ソフィア・コッポラの映画『プリシラ(Priscilla)』が好きです。

THE TED TIMES 2024-18「プリシラ」 5/3 編集長 大沢達男

 

ソフィア・コッポラの映画『プリシラPriscilla)』が好きです。

 

1、ソフィア

ソフィア・コッポラのファンです。映画『プリシラ』のベタほめをお許しください。

まず音楽がすばらしい。エルヴィスの映画だから、音楽がいいなんて当たり前だと思われるでしょうが、違います。

エルヴィスの曲(2曲か3曲あったかな・・・?)なんか出てきません。それもどうでもいいような使い方です(悪いとかひどいと言っているのではない)。

映画の始まり、プリシラ(ケーリー・スピーニー)登場のシーンには、フランキー・アバロンの「ヴィーナス」(1960年)が使われます。

そしてプリシラが、西ドイツを去ってしまったエルヴィス(ジェイコブ・エロルディー)に想いを寄せるシーンでは、「ラブミーテンダー」のメロディがピアノで流れます。

胸がいっぱいになり、涙を流してしまいました。

俗っぽい奴だと思われるかもしれませんが、ソフィア・コッポラ監督の作戦にはまっただけです。

監督は映画にリアリティを持たせるために、ドキュメンタリーのようなカメラワークを使います。

パーティー・シーンでは、人の集まりにカメラが飛び込んでいきます。

プリシラやエルヴィスに常識的なライティングをしません。ですから顔がシャドウになり、よく見えなかったりします。

関係ないのです。それが映画を現実っぽく、本当っぽく見せる・・・だからウブは泣いちゃう。

そしてプリシラのファッションがメチャ面白い。

エルヴィス好みになるために、プリシラはいろいろなファッションを、まるで着せ替え人形のように着せられます。

結婚式の衣装が印象に残ります。

プリシラのウディングドレスはシャネル。エルヴィスのタキシードはヴァレンチノ

オペラ『椿姫』を演出し、衣装を担当したソフィアの感覚が、ここでも光ります。

音楽の話に戻ります。

極め付きは、映画のラストソングです。

”I will always love you.”

If I should stay / I would only be in your way / So l’ll go, but I know 

I’ll think of you every step of the way / And I will always love you

I will always love you / You / My darling, you, mm, mm

(ここにいたら お邪魔なだけね だから出ていきます。でもどこでも心にはあなたのこと いつも思っています。いつも大好き あなた あなたが )

歌っているのはドリー・バートン、ヒットしたホイットニー・ヒューストンではありません。

これがいい。

「私は私の人生を歩む」、プリシラはエルヴィスと別れ、自らハンドルを握り、グレースランドを去り、映画は終わって行きます(プリシラケイリー・スピーニーベネチア国際映画祭最優秀女優賞)。

こんなおしゃれな映画のエンディング観たことがありません。ソフィアはホント、音楽の趣味がいいです。

 

2、プリシラ

映画『プリシラ』は、エルヴィス・プレスリーと結婚したプリシラ(1945~)の物語です。

1935年エルヴィス誕生。

1945年プリシラ誕生。

1954年 エルヴィス”That’s all right Mama” 録音。

1956年 エルヴィス”Heartbreak Hotel”発売。 映画 ”Love me tender”(やさしく愛して)

1957年 映画 ”Loving you” (さまよう青春) 、映画”Jailhouse Rock” (監獄ロック)

1958年 映画 ”King Creole” (闇に響く声 

1958年 エルヴィスはアメリカ陸軍へ徴兵。エルヴィスの母、グラディス・プレスリー死去。

1959年 14歳のプリシラと24歳のエルヴィスとの出会い。プリシラは父(米陸軍将校)の転属で西ドイツへ来ていた

1960年3月 エルヴィスは兵役終了。帰国。

1962年3月、エルヴィスはプリシラに電話し米国に呼び寄せる。

米国で学校を卒業することを条件にプリシラグレースランドでの生活が始まる。

1967年結婚。

1968年リサ・マリア・プレスリー誕生(1968~2023)。

1973年離婚。

1977年8月16日 エルヴィス・プレスリー死去。

1982年~1998年 プリシラ、観光地グレースランドをマネジメントするエルヴィス・プレスリーエンタープライズのCEO。

映画『プリシラ』の原作は『ELVIS and ME』(Priscilla Beaulieu Presley BERKLEY BOOKS, NEW YORK) です。

何も知らない14歳の少女が、スーパースターのエルヴィスと出会い、何か何までエルヴィス好みの女性に育てられます。

しかしプリシラがやがて、自分のヘアスタイルとは、自分のファッションとは、自分とは、自らのアイデンティティを問い、自らを確立していく物語です。

ガーリー・カルチャーの権威のソフィア・コッポラ(1971~)が14歳の少女プリシラプレスリー(1945~)に感情移入して作られた映画です。

 

3、エルヴィス

映画の中でエルヴィスの周りをいつもうろついているボディ・ガードのような5人の男たちがいます。

なんの説明もありませんが、「メンフィス・マフィア」と呼ばれる、エルヴィスの付き人です。

彼らは10代から亡くなるまでのエルヴィスと一緒にいました。メンフィス・マフィアはプリシラをどう見ていたのでしょうか。

まずマーティ・ラッカー。メンフィス・マフィアの顔役、エルヴィスのハイスクール時代からの友人です。

「例えばあんたが16歳の女の子の親だったとして、もし億万長者の成人男性があんたのところまでやってきて『あんたの娘のことがとても気に入った、彼女と一緒に暮らしたいんだ』と申しでたとする(中略)。

オレだった絶対にこう言うね。『ここからさっさと出ていけ!』」( 上 p.408)。

つぎはラマー・フェイク。メンフィス・マフィアでナンバー1の巨漢。1956年にエルヴィスの家の前をうろついていてメンバーになりました。

「エルヴィスは彼女を育てていたんだ。(中略)彼女は赤ちゃん言葉で彼を甘やかし、彼がいちばん好きなやり方で彼をなでるんだ。そして互いに赤ちゃん言葉で話し合う」(上 p.412)。

以上は、『エルヴィス・プレスリー メンフィス・マフィアの証言』 (アラン・ナッシュ 青林霞訳 共同プレス)から。

プリシラはエルヴィスの音楽に何か影響を与えたか。エルヴィスは何も変わりませんでした。

エルヴィスは、リズム&ブルースとカントリー・ミュージックゴスペル・ミュージックを融合し、ロックンロールを誕生させました。

エルヴィスは、マーロン・プランド、ジェイムス・ディーンによって生まれた若者ファッションの若者市場を確立しました。

エルヴィスは、黒人のように歌う白人として、既成の価値観に反抗し、人種の壁をぶち壊しました。

エルヴィス・プレスリーというロックンローラーの活躍は、アメリカ陸軍への入隊で終わっています。徴兵に応ずる反抗者なんていません。

1958年でエルヴィスはおしまい、それ以降、音楽・文化・社会の革命を起こすことはありませんでした。

映画『プリシラ』は、エルヴィスの歌と音楽を全く問題にしませんでした。ですから、逆説的ですが、ソフィア・コッポラは、エルヴィス・プレスリーの音楽をよく理解していると言えます。

冒頭にソフィアは音楽センスがいいと褒めました。私はソフィア・コッポラの映画が好きです。