THE TED TIMES 2022-37「乙川弘文」 10/17 編集長 大沢達男
スティーブ・ジョブズと乙川弘文、そして禅。
2006年のスタンフォード大学卒業式でのジョブズのスピーチのエンディングは、”Stay hungry , Stay foolish.”。それは ”The Last Whole Earth Catalog and The Whole Earth Epilog”、「ホール・アース・カタログ」の1974年の最終号の最終ページに書かれている言葉でした。
ぼくは、「いつまでもハングリーでね、いつまでもおばかさんでね」と、日本語にしましたが、これは禅の言葉でした。
「愚(ぐ=おろかもの)の如く、魯(ろ=でくのぼう)の如し」。一つのことを選んで、バカのようにやりつづけることです。ジョブズは禅の影響を受けていました。
だれに学んだか。それが乙川弘文(おとがわ ちの こうぶん)です。
『ズティーブ・ジョブズの禅僧 宿なし弘文』(柳田由紀子 集英社文庫)は、ジョブズと弘文の関係者に綿密にインタビューし仕上げた労作です。
柳田さんに拍手を送ります。お疲れさまでした。
というのは1963年生まれの柳田さんはジョブズより、8歳若く、ヒッピー・ジェネレーションとは20年近く離れています。
ウッドストックは1969年、アップルの創立は1976年、よくぞ想像力の羽を拡げたものです。
それも柳田さんが、米国人のパートナーを持ち、米国に在住だからできたことだと思います。
「弘文が渡米した60年代後半のこの国は、ヒッピーとフリーセックスの真っ只中。女だって積極的にアプローチしたし、みんながセックスをしまくっていたんです。」(p.153)。
駒沢大学から京都大学で学び、真面目一本槍だった乙川弘文が、ヒッピーの影響受け、禅の教えに背き、次から次へと女に手を出すようになります。
「あの時代、日本人僧侶は信じられないくらいモテたんです(中略)女性たちから積極的迫られて、抵抗できなかったのでしょう」(p.42)。
なんということでしょう。私たち、男性のすべては職業選択を間違っていた、としか言いようがありません。
「ヒッピー世代が登場するまでキリスト教一辺倒だったアメリカにあって、禅は伝統と真逆の”反体制文化”、カウンターカルチャーそのものだったのです。」、「『コンピューターを通じて世界を変革する』という思想。これは、管理社会に反発するヒッピー特有の反体制思想からくるものです。」(p.208)
「スティーブは何をしたらいいのか、どう生きるべきなのかがわからなくて、真剣に師(メンター)を探していたんだよ。(中略)弘文を見た途端に、『この人だ!』と閃いたんでしょう。」(p.142)。
スティーブと弘文は、なんとも説明がつかない、衝撃的な出会いをします。
親しくなると弘文はジョブズにとんでもない迷惑をかけています。
「ある時、弘文と彼女が日本に行くというので、スティーブが、引き落とし先を自分に設定したクレジットカードを渡したらしい。ところが二人ときたら、日本で目の玉が飛び出るような金額を使ってしまい・・・」(p.167)。
・・・そしてジョブズは激怒、まあ聞いていられない話ですが・・・。
2、乙川弘文
禅には二人のスーパースターがいます。乞食僧(こじきそう)として清貧な生活を送った良寛と、風狂と呼ばれる破天荒な人生を送った一休です。
乙川弘文は、「日頃は良寛さん、こと女に関しては一休さん」、その二人だと言います(p.376)。
弘文の教養は、並のお坊さんとは比べようもありませんでした。
禅には、ウイズダム(智慧)とパワーがあり、スティーブ・ジョブズは弘文のパワーに憧れました。弘文には超能力、先を見通す力がありました(p.125~6)。
弘文は僧侶でなく、詩人でした(p.170)。
山中のキャンプで弘文は、体が埋まるほどの薪を集めてきました。「そんなに集めなくても・・・」の問いに、弘文は「後から来た人が重宝するよ」と答えました。自分のことより他者に思いを馳せる人でした。
また友人の「人助けは、どうすることがベストだろう?」の問いに、弘文は「笑わせてあげることだよ」と答えました。
しかし、再婚の長女タツコ・オトガワは「できることなら父とも呼びたくない」と、父を憎んでいました(p.315)
弘文は2002年64歳で、スイスで溺れる娘を助けるために飛び込んだ池で、娘の摩耶(5歳)とともに溺死します。
その一部始終を聞いた寶慶寺(ほうきょうじ)の田中真海老師は、「地獄に堕ちたんだ、弘文さんは自ら”願って”地獄に堕ちたんだ」と、語りました(p.336)。
3、禅
あなたはすでに仏陀です、と禅は教えます。
「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」、すべての人は仏さまとして力を持っています。
「即心是仏(そくしんぜぶつ)」、人間はうまれながらに仏性を持っています。
キリスト教の神のように、人を見下ろす存在ではありません(p.118)。
「仏陀の教え、法(ダルマ)を見るとは、我が身を見ることである」(p.308)
座禅とは、要するに何も起こらない。ただ円を描くように呼吸をすること。月、星、太陽、風、海、すべてはあなたの肉体の一部です(p.327~8)。
弘文は女人に対して、二度三度と失敗を繰り返しています。
田中深海老師は売春禁止法制定以来、女性の更生のために婦人補導院で社会復帰のために働いています。社会復帰できるのは、100人に1人いるかいないか。
それでも坊主は、たった一厘の社会復帰にかけて、務めを果たします(p.344~5)。
「人の三大煩悩は、食、寝、性、これらのブレーキをかけるのが『行(ぎょう)』。
弘文さんは『行』をしっかり見つめていません。ですが反対に、本能に正直に生き本質をつかもうとした、と言えるのではないでしょうか」(p.347)。
乙川弘文は、ヒッピー時代の禅僧でした。
あの日に帰りたい。そして禅僧としてカリフォルニアに生まれ変わりたい。
煩悩無限誓願断
法門無量誓願学