THE TED TIMES 2022-34「現代思想」 9/25 編集長 大沢達男
『構造と力』(浅田彰)は1983年、『現代思想入門』(千葉雅也)は2022年、もう騙されません。
1、現代思想
現代思想とは、60~90年代のフランスの構造主義のことで、ポスト構造主義、ポストモダン思想も含みます。
具体的には、ジャック・デリダ、ジル・ドゥルーズ、ミッシェル・フーコーの思想です。
現代思想を学ぶことで、複雑なことも単純化しないで、考えられるようになります(『現代思想入門』 千葉雅也 講談社現代新書 p.12)。
1)現代思想で、世界の細かな凹凸をブルドーザーで均さず、見ることができます。2)現代思想は、秩序からずれるもの、「差異」に注目します。3)現代思想は余計なものをクリエイティブなものとして肯定します。4)デリダは「概念の脱構築」、ドゥルーズは「存在の脱構築」、フーコーは「社会の脱構築」です。
2、ジャック・デリダ(1930~2004)
概念の脱構築とは、二項対立、二つの概念の対立を捉えて良し悪しを留保することです。二項対立を揺さぶることです。
パロールとは、話し言葉、じかに真意を伝えるもの、本質的なもの、自然です。
エクリチェールとは、書かれたもの、間接的だから誤解される、非本質的なもの、文化です。
自然(パロール)と文化(エクリチェール)は、相互に依存し合っており、主従が入れ替わり続ける。その意味で自然にせよ文化にせよ、パルコマン的(薬でも毒でもあるもの)に両義的なものだと捉えることができる(p.34)。
3、ジル・ドゥールーズ(1925~1995)
ドゥールーズは、秩序から逃れ、自由な外部で新たな関係性を広げ、自分の殻を破って飛び出していくことを、励ました哲学者です。
1)リゾーム(根茎)とは、横につながって多方向な関係性のことです。ネットによって皆が発言権をもつこと、でもこれは管理社会を到来させてしまいました。世界は差異でできている。同一性より差異が先です(p.61)。
2)アクチュアル(現働的)とは同一的なものが並んでいることです。ヴァーチャル(潜在的)とは二者の間にうごめいている関係性です。
自転車と私がありますが、二つは一つのハイブリッド、サイボーグ的に一体化しています。バラバラに存在しているものでも、実は背後で見えない糸によって絡み合っています(p.64)。
3)すべては途中、本当の始まりや本当の終わりはありません(p.67)。一つの求心的な全体性から逃れる自由な関係があります(p.76)。
自由な関係が増殖するかのがクリエイティブ。自由であるから全体化されず常に断片的でつくり替えることが自由です(p.76)。全体から逃れていく動きは「逃走線」です(p.76)
4)国家とノマド(遊牧民)。ノマドとは戦争機械、自由。国家的、領土的に攻撃性に対抗するもので、不良的、ヤンキー的なものです。
非コミュニケーションの空洞や断続器を作り上げ、管理から逃走することです。
フーコーは、権力と被支配者の二項対立を揺さぶりました。被支配者は支配されることを望んでいて、権力を下から支える構造があります。
問題になるのは、近代的な個人です。
権力の三つのあり方があります。王権の時代、規律訓練の時代(18~19世記)、生政治の時代(18世紀から)です。
1)古代の「自己への配慮」は、あくまでも自己本位で罪責性に至らないように自己管理することでした(p.101)。
2)近代的個人は、異常な者にならない自己統治から誕生します(p.103)。キリスト教的に、自分は罪を犯してしまうのではないかという、反省をします(p.103)。
3)結論。「飲みに行きたきゃ、行けばいいじゃん」(p.107)。世俗的自由を生きること。古代的なあり方をポストモダン状況に対する逃走線とすることです。
5、「新しい」現代思想の構想
1)他者性の原則(p.178)
現代思想から排除されているものがあります。それは日本です。
まず現代思想には、自然と文化(人間)の対立があります。これは自然破壊の原因なった西欧キリスト教世界での考え方です。日本では「山川草木悉皆成仏」、人も自然もみな、仏になります。
つぎに現代思想には、個人が中心のアトム(原子)的世界観があります。日本には個人を超える共同体があります。
さらに、現代思想はパロール(話し言葉)とエクリチェール(書き言葉)を対立させます。フランス語のエクリチェールは貧弱で、アルファベットの26文字です。
日本語には平仮名、片仮名、漢字、100文字プラス何千、数万文字があります。書道もあります。エクリチェールを、非本質的と、軽く見ることはできません。
現代思想から、「日本」は、取りこぼされています。二項対立は「日本」で脱構築できます。
2)超越論性の原則(p.178)
日本を排除しないためには、超越論的レベルでの皇室が必要になります。
日本の始まりは、『古事記』、『日本書紀』です。日本は神の国です。人間は一人ひとり、生まれながらにして「完全に自由」で「完全に平等」、これは白人ジョン・ロックの思想で、キリスト教的自然法の思想です。
共同体とは、「皇国の皇国たる所以、人倫の人倫たる所以」(吉田松陰 『物語日本史 下』 平泉澄 講談社学術文庫p.128)と、語られるもののことです。
3)極端化の法則(p.179)
天皇は慈愛を持って日本の人々をしあわせにしてきました。「しらす(知らす)」で、人は国と一体化します。「うしはく(うし=主人)、はく(履く=所有する)」。西洋流の力による統治ではありません。
万葉集、数々の勅撰和歌集、そして新年の歌会始。天皇は日本文化、そして共同体の核にあります。
『構造と力』の浅田彰は、「日本はいまだに共和制への革命ができていない(・・・からダメだ)」という発言をしました。これは、歴史に法則が、歴史には発展段階があるという、基本的にマルクス主義の西欧中心の考え方です。
千葉雅也も日本人であるにもかかわらず、自由、自由と大騒ぎをする白人帝国主義者(ものまね)です。日本人は、家族、先祖、皇祖と結びついて生まれます。
新たな現代思想は日本人によって構想されなければなりません。
***
千葉雅也には感謝します。膨大なコンテンツの解説を読み、あっという間に、現代のインテリになれたような気がしました。
千葉雅也の根本的な問いは、「芸術的に生きるとは」であるようですが、それは成功しています。
『現代思想入門』はうまく書けているし面白い、才能を感じさせる本です。彼の小説が、たくさんの文学賞にノミネートされているのが、その証拠です。
ともかく「現代思想」とは、この新書版1冊で、おさらばです。
『構造と力』の時には読むことを勧めてくれた友人、故・笠井雅洋(矢代梓)がいました。しかしいま、周辺に「現代思想」について語れる友達がいません。
それと私は、自由と平等のリベラリズムの空間ではなく、祭祀共同体の日本人として生きています。
「今朝もまた 麻生不動に 手を合わせ 皆の幸福 祈る幸せ」
達男
以上。