THE TED TIMES 2023-03「マリー・クワント」 1/15 編集長 大沢達男
マリー・クワントはスウィンギング・ロンドンの主役の一人と言われていますが・・・。
1、スウィンギング・ロンドン
「マリークワント」というブランドに親しみが持てません。
ファッション・デザイナーのマリー・クワント(Mary Quant 1930~)はミニスカートを発明し、ボブヘアを生んだ美容師のヴィダル・サスーン(1928~2012)とともにスウィンギング・ロンドンの主役と言われているのにです。
映画『マリー・クワント スウィンギング・ロンドンの伝説』(原題『QUANTO』 サディ・フロスト監督 2021年 イギリス)を題材に、その訳を考え、整理しておきましよう。
1960年代のストリートファッションの発祥の地はキングスロードのチェルシー地区です。チェルシー地区のファッションを着こなす女性をチェルシー・ガールと呼び、ロンドンはスウィンギング・ロンドンと呼ばれました。
それまで若者という概念は存在しませんでした。メンズ・ファッションといえばスーツ、女性ファッションはオートクチュール(高級仕立て服)でした。
そこにベビー・ブーマーたちが押し寄せてきました。若者たちは、大衆消費社会での経済力がありました。さらに若者たちは、ロック、レコード、CD、そしてテレビという新しいメディアで情報発信をしていました。
ロンドンではベビー・ブーマーたちを担い手にモッズ・ルックが生まれました。モダーンズ(モダニズム)を略してのモッズです。若者たちの反乱、低所得者(労働者階級)からの上流階級への反発です。
長髪、花柄、水玉などの派手な色彩、細身のスーツ、細身のシャツ、そして股上の浅いスリムパンツです。モッズ・ルックは世界に発信されました。
ミニスカートはマリー・クワントの発明とされていますが、チェルシー・ガールたちのファッションから自然発生した、つまり若者たちが発明したモッズ・ルックのファッションのひとつと考えた方がよさそうです。
ミニスカートに似合うボブヘアのヴィダル・サスーン(Vidal Sassoon 1928~2012)は、ロンドンで生まれ、ロスアンゼルスで死んでいます。
短いハサミでカットするショートボブは、女性はパーマとセットから開放し、ヘアスタイルとライススタイルの革命になります。その騒動は、「ミニの女王」ツィッギー(1949~)の1967年来日、前年のビートルズとともに、日本では事件として記憶されています。
ヴィダルは、5歳から11歳まで孤児院で過ごし、ないない尽くしで育ちました。14歳で美容師になっていますが、言葉がダメ。ロンドン生まれですが、貧しい地域育ち、なまりの強いコックニーという言葉を話しました。専門のボイストレーナーにつき、基礎から勉強しています。
そしてヴィダルはヘアドレッサーのビートルズになってアメリカに上陸、映画『ローズマリーの赤ちゃん』の主演女優ミア・ファーローのヘアをボクシング会場でベリーショートにカットするイベントを敢行し、話題を呼びました。
ヴィダルこそ、スウィンギング・ロンドンを代表するにふさわしい人です。
3、アレキサンダー
マリー・クワントというと並べて思い出されるのが、少し後の時代のヴィヴィアン・ウエストヘッド(Vivienne Westwood 1941~2022)です。
夫のアナーキストであるマルコム・マクラーレンとともに「セックス・ピストルズ」をプロデュースし、生涯にわたって政治的なパフォーマンスを続けてきました。
だからというわけではありませんが、ヴィヴィアン、その名前は亡くなったいまでも、ミステリアスに響きます。対してマリー・クワントの響きはおとなしすぎます。
マリー・クワントはウェールズの教育者の娘として生まれ、貴族階級出身のアレキサンダー・ブランケット・グリーンとアートスクールで出会い、結婚します。
映画に出てくるアレキサンダーは、いつもスーツにネクタイ、メチャメチャかっこいい。マリークワントの事業資金を出し経営に携わったイギリスの貴族階級とは何なんでしょうか。
「マリークワント」というブランドは・・・アレキサンダーの存在によって、ちょっと疑問になります。