THE TED TIMES 2022-43「宮本洋一」 12/15 編集長 大沢達男
清水の宮本さんに学びます。建築のことは現場に入らなければ、わかりません。
1、宮本洋一
清水建設会長の宮本洋一さんが、日経の「私の履歴書」(2022.11.1~11.30 日経)を書きました。
読んで感動しました。建築現場に入ったような経験をして、ものづくりの基本を知ったように感じたからです。
建築は、予算と期間を守り、設計図を実現するために、様々な業種の人が力を合わせて、完成させることを知ったからです。
そして、もし工事に間違いがあったら、金と時間がかかる大変なことですが、壊してやり直します。
建築とは何なのかを学べました。さらに宮本洋一さんは、日本の数少ないエリートだと、思いました。
2、さまざまなキーワード
1)清水建設
清水建設の創業は、文化元年(1804)。日光東照宮で大工の修行を積んだ21歳の清水喜助が江戸の神田鍛冶町で仕事を始めた年です。
その後江戸城西丸の造営工事に参加、幕府御用に。ペリー来航後は、外国奉行所などの幕府御用の建築工事、諸外国発注工事を手掛け、洋風建築の技術習得に力を注ぎます。
二代目喜助は明治維新以降に、初の洋風ホテル「築地ホテル館」、「三井組ハウス(後の国立第一銀行)」などの洋風建築を手がけます。
その後渋沢栄一が相談役になります。
渋沢は、官工事主体の御用商人ではなく民間工事中心の「定用工事(小さな仕事)も親切丁寧に」、と諭します。これに初代喜助からのモットーを加え、清水建設の社是は、「顧客第一主義」、「出入り大工の精神」になります。
2)打設(だせつ)
打設とは、鉄筋を組み型枠を建て込んだところに、コンクリートを流し込む作業のことです。
やっかいなのは、事前に必要なコンクリートの量を計算し、生コン会社に打設の日時と数量を予約することです。
数量計算が難物です。
コンクリートが足りないと、作業に関わる全員を1時間も待たせ、「どうしてくれる」と詰め寄られます。コンクリートが余ると産業廃棄物に。今度は現場の所長に叱られます。
3)はつり
一度仕上がったコンクリートを削る仕事を「はつり」といいます。専門の職人がいます。もとの見積もり原価にはありません。余計なものを作ってしまったのです。
図面通りに出来上がる段取りをすることが肝心です。
逆に集めた職人に何の仕事をさせずに帰らせてしまうことも、起こり得ます。
工事現場は全てが事前の段取りで決まります。
「数量拾い」とは、設計図面を元に必要な鉄筋、型枠、生コンの数量などを拾い出すことで、それに単価を乗じて、建築費を弾き出します。
同じように「仮設見積もり」とは、作業の足場、クレーン、作業用エレベーターなど工事終了後に撤去する仮設設備の費用、そして工事期間中の電気代、水道料金などを加えたものです。
4)揚重(ようじゅう)
「揚重」とは、クレーンなどの重機を使って、建築資材や重量物を指定の場所と階に運ぶことです。
例えば東京都庁のような200メートルを超える高さになると、タワークレーの上下の所要時間15分、1時間に3往復、しかも強風で1ヶ月に7~10日間は使えません。
タワークレーンのオペレーションをいかに効率よく行うかが大きな意味を持ちます。
「揚重を制するものが現場の工程の死命を制す」といわれます。鳶、鉄筋工、型枠工、設備工、全ての職人の都合を把握し調整し、運行計画を組まなければなりません。
5)安震(あんしん)
「安震」とは、安心な建物を作りましょう、という清水建設の造語です。宮本名古屋支店副支店長時代にビルの外壁タイルが強風ではがれ前面道路に落ちるという事故が起きました。補修しても再発する可能性大。そこで化粧鉄板でタイル外壁を前面カバー。工費は1億円、清水建設の全額負担しました。
事故・不具合は「起こさないが一番」、「起きたらすぐ直す」、「二度と起きないようにする」が3原則です。
6)「出直して来ます」
宮本洋一九州支店長時代。社長決済のプレゼンテーションで「こんな甘い見通しの案件はあり得ない」と、却下されます。
宮本支店長は「分かりました。出直して来ます」と引き下がり、再度挑戦しOKをもらいます。
これが宮本流です。「帰れ」と罵声を浴びても「また伺います」、しばらくして「また来ました」で笑わせ、逆転してきました。
7)ものづくり
宮本社長時代。首都圏の超高層マンションでの施行ミス。工事途中でRC(鉄筋コンクリート)造柱の鉄筋が数フロアにわたって不足していることが判明します。
国土交通大臣の認定を得て修正工事します。
人が作る以上、不具合は発生する。間髪をおかずお客様に報告、正しく直す。これがものづくりの原点です。そして必要なのは、間違い不具合を発見するものづくりの「感性」です。
現場の工事長が現場を「見る」「観る」「察る」(いずれも「みる」)時間の確保です。
清水建設のコーポレートメッセージは、「子どもたちに誇れるしごとを」、「Today’s Work , Tomorrow’s Heritage」 。
3、真のエリート
宮本洋一さんは、田園調布中学から日比谷高校へ。
日比谷高校時代は親に見せたくない成績だったといいます。でも東大理科一類に現役合格。恐るべき日比谷高校です。
東大では東大音楽部コールアカデミー(男声合唱団)所属、1970年に欧州遠征をしています。
そして清水建設入社。社長を経て会長になりました。
しかし建築業界は、学歴だけがものをいうような、甘い業界ではありません。
それは、「天下の大学を出てこんなことも分からないのか」、「あいつ(宮本さん)、現場じゃ無理かもな」、「こんなことじゃあ宮本さん、偉くなれねえな」、「宮本とはもう仕事をしない」・・・という叙述にあらわれています。
この告白の背後には、その10倍の敗北が隠されています。
まず建設会社の工事事務所長は、鳶、ユンボ(油圧ショベル)、クレーン車、鉄筋、型枠・・・さらに塗装、タイル、ガラス、サッシ、設備、内装、電気、水道・・・様々な職人の集まりである数10人の男社会をまとめなければなりません。
職人はみな自らの腕一本で生きてきた人です。その同僚関係、上下関係は、暴力的というのは言い過ぎですが、厳しいものがあります。
つぎに所長は建築現場のオールマイティである必要があります。ユンボを扱える、鉄筋を組める、タワークレーンを使える、コンクリも扱える・・・もちろんある程ですが。
そして建築会社の中の人間関係があります。
宮本さんは直属の上司、同僚について多くを語っていませんが、苦労は想像がつきます。
宮本さんの181センチの長身は現場では有利に働きました。それも胆力もあったのでしょう。
建築業界、現場業界には一風変わった美風があります。
挨拶がわりに、自販機の缶コーヒーを1本渡すことです。
初めまして、ご迷惑をおかけしました、勘弁してください、またよろしく・・・この缶コーヒー一本が現場の人間関係をスムーズにしています。
缶コーヒー一本の挨拶は、ひょっとしたら宮本さんたちが生み出し、育てた美風かもしれません。
だとしたら、宮本さんは缶コーヒー一本で、真のエリートになったと言えます(笑)。