THE TED TIMES 2024-34「加藤和彦」 8/26編集長 大沢達男
加藤和彦はなぜ自殺したのでしょうか。それを考えると悲しい。
1、吉田拓郎
♬何もかもが 終わって 今日が来ました
バイ バイ バイ バイ 今日のすべて バイ バイ♬
(吉田拓郎 「自殺の歌」 から)
吉田拓郎(1946~)を時代のスターにのし上げた、「結婚しようよ」が入っている『人間なんて』(よしだたくろう ELEC 1971年)という、LPアルバムがあります。
そのなかに、場違いなほどに暗い、「自殺の歌」があります。
でもこの曲には、遊びやキャッチーな狙いではなく、吉田拓郎の本音があります。
それは、LPのなかに同系列の名曲「どうしてこんなに悲しんだろう」がある、ことでわかります。
まあそれはそれとして、驚くべきことは、これらの曲のディレクターが加藤和彦(1947~2009)であることです
加藤和彦の名はギタープレーヤーとしてもあり、いま挙げた3曲でいずれもギターを弾いています。
加藤和彦は、24歳のときに編曲し演奏した「自殺の歌」によって運命を決めてしまい、62歳で自らの命を絶ってしまいました。
映画『トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代』(相原裕美監督 2024年)のなかで、加藤をいちばんよく理解していた「フォーク・クルセイダーズ」のメンバーで、その後精神科医・臨床心理学者になった北山修(1946~)が語っています。
「加藤和彦は才能はあったけれど、生涯『加藤和彦』を演じていたのではないか(演劇的人間)」
やっぱりそうだった、のかと思います。
演劇的人間はいつも身近に観客を必要とし、それを恋人にします。
そして恋人が母親となって「エディプスコンプレックス」(注:オイディプスは父親を殺し母親と結婚している)を満たすものになります。
さらに演劇的人間はしっかりした構造の人格を持っていません。その心的構造は柔軟ですが、無規範で人生の価値を認めないところがあります。
音楽の天才加藤和彦はこうした演劇的人間でした。
1)ミカ(1949~)
映画の中で、加藤和彦と一緒だった音楽プロデューサーの新田和長(1945~)が語ります。
<ミカが加藤君に茶目っ気で「ロールス買って」と言います。
すると加藤君はミカを驚かせようと、ほんとにロールスロイスを購入します。
しかしロールスは背が高くて駐車場に入らない。
そこで麻布の一軒家を借りるんです。
家賃45万円(現在の価格で250~300万円)で8部屋もある、豪邸ですよ>
ミカとはサディスティック・ミカ・バンドの福井ミカです。
加藤とは1970年に結婚し、1975年に離婚しています。
ミカはロンドンでプロデューサーのクリス・トーマスと恋に落ち同棲を始めてしまったのです。
その後のミカは、1984年にクリスと破局、1985にはイギリスへの永住権を取得、料理学校に通い、87年に帰国、現在でも料理研究家として活躍しています。
加藤和彦は最初の恋人と最初の「母親」をイギリス人に奪われています。
2)安井かずみ(1939~1994)
福井ミカを失ったあとに加藤和彦は、8歳年上の安井かずみと知り合い1977年に結婚します。
安井かずみは、伊東ゆかり「恋のしずく」、小柳ルミ子「私の城下町」、沢田研二「危険なふたり」、郷ひろみ「よろしく哀愁」を書いた、才能です。
安井かずみは飯倉片町「キャンティ」に集まるセレブのひとりでした。
まわりには、加賀まりこ、野際陽子、コシノジュンコ、金子国義、さらには付き合っていた角川春樹がいました。
加藤和彦は、京都の材木屋の娘・ミカからフェリス出身のセレブ・安井かずみへ、とその恋人、「母親」を変えます。
映画には描かれていませんが、安井かずみは加藤和彦の浮気を許さず、自殺を試みています。
自らの「母親」に自殺しようとされた加藤和彦は戸惑いました。
その付き合いは1994年まで死ぬまで続きます。
話の本筋とは外れますが私は、加藤和彦と安井かずみの「ヨーロッパ3部作」を、偏愛しています。
3)中丸三千繪(1960~)
加藤和彦は最後に世界的なプリマドンナ・ソプラノ歌手中丸三千繪にたどり着きます。
1995年から2000年の間結婚しています。
中丸三千繪は、1986年に小澤征爾の指揮でデビューし、1988年に「ルチアーノ・パパロッティ・コンクール」で優勝し、1990年にイタリア人以外で初めて「マリア・カラス・コンクール」での優勝者しています。
加藤和彦は、六本木のセレブ・安井かずみから世界のプリマドンナ・中丸三千繪へ、その恋人、「母親」を変えています。
・・・でもどうでしょう。
ヴェルサイユ宮殿のダイアナ妃の前で歌うような中丸三千繪に、加藤和彦は全ての点で負けていて、話が続かなかったのではないでしょうか。
3、泉谷しげる
♬今日ですべてが終るさ 今日ですべて変わる 今日ですべてがむくわれる 今日ですべてが始まるさ♬
(「春夏秋冬」から)
映画の中で、加藤和彦にはふさわしくないような、泉谷しげるが登場し、延々と語ります。
理由があります。泉谷しげる(1948~)のLPアルバム「春夏秋冬」(泉谷しげる ELECレコード 1972年)を、なんと加藤和彦がプロデュースしているからです。
<歌うな、怒鳴るな、ただ淡々と歌え、と言うんだよ><戸惑ったよ><でもその方がかっこいい>。
加藤和彦のアドバイスで、「春夏秋冬」はシングルとではまるで違う曲になって、アルバムに収められています。
<今日ですべてが終わるさ 今日ですべてが変わる>
「春夏秋冬」でも加藤和彦は、自らの運命の未来を決めてしまっていました。
加藤和彦は、毎日一幕ものの「加藤和彦」を演じ続け、散り枯れてゆきます。
三島由紀夫の謎の死に対して石原慎太郎の冷酷な指摘があります。
<僕は三島さんの創造力がここまで枯渇しているとは思わなかった。最近作は昔の自分の作品の真似をしているんだ>
加藤和彦の創造力は枯渇していなかったでしょうか。それより仕事の依頼がなくなっていました。
時代は、小室哲哉、安室奈美恵、宇多田ヒカル、ミスターチルドレンへとバトンタッチされていました。
<世の中が音楽を必要としなくなり、もう創作の意欲もなくなった。死にたいというより、消えてしまいたい>(加藤和彦の遺書より)。
それでも加藤和彦は、みんなが集まれば100万円の赤ワインを気前よく振る舞う、「加藤和彦」を演じていました。
40年近く前に演奏した「自殺の歌」と「春夏秋冬」が、死の影のある「加藤和彦」を演じる、加藤和彦の運命を決めていました。
自殺を決意した加藤和彦にやさしい言葉をかける「恋人」はいたのでしょうか。
自殺しようとする加藤和彦をきびしく叱りつける「母親」はいたのでしょうか。
悲しい限りです。
***
電通のCMプランナーであった私は、映画に出てくる音楽プロデューサー牧村憲一(1946~)と大瀧詠一やセンチメンタルシティロマンス、そしてデビュー直前の竹内まりや(1955~)と仕事をしました。
70年代のことです。
しかし偶然、加藤和彦とは仕事をしていませんでした。
いや声をかけられませんでした。よほどの仕事でなければ頼めない、やはり・・・加藤和彦はカリスマでした。
ご冥福をお祈りします。
END