個人的なイタリアの思い出と重なる、映画『エドガルド・モルターラ』。

THE TED TIMES 2024-20「エドガルド・モルターラ」 5/17 編集長 大沢達男

 

個人的なイタリアの思い出と重なる、映画『エドガルド・モルターラ』。

 

1、ファエンツァ

アイルトン・セナの時代でしたから、1990年頃の話です。

F1ミナルディティームの一員として、飛行機でドイツのフランクフルトからイタリアのボローニャへ移動し、クルマで小都市のファエンツァまで移動したことがあります。

飛行機はフェラーリランボルギーニミナルディのイタリア・ティームのチャーター便です。

なんでCMクリエーターの私がそんな光栄に浴したのか、当時ミナルディの日本人のスタッフの粋(いき)な計らいです。今となっては感謝しかありません。

今では「ミナルディ」を知っている人はいませんが、レッドブルティームに引き継がれている、と聞けばうなづけると思います。

ミナルディの本拠地だったファエンツァの城壁で囲まれたような広場のレストランで、ゆったりと過ごしたことがあります。

ビールと白ワインを飲んで、隣の席に座っていたイタリアのご婦人と、親しく話し込んでしまいました。

前夜、ミナルディのオーナー、ジャンカルロ・ミナルディと食事をしたとき、ジャンカルロはピザをナイフで端っこから切って食べていました。

そしてレストランの客はスパゲッティを食べるときにフォークひとつで食べていました。

私は見逃しませんでした。イタリアではピザに「タバスコ」なんてかけません。

翌日のその日の私はすっかりイタリア通になったつもりでいました。

イタリア語ができないのに、イタリアのご婦人と話し込む、それも2~3時間、不思議な時間でした。

ご婦人の笑顔を30年以上たったいまでも覚えています。

ファエンツァの歴史的なたたずまい、そして早春の陽の光が心地よかったのです。

 

2、『エドガルド・モルターラ』

映画『エドガルド・モルターラ』は、ファエンツァからちょっと離れた、ボローニャを舞台にした話です。

ユダヤ人の子供が教皇の力によって誘拐され、キリスト教徒として育てられ、立派に牧師になっていくという話です。

映画の原題は『Rapito』で、「誘拐された」、「暴力を振る舞われた」、「レイプされた」という意味です。

当時19世紀のイタリアは、教皇が支配するところとサルディーニャ王国に分かれいて、イタリアという国はありませんでした。

1858年、エドガルドの誘拐事件が起きたボローニャローマ教皇教皇国家に属していました。でもその後サルディーニャ王国に併合されます。

1861年イタリア王国が成立。

1870年に教皇国家は消滅。その後教皇はイタリア政府と対立しますが、1929年にヴァチカン市国が成立し、現在に至っています。

16世紀以降イタリアには3万人から6万人、現在は3万人のユダヤ人がいます。ユダヤ人は人口の0.1%ですが、学術、芸術分野では大きな影響力を持っています。

映画『エドガルド・モルターラ』のテーマは、ユダヤ教キリスト教教皇サルディーニャ、わかりにくことばかりです。

 

3、マルコ・ベロッキオ

なぜ映画「エドガルド・モルターラ』を観たのか。日経紙上で尊敬する中条省平が絶賛したからです。

「画面の奥行きを変える空間設計、カメラの柔軟な動き、街並み、建物、インテリアのため息が出るほどの魅力的なたたずまい、抑えた色彩で陰翳を強調する画面設計など、これほど充実した映画美学を味あわせてくれる監督は世界にまれだ」(中条省平 ちゅうじょうしょうへい、日経4/26夕刊)。

中条は映画『エドガルド・モルターラ』を、特異な歴史と宗教問題の映画としながらも、マルコ・ベロッキオ監督のその映像美を絶賛しました。

まったく同感です。

加えて言えば、俳優の演劇的な芝居が酔わせる、編集のテンポがいい、さらに圧倒的な音楽もあります。

映画「エドガルド・モルターラ』は、特上の映画の教科書です。映画を「観た」と言える、満足感があります。

マルコ・ベロッキオ(1939~)は、『ソドムの市』のピエル・パウロパゾリーニ(1922~1975)の弟子で、『ラストエンペラー』の『ベルナルド・ベルトリッチ(1941~2018)の同僚です。

レオナルド、ミケランジェロ、ラ・ファエロのイタリア美術の伝統がある、イタリア映画は独特です。

表現の重さが違います。

 

4、シニョーラ(signora)

ファエンツァは陶芸・陶工の街です。いまでも当時買った小皿を持っています。

かつてファエンツァは、ヴェネツィア共和国、その後教皇領でした。

私が城壁で囲まれた広場(PIAZZA)のレストランで出会ったご婦人は、ユダヤ人だったのでしょうか。

ひょっとすると、私が広場だと思っていたのは、ユダヤ人のゲットーの中だったのでしょうか。

それともご婦人は引退した陶工だったのでしょうか。

何も話せず、2~3時間も見つめ合っていたのは、クリエーターとして波長があったからでしょうか。

ご婦人はクラウディア・カルディナーレ(1938~)やソフィア・ローレン(1934~)に似た、バーンバーンバーンとした、イタリア女性ではありませんでした。

映画『グラン・ブルー』(リュック・ベッソン監督)で、ジャック・マイヨールの間食を叱る怖いママのような、普通の人でした。

そして今、ファエンツァのご婦人(signora)の笑顔が、映画「エドガルド・モルターラ』の登場人物の一人になって、思い出されます。

映画は不思議な時間旅行に連れて行ってくれます。

 

End