定権をうしなったまま平和と繁栄を貪っている。どうして自分らを否定する憲法というものにペコペコするんだ。「日本国憲法」からの脱却を主張しました。

「終わりなき敗北から、日本が、自立した国家の物語を取り戻し、希望を取り戻す日が、一日も早く訪れることを」(前掲 p.208)、

その願いがかなう日は、安倍晋三の死によって、遥かに遠のきました。

吉田松陰(1859年 死刑 29歳没)、三島由紀夫(1970年 自決 45歳没)、安倍晋三(2022年 銃撃 67歳没)。