『青春ジャック 止められるか、俺たちを 2』、 久しぶりに映画を楽しみました。

THE TED TIMES 2024-12「青春ジャック」 3/22 編集長 大沢達男

 

『青春ジャック 止められるか、俺たちを 2』、 久しぶりに映画を楽しみました。

 

1、映画検定

数年前に「映画検定」なんて、映画の教養を試すテストが流行りましたが、あんな感じです。

映画『青春ジャック』を観ていて、元気のいい昭和の映画を思い出しました。

そこで問題です。

問題:以下の映画の監督名を答えてください。         

1、『日本春歌考』(昭和42年)                   

2、『ザ・オナニー』(昭和45~55年)

3、『水のないプール』(昭和57年)

4、『洗濯屋ケンちゃん』(昭和57年)

5、『コミック雑誌なんかいらない』(昭和61年)

解答(順不同):大島渚滝田洋二郎、藤井智憲、代々木忠若松孝二

藤井智憲と代々木忠はちょっと難しすぎますね。

でも二人の作品についても、映画『青春ジャック』の中で語られています。つまり昭和の常識なんです。

 

2、井上淳一

映画『青春ジャック』は若松孝二(1936~2012)と若松プロに入社した井上淳一(1965~)の物語です。

若松プロダクションの設立は1965年(昭和40年)ですが、昭和のあの頃は大島渚の時代でした。

『日本の夜と霧』(昭和35年)、『忍者武芸帖』(昭和42年)、『日本春歌考』(昭和42年)、『絞首刑』(昭和43年)を立て続けにヒットを放っていた大島渚は時代のスーパースターでした。

若松孝二がその名を知られるようになったのは、『処女ゲバゲバ』(昭和44年)、『ゆけゆけ二度目の処女』(昭和44年)で、「オモテ」の大島渚、「ウラ」の若松孝二、若松はピンクや裏ビデオに近い存在でした。

独特のフィルムメイキングの才能をもつ若松作品が上映されていた「新宿文化」周辺の新宿3丁目には独特の雰囲気あり、「インテリ・ヤクザ」が集まっていました。

無名の北野武もいたはずです。

事実、『その男、凶暴につき』(1989年)や『3-4X 10月』(1990年)のころの、北野武は当時の若松孝二の存在によく似ています。

井上淳一は『水のないプール』(1982年)を観て、若松以外に映画監督は考えられないと、若松プロを志願しています。

映画『青春ジャック』のなかで、井上が撮影現場で邪魔者扱いされるシーンがいいです。

照明の前でカチンコを持って立っていると照明さんから怒鳴られます。「ライト前ッ!」。さらに動くとそこにも照明が、「何度言われるとわかるんだ」、また怒鳴られます。そしてやっと見つけた空きスペース。若松監督「バカッ!そこは俺の場所だ!」

笑い話ではありません。現場を知らないと実際に起こります。

つぎは、井上が脚本を書けなくて苦労するシーンがいいです。

若松「お前、こんなのしか書けねのか。(中略)早く書かねえと、撮影できねえぞ。(中略)パクりゃいいんだ。あれとかどうだ、あれ。ホラ、ボクシングの」

井上「ロッキーですか」

若松「そうだよ。ロッキーだよ。絶対勝てねえと思われていたヤツが勝つ。映画の基本だよ」

「パクる」は下品な表現ですが、クリエーティブは模倣です。傑作には元ネタがある・・・それが面白いんです。

そして名古屋にある「シネマスコーレ(映画の学校)」についての「アオ」い映画館経営理論を展開するところもいい。

「東京にどんどんウチみたな単館がたくさんできているじゃないですか(中略)独立系の映画が増えていくと思うんですよ。(中略)中国映画も今面白くて、東京じゃ岩波とかでドンドン上映している・・・」

『青春ジャック』は脚本・監督井上淳一ですが、脚本はうまいものです。

若松孝二(1936~2012)を演じているのは、井浦新(1974~)です。全く畑違い、生まれも、体型も違う若松孝二をうまく演じています。

観客の笑いを取っていましたから、大したものです。

 

3、映画監督

若松「本当に映画監督になりたいんなら、何か見つけないと。腹立っているものでもいい。誰かを殺してやりたいでもいい」

私は映画監督ではありませんが、お言葉に甘えて言わせていただきます。

私は、映画『福田村事件』に、腹が立っています。

『福田村事件』は、荒井晴彦企画、佐伯俊道・井上淳一荒井晴彦脚本、森達也監督、しかも主演は井浦新、『青春ジャック』の兄弟のような映画です。

日本アカデミー賞で、優秀作品書、優秀監督賞、優秀脚本賞を受賞、2023年日本映画界を代表するとされている映画です(余談ですが、田中麗奈井浦新を抱える芸能事務所「テンカラット」は注目に値します)。

何に腹を立ているのか。

映画のリベラリズムの主張に対してです。

まず、流言飛語に惑わされ四国の人を殺害した福田村(現・野田市)の人を馬鹿にし、「朝鮮人」、「センジン」を連発することで、韓国の人が嫌がる映画を作っています。

それでも映画は最後には、社会主義者も弾圧されたと人権、自由、平等のリベラリズムの主張で締め括り、それを正義だと信じ込んでいます。

リベラリズムとは、朝日と毎日の論調です。

2024年の元旦の社説で、ウクライナとガザでの紛争をテーマに取り上げた両紙はなんとその結論で、朝日は「理不尽の芽を見逃すな」そして「暴力への関心を持て」、毎日は「多様性の尊重」そして「他者のとの共生」を説きました。

なにか紛争解決の糸口になっているでしょうか。平和への提案になっているでしょうか。

リベラリズムを主張する日本の新聞と日本の知識人は世界から完全に取り残されています。

リベラリズムの英国はインドと中国で何をしましたか。リベラリズムの米国はインディアンと黒人に何をしましたか。

そしていま、リベラリズムの国々はウクライナで「リベラリズム帝国主義」として追い詰められているのではありませんか。

さらに将来の日本は、米国独立宣言と同じ文章のあるリベラリズム憲法のために、滅びようとしています。

じゃ、どうなるんだ? 日本は?世界は? 私にわかるはずはありません。

それをやるのが芸術家です。

ただ私にもわかることがあります。もはやリベラリズムはインテリ・ヤクザの勲章にはなりません。かっこ悪い。

『青春ジャック』そして『福田村事件』の映画人の時代は終わりです。

「(リベラリストは)理論においては過激、行動では遅疑逡巡、反対するときは強硬、権力を握れば無力、机上においては正しく、政治においては無能である」

ピーター・F・ドラッカー 上田惇生訳 『産業人の未来』 p.191 ダイアモンド社)。

 

映画館みたいな映画館、黄金町の「シネマ ジャック&ベティ」で、『福田村事件』を観ました。

THE TED TIMES 2024-11「福田村事件」 3/15 編集長 大沢達男

 

映画館みたいな映画館、黄金町の「シネマ ジャック&ベティ」で、『福田村事件』を観ました。

 

1、「シネマ ジャック&ベティ」

見逃していた映画がありました。

ネットで調べたら東京と神奈川ではたった1館、横浜・黄金町の「シネマ ジャックアンドベティ」で、やっていることがわかりました。

ようし、行ってみるか。

京浜急行横浜駅で、ちょっと戸惑いました。どの電車に乗ればいいのだろう。

もちろん各駅停車で、戸部、日ノ出町、黄金町、横浜から三つ目です。

駅を出て、川を渡り二本目を左に曲がり、三本目の通りの角。10分弱で簡単に到着しました。

川は日ノ出町から横浜港、東京湾に出る川ですが、だれかがこの川を名前で呼んだのを聞いたことがありません。名前を知りません。

調べてみたら「大岡川」、初めて知りました。

シネマ ジャック&ベティの昔の名前は「横浜名画座」、以前なんとなく来たかもしれません。

でも横浜の大学に通っていたのは60年前の話ですから・・・。

「ジャック&ベティ」のその名の通り二つのスクリーンを持っていました。

団塊の世代とおぼしき「昔」の若者が群がっていました。ほんと映画館みたいな映画館でした。

待合室の壁に、客がリクエストを書いて貼る、ボードがありました。

市民生活に馴染んでいる、文化的なインフラになっている、かっこいい映画館。いい印象を持ちました。

 

2、野毛商店街

映画が終わってのが4時すぎ、黄金町から日ノ出町そして野毛商店街を目指しました。

黄金町は、学生の頃は怖くて近寄らず、歩いたことがありませんでした。

伊勢佐木町大岡川にはさまれた地域は花街です。ソープランド、ラブホテルが林立しています。

今回歩いて目についたのは、タイ料理やタイマッサージのお店でした。

人通りは少なく、客引きはいませんでした。

しかし途中で大岡川を渡り、野毛を目指した時、誰もいない角に一人の女性が立っていました。

彼女は10メートルほど私についてきました。私は話しかけなかった。彼女はプロだったのか・・・。

こんど黄金町に来る時には、お金を持ってこないと、意味のない反省をました。

野毛の商店街に入ると、黄金町とは打って変わって大混雑、人で、それも若者で溢れていました。

人気の焼き鳥「末広」には若者ばかり20人ぐらいが並んでいました。

一人で入れるお店なんかない。私は2周ほど、野毛商店街をウロウロしました。

そんななかで店の前に打ち水をしている焼き鳥屋がありました。

5時開店、1分前でした。二人の男性が並んでいました。

私はやり過ごして、もう一周、野毛を歩き、そして思い切ってその店に入りました。

よかった。私の後には二人の男性が、カウンターの隣に入っただけ、満員になりました。

ホッピー、イカ納豆、モモとカワの焼き鳥を頼みました。

入店して10分後に不思議なことが起こりました。

一人の女性がムービーのカメラマンを従えて入ってきて、そのあとに録音、照明、演出のスタッフを従えて入ってきました。

カメラは回っていました。

センティングも、リハーサルも、まるでなし。いきなりの本番。

女優は私が座っているカウンターより奥にある4人席に着くと、ひとりで演技を始めました。

話かけている相手はいません。別撮りなのでしょうか。

それにしても不思議です。奥のテーブルの客も、まして私が座っているカウンターの客も、撮影に全く関心をもたないのです。

女優の座った隣テーブルの客は仕込みだったのでしょうか。

もちろん私はスタッフや客に「あの方はどなた?」と聞くこともできませんでした。

撮影の最中にお店を出ました。

お店の名前は「鳥しげ」(045-241-1603 二日酔いイチローさん)です。

どうも予約が必要なお店のようです。

 

3、『福田村事件』

いけない。

何の映画を観たのかを言い忘れました。

『福田村事件』(森達也監督 2023年)です。

昨年8月末の試写会の時に、元朝日と元毎日に新聞記者に誘われて行ったのですが、遅れて行った私だけ満員で観ることができなかった、曰く付きの作品です。

1923年9月1日の関東大震災のあと9月6日に起きた事件のドラマ化です。

震災の後、朝鮮人が井戸に毒を入れた、乱暴狼藉をはたらいている、と流言飛語が飛び交います。

千葉県の福田村では自警団を作り警備にあたります。

折り悪しく香川県からの15人の行商団が福田村に入ってきて、朝鮮人の集団ではないか、と疑われます。

言葉がおかしい、歴代の天皇の名前を言えない、天陛下万歳が言えない。複雑なのは行商人が被差別部落の人々であったことです。

ちょとした行き違いから集団心理に火がつき、福田村自警団による幼児と妊婦を含む9人の行商人の虐殺事件に発展します。

事件を知った新聞記者は記事に書こうとします。しかしデスクは許可しません。なんのために新聞はあるのか・・・これがドラマのサブテーマ。

自警団の何人かは逮捕され実刑判決受けますが、大正天皇崩御の恩赦で全員釈放されます。事件を歴史の闇に葬り去ってはいけない・・・これが映画製作の動機です。

『福田村事件』は、第47回日本アカデミー賞で、優秀作品賞、優秀監督賞、優秀脚本賞を受けています。

昨年の日本を代表する作品です。

ところが映画を見終わって私は、いやーな気持ち、になりました。

映画を作った人の正義派のリベラリズムの主張に吐き気がしました。

その理由を書きます。

まず第1。

映画の中で、「本所」(東京)がひどい被害を受けた、「本所」で大火災が起きた、という噂話が村民の間でなされます。

私の母は明治生まれの「本所」の人、若い頃にまさに関東大震災に出会っています。

朝鮮人」が井戸に毒を入れたという「噂話」や、その結果何人もの「朝鮮人」が警察に連行されたという話を、母から何度も聞いて育ちました。

ですが母は、噂話も警察も、全く信用していませんでした。

お上が言うことなんか、「ハナ」から信じちゃいないよ。面従背腹(面従従腹かな)。それが下町、それが庶民です。

映画『福田村事件』は上から目線で、福田村(現在の千葉県野田市)の人を浅はかな田舎者として描き、馬鹿にしています。

第2。

映画の中で「センジン」だとか「朝鮮人」という言葉が、連発されます。

私は背筋が寒くなりました。

専門学校の教師をやっていたときに、私は韓国の留学生から、私が授業で「朝鮮」と言うのを注意されたことがあります。

「先生『韓国』です!」、「『朝鮮』ではありません!」。

韓国人の心情を忖度せずに、ただ関東大震災100年という理由で、『福田村事件』は映画の中で「センジン」、「朝鮮人」を連発しています。

逆に被差別部落の人々への配慮は過剰で、その対比は象徴的です。

映画『福田村事件』は人権や正義を語っていますが、結果として韓国の反日感情を煽っています。

第3。

映画は、「朝鮮人」や被差別部落の人への差別だけでなく社会主義者も弾圧され、人権、自由、平等が奪われたというリベラリズの結論で結ばれます。

驚きます。

今、ウクライナで何が起きているのでしょうか。

リベラリズムNATOが支援するウクライナの敗北が予想されています。

そしてグローバルサウスの国々は、ウクライナとそれを支援するリベラリズの国々を、支持していません。

17世紀末に人権、自由、平等の『統治二論』(ジョン・ロック)が書かれますが、それ以降のイギリスはインドで中国で何をしたのでしょうか。

1776年にアメリカは人権、自由、平等の独立宣言を書きますが、その後アメリカ人はインディアン(ネイティブ・アメリカン)と黒人に何をしたでしょうか。

そしていま、人権、自由、平等のリベラリズム国際紛争のもとになる「リベラリズム帝国主義」になっています。

リベラリズムとは、人類の普遍原理でも何でもありません。英米を中心とする「核家族制度」のイデオロギーです。

直系家族制度の日本人がその主張をするのは「白人の真似っこ」でしかありません。

映画『福田村事件』は、白人流のリベラリズムで正義を語り、日本の歴史と伝統を否定し、日本国の国益に背いています。

 

結論。

横浜市民の文化センターのような「シネマ ジャック&ベティ」には、団塊の世代が集まっていました。

映画『福田村事件』が、彼ら老人たちに支持されている、と考えるとやるせ無い気持ちなります。

私たちの曽祖父母や祖父母は「朝鮮人」を虐殺した(誤解をしないでほしい。福田村事件はデッチ上げだと主張しているのではない)。

朝鮮人」を従軍慰安婦として連行し、日本兵は性を弄(もてあそ)んだ(朝日新聞は「吉田発言」を訂正した)。

さらに南京で日本兵は罪もない中国人市民を数十万人を虐殺した(本田勝一記者は中国共産党の招きで訪中し、伝聞で『中国の旅』で「南京大虐殺」を書き、いまだに朝日新聞誤報として訂正していない)。

日本は二度と戦争をしてはならない。平和のために日本民族が滅びてもかまわない(『私の根本思想』山口瞳)。

そして「平和と民主主義」の日本人は、山口瞳のアドバイス通り、滅びの道を実行しています。

2023年の日本人の出生数は戦後最少の75.8万人、団塊の世代の頃の3分の1になり、30世紀には日本は地球上から姿を消します。

日本は、リベラリズムの知識人の唱える「平和と民主主義」で、滅びの道を歩んでいます。

以上が、映画『福田村事件』を観た後の、いやーな気持ちの、正体です。

End

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

映像の天才「塚本晋也」、しかし賛同できないのは、なぜ?

THE TED TIMES 2024-10「塚本晋也」 3/7 編集長 大沢達男

 

映像の天才「塚本晋也」、しかし賛同できないのは、なぜ?

 

1、カメラ=ペン論

「カメラ=ペン(万年筆)論」というのが、1960年代の映像の世界にありました。

ペン(万年筆)による言論で世界を動かすように、カメラによる映像で発言しようというものです。

塚本晋也(1960~)の映画を観るたびに、この言葉を思い出します。

塚本は映像を自由に扱い、発明に満ち、本来的な意味で映画を創造しています。

さらに言うなれば、塚本の映像にはマチエール(絵肌)があります。

明暗、色調、ボケ具合・・・映像に独特のタッチがあります。

その才能は、うらやましい、クリエーターに嫉妬させるものです。

映画『ほかげ』(脚本・撮影・監督:塚本晋也 2023年)を観て、またまた同じ感想を持ちました。

戦後のどさくさを舞台にした映画の前半、居酒屋兼売春宿のシーケンスでは、そこに住む一人の女を描きます。

登場するのはヒモの男、客の復員兵、そして浮浪児だけです。

カメラは外に出ません。だからロングの画はありません。狭い、光が差し込まない部屋での絶望的で不条理な人物のアップだけの暑苦しいカットが連続します。

まなこ、あぶら汗、絶叫する口しか写っていないようなシーンが連続します。

写真家荒木経惟のデビュー作「さっちん」を連想させます。

荒木は戦後の下町の廃墟で遊ぶ少年たちに密着し、その生き生きとした表情を撮り、太陽賞を獲得しました。

映画は、何もない部屋で、何かがある人間に迫って、映像化しています。

その映像は日本映画史上に燦然と輝く、宮川一夫溝口健二監督)、厚田雄春小津安二郎監督)、中井朝一黒澤明監督)の撮影に匹敵するものです。

繰り返します。

カメラをペンのように持った塚本の映像には、マチエール(絵肌)があります。

 

2、オールマイティー

塚本晋也は特異な映画監督です。

なんでも自分でやります。

脚本、撮影、編集、監督、制作・・・映画製作の全てです。

さらには塚本晋也は役者でもあります。

この才能はうらやましくありません。嫉妬しません。

なぜなら、そこが映画監督塚本晋也の、強みと弱みがあるからです。

まず先ほど触れたように優れた映画監督には、かならずすぐれたカメラマンがいました。

照明、美術、衣装もいました。

そして撮影現場に入る前、脚本の段階でも、映画監督にはパートナーとなる脚本家がいました。

溝口健二には脚本の依田義賢小津安二郎には野田高悟、黒澤明には橋本忍がいました。

たとえば、小津の場合は、1升ビンが100本並ぶまで旅館に閉じこもったと言われています。

二人だけで、まるまる3ヶ月かけ脚本を完成させました。

脚本には映画撮影に匹敵する長期間の戦いがありました。

言語頭脳と音楽頭脳と映像頭脳、ロゴスとパトスとエロス、大脳の新皮質、旧皮質、古皮質の戦い。

そうして私の考えだけでなく、私とあなたの次元を高めた新しい創造の世界が生まれます。

これこそがクリエーティブな仕事の醍醐味で楽しみです。

脚本だけの話ではありません。

監督の狙いを超えたカメラマンのアングル、カメラマンを超えたライトマンのライティング、衣装も美術も同じです。

オリジナルのアイディアが、スタッフ一人が加わるだけで、ワンステップ登るのです。

これが映画製作です。

塚本晋也はすべて一人でやってしまいます。

それは才能ですが、ある意味、悲しい才能です。

似た人がいます。北野武監督です。

北野監督の場合は、脚本を一人で書き、自らがビートたけしとして主演しています。

もうひとりチャーリー・チャップリンがいます。

チャップリンは脚本・監督・主演そして音楽も自分でやっています。

しかしオールマイティに溢れる才能がいいのかは疑問です。

塚本晋也のCM監督時代に出会ったことがあります。

私の仕事ではありませんが、監督がナレーターをやったと聞いて、驚いたことがあります。

作るのが好き、演ずるのが好き、塚本晋也はエネルギッシュなクリエーターでした。

 

3、平和の思想

『ほかげ』で納得できないところがあります。

映画の後半のプロットは、軍人時代の上官に非人間的で許せない奴がいた、その彼への復讐劇です。

反戦思想の濃い、極限状況になると人間はなにをするかわからない、人間批判の物語です。

なぜいまさら、塚本晋也が戦争への反省を描くのか、さっぱりわかりません。

さらに、浮浪児が戦後の闇市で働くシーンがあります。

メシ屋の食器を洗う浮浪児、メシ屋の親父に蹴飛ばされる浮浪児、それでも食器を洗う浮浪児、するとメシ屋の親父は何気にスイトン(雑炊)を板の台の置いてくれる。浮浪児は食べる、また皿を洗う、今度は板の台に小銭が置いてある。

戦争になると人道上許せない軍人がいる。一方で戦後の闇市にも光り輝く人間がいた。

人間批判と人間讃歌。悪い奴のいればいい奴もいる。

しかし、そんなことが映画表現のテーマになるのでしょうか。

塚本晋也の才能のために、脚本家とのタッグマッチを勧めます。

自らの天才と決別してはいかがでしょうか。

 

神に感謝。めったの読まなかったま川賞で大型新人「九段理江」に出会いました。

THE TED TIMES 2024-09「九段理江」 2/28 編集長 大沢達男

 

神に感謝。めったの読まなかったま川賞で大型新人「九段理江」に出会いました。

 

1、ザハ・ハディト

「ザハ・ハディトの新(「シン」筆者の命名)国立競技場は必ず建つ。実現する。でも、それは負のレガシーのようなものにはなり得ない。なぜなら圧倒的に美しいから。そしてザハ案が選ばれたのは、東京に不足する不足する美しさを彼女だけの案が備えていたからに違いない。もしそれが建たなければ、東京が満ち足りることはない。」(p.31)。

「夕焼けが夜に完全に侵食されると、スタジアム全体は幻想的な紫色の光でライトアップされ、東京の景色を一瞬にして何十年も加速させた。(中略)奇跡としか言いようのないその光景を、私はいつまでも飽きることなく眺めていた。今にでも動き出すのではないかという生命感を湛えた構造物は、周囲に林立するビル群や道路を走る車のライトを養分にして独自進化を遂げた、巨大生物のように見える」(p.32~3)。

なんという名文でしょう。

いまでは新国立競技場は隈研吾案で完成しています。ザア・ハディット(Zaha Hadid)のシン国立競技場の設計案を議論する人など、誰もいません。

過去の決定を覆すような議論は潔(いさぎよ)くないとは、知っていますが・・・。

名文です。東京の都市計画の本質をついています。未来があります。

 

2、シン国立競技場

明治神宮外苑は明治天皇昭憲皇太后の御遺徳を伝えるために作られた美しい庭園でした。

明治神宮競技場が大正13年聖徳記念絵画館、野球場、相撲場が大正15年(1926年)、そして昭和6年に水泳場が完成しています。

1958年から、私は神宮球場の前にある都立青山高校に通うことになり、外苑とともに青春を送ってきました。

しかし明治神宮外苑はそのころからすでに破綻を見せてきました。

まず、「明治神宮外苑競技場」が1957年に取り壊され、アジア大会のために「国立競技場」になったことです。

緑の森に異種のコンクリートの構造物が現れました。それは1964年のオリンピックに向けてさらに巨大になります。

つぎに1961年に、大相撲夏場所(1947年)が開催されたこともある、相撲場が壊され第2球場が建設されます。

悲しむべきは、絵画館前の広場が軟式野球場になり、バッティング練習場までできたことです。

加えて水泳場は高速道路に削られ、最後にはなくなってしまい、絵画館裏には首都高速の出口ができました。

絵画館前の「角池」を子供用プールとして開放したことがありました。なんと馬鹿げたことをしたものでしょう。

明治天皇に敬意を表す場をプールにするなど、どなたの発想だったのでしょうか。

絵画館前の広大な広場を野球場にするというのも同じ発想です。

246号線からの銀杏並木があり、広大な広場があり、かなたに絵画館を望むから、明治天皇をしのぶにふさわしく神聖なのです。

国立競技場の建設に始まる矛盾だらけの神宮外苑再開発に対して、新たに計画されたザハ・ハディトのシン国立競技場の設計案は、晴天の霹靂でした。

矛盾だらけの神宮外苑を一新するもので、新しい東京の、いや日本のランドマークになるものでした。

私たちは熱狂しました。

かつて1964年の東京オリンピックのときに、代々木競技場を設計した丹下健三は、コンペで当選したもののの予算オーバーで、設計変更を命令されていました。

丹下は時の権力者田中角栄に直接電話をします。

丹下「設計変更を求められていますが、設計図をご覧になればお分かりいただけますが、変更はできません」。田中「いくら足りないんだ?」。丹下「×××円です」。田中「よっしゃ!」

アンビルト(建築されない)になる運命の代々木競技場は、田中角栄の力で、建設されました。

ザハ・ハディトは、安倍総理に、電話できませんでした。

シン国立競技場案は「アンビルトの女王」の傑作に新たな1ページを加えるだけに終わりました。

しかしいま、東京と日本を革新するザハ・ハディトのシン国立競技場は、小説家・九段理江により、建設され現実のものになりました。

 

3、『東京都同情塔』

小説家・九段理江は、ザハ・ハディト案の実現だけに終わりません。

神宮外苑に聳えるザハのシン国立競技場への回答を用意します。

それは、スカイツリー、東京タワーに次ぐ高さの「塔」を、神宮外苑の隣の新宿御苑に建てるというものです。

これもまたなんと美しい。

「塔は国立競技場という問いに対する完璧な回答である」(p.135)。

塔の名は『東京都同情塔』、その機能は刑務所。

未来の東京では、シン国立競技場と東京都同情塔、二つの巨大建築は同時にライトアップされ、完全に調和し、親密に話し合いでもするようになります。

小説家平野啓一郎は九段理江の受賞に対して、「圧倒的」と評しました。まさに圧倒的です。九段理江さん。芥川賞おめでとうございます。

30年後、50年後、100年後でも、シン国立競技場と東京都同情塔、この美しいアイディアが実現するように、私たちは努力すべきです。

日本映画大学の卒業制作を観て、天国から今村昌平先生の声が届きました。 「映画技術の天才(まあ職人かな)はいたかもしれないが・・・映画製作の不良はいなかったね」

THE TED TIMES 2024-08「日本映画大学」 2/21 編集長 大沢達男

 

日本映画大学の卒業制作を観て、天国から今村昌平先生の声が届きました。

「映画技術の天才(まあ職人かな)はいたかもしれないが・・・映画製作の不良はいなかったね」

 

1、不良で天才

「俳優というのは不良だ」

「不良が映画の世界では主役を演ずるから面白いんだよ」。

三船敏郎という役者は当時の不良。その不良を黒澤明監督が連れてきて映画で主役に使った、だから面白いんだ」

「最近の不良では、・・・女優とトラブルを起こしている長渕剛というのがいるらしいが、奴が面白そうだ」

「監督は?」

「・・・監督は・・・不良で、天才!かな」

日本映画学校に市民が参加できる「土曜映画会」というのがあって、今村昌平校長が話してくれたのを鮮明に覚えています。

1986年に日本映画学校新百合ヶ丘に移ってきて、1992年から日本映画学校では石堂淑朗先生が校長になっていますから、その間のことでした。

日本映画学校は、2011年から新百合ヶ丘駅前から白山キャンパスに移り、日本映画大学になりました。

その卒業制作上映会が2月10日に新百合のイオンシネマの大スクリーンでありました。

今村昌平先生が期待するような「不良で天才」監督は誕生したでしょうか。

 

2、家族

3本の卒業制作を続けて観ました(5本上映でしたが、時間の都合で途中で失礼)。

そして驚きました。

どれもこれも「家族」がテーマの映画だったからです。

20代前半の若者それも映画表現を学んでいる学生の最大関心事が「家族」というのに驚きました。

卒業制作はその作家(学生)の一生を左右します。いや決定づけます。

東京芸大の油絵画家の卵は、卒業制作に「家族」をテーマに選ぶでしょうか。

あり得ません。

まあ、変なツッこみはヤメましょう。

『卒業制作』 vs 『プロの作品』。

二つの作品を対決させて鑑賞し評論します。

これは面白いことになりそうです。

 

1)『あしあとステッチ』 vs 『理大囲城(Inside the Red Brick Wall)』

第1作目は『あしあとステッチ』、35分のドキュメンタリーでした。

兄と私そして両親の家庭です。

不幸が突然訪れます。

建築設備業で順調に業績を伸ばしていた父の会社が、反社(反社会的勢力)と関係を持っていたということで、社会から追放され倒産します。

私は父に何が起こったのかを検証するために取材を始めます。

父と兄、父と母、そして父と従業員、そして私は父と直接対決します。

映画解説のパンフレットは、「家族とは何なのだろうか」と、結ばれています。

映画が描いた「九設倒産」は実在の会社で実際に起こった事件です。

もし父(田島貴博)が反社勢力と関係がないなら、テーマは『冤罪』になります。

しかし父が反社勢力と関係があるなら、反社勢力が何者かがテーマになります。

どちらのテーマでも取材はむずかしい。

かといって「九設倒産」を家族の問題に矮小化することはできません。

作者の学生のみなさんに、質問します。

香港映画のドキュメンタリー『理大囲城(Inside the Red Brick Wall)』(劇場公開2022 監督:香港ドキュメンタリー映画工作者)をご覧になりましたか。

香港民主化デモの中で、2019年に警察が香港理工大学を包囲し学生をキャンパスに閉じ込めた事件を、学生側から撮影した映画です。

香港、中国では上映禁止、でも日本では観ることができました。

反乱を起こした学生たちは、大学の中に留まるべきか、逃げるべきか。

決断をしなければならない運命の時が迫ってきます。

きみならどうする?

キャンパスからの脱走はできます。

塀を乗り越え飛び降りる、生きるか死ぬかの決死行、しかし裏切り。

残ったものは警察との最終決戦になります。

これも地獄です。

観客はいつも決断を迫られます。

対して『あしあとステッチ』では、作者自らが安全地帯にいて、「九設事件」に迫っていない。

不満が残ります。

なぜ、父の罪について警察と対決しない?・・・反社の人へのインタヴューをしない?・・・父と反社の人が会食したレストランの話を訊いてみない?・・・

私の判定:×学生の負け、○プロの勝ち

 

○天国からの今村昌平先生の声

「お疲れさまでした」

「 『九設事件』の本質は、大分の事件なのに福岡県警が出てきていることです」

「ひとりの学生がテーマにできる事件ではありませんでした」

「ただし取材を拒否していた父親を説得し、インタヴューに成功したことで、作品は形になっています」

「そこは評価します」

「しかし、疎遠だった父との関係が改善された、という結論では弱い」

「父が家庭を顧みなくなったのは、仕事だけですか。隠された理由があるのではないですか」

「すべての人を問い詰めなければ、観客の心を捉えることはできません」

「ずる賢く、醜い、人間の悪を撮るのです」

 

2)『つきあかり』 vs 『兎たちの暴走』

第2作目は『つきあかり』、25分のドラマでした。

東京のバレエ団でプリマをしている私が2年ぶりに故郷に帰ります。

姉が先に帰っていました。

母は一人暮らし、父は2年前に亡くなっていました。

姉はそれと気がついていませんでしたが、母はボケて耄碌(もおろく)していました。

医者に見せるとアルツハイマー認知症、一人暮らしは難しいと診断されます。

私は東京帰りを延期し母を介護します。姉は施設に入れろと提案します。

私は「バレエと家族、どちらを取るべきかで、悩み続けること」(パンフレットより)になります。

プリマは一日として稽古を休むことはできません。

バレリーナは1日休むと自分ではわかり、3日休むと観客にわかるという厳しい仕事です。

ドラマはバレリーナの現実を無視しています。

介護では「地域包括ケア」が社会のテーマです。

家族、となり近所、ケアマネ、医師が、支え合い・助け合うのです。

室内だけの描写ではだめ、近所と社会を撮るべきです。

そして一番の問題は「認知症」という言葉です。

「Dementia」の訳語に「認知症」を決めた厚労省は間違えています。

高齢化によるボケ・耄碌(もおろく)は病気ではありません。ですから治療・治癒はできません。

学生の皆さんに質問します。

昨年(2023年)公開の中国映画『兎たちの暴走』(『兎子暴力』 The Old Town Girls 2020年 中国)を観ましたか。

中国語でいいます。「兎子暴力(Tuzi baoli=ツージ バオリー)」です。

この映画も『つきあかり』と同じように、母と娘を扱っています。

しかし心温まる家族とは正反対です。母と娘は、娘の同級生を誘拐し、殺害してしまいます。

主人公は母と娘、そして娘を中心した4人の女性、そして女性のシェン・ユー監督の撮りました。

伝統的な価値観の崩壊、無制限に解放される欲望、アノミー状態(規範の崩壊)の市民を描いています。

勝手にしやがれ』(1960年 ゴダール)、『理由なき反抗』(1955年 ニコラス・レイ)、『俺たちに明日はない』(1967年 アーサー・ペン)です。

パンキッシュなファッション、ワイングラスが並ぶスタイリッシュなテーブル、アンニュイ(物憂げで気怠い)でノンシャラン(無頓着で投げやり)、フリージャズのような映画です。

こんな中国映画は初めてです。

私の判定:×学生の負け、○プロの勝ち

 

○天国からの今村昌平先生の声

「エンディング。『つきあかり』の中で、母親の前で踊る娘のシーンはうまく撮れています」

「お疲れさまでした」

「ところで、私の『楢山節考』を観てくれましたか」

「老いを究極まで問いました」

「『つきあかり』は、老いの問題から逃げていませんか」

「ボケと耄碌(もおろく)の母による家庭の破壊を、地域社会の破壊を、撮ることから逃げていませんか」

「冒頭の評価と矛盾しますが、老いの問題に対して心優しい人々を描いても解決になりません」

 

3)『ママ』 vs 『苦い銭

第3作目は『ママ』、53分の中国を舞台にしたドキュメンタリーでした。

中国人の母親(私)の物語です。

私の夫はレストラン経営の社長、私には子供が3人います。小6、小4、小1の3人の娘。

ただし末娘は自閉症

私は社員トレーニング学校の校長を務め、小さい頃からの夢、花屋の経営を始めていました。

自閉症の子の特殊教育と家族のケア、そして夢の花屋の経営、私は「家族と夢の両立を果たすことができる」(パンフレットより)でしょうか。

「家族と夢の両立」って何ですか。

なぜ、家族が夢にならないのですか。なぜ、家族と夢が対立するのですか。

西欧流の個人主義のようで問題の立て方で発想がおかしい。

中国は「仁義礼智信」の外婚制共同体家族の価値観です。

「人権・自由・平等」は英米核家族イデオロギーです。

学生の皆さん、中国映画『苦い銭』(『苦銭(Bitter Money) ワン・ビン王兵監督 フランス・香港合作 2016年製作 2019年公開)を、観ましたか。

出稼ぎ労働者少女シャオミン(16歳)の話です。

賃金は12時間以上働いて、70~150元(1190~2550円)、粗末な食事、狭い部屋にベッドが並ぶタコ部屋での生活です。

ゴミが散乱している粗末な街にベンツが我が物顔に乗り込んできます。

カメラがメチャクチャいいです。

すし詰めの車内、女工たちの日常、言い争い、夫婦喧嘩、髪や首筋をつかむドメスティック・ヴァイオレンス

おまけに登場人物が突然カメラマンに命令します。ついてきて、そして撮って。

カメラマンは5人。中に日本人が一人いました。

監督からは、1日最低3時間、5時間は撮れと命令されました。

1人5時間、5人のカメラマン、1日25時間、1週間で175時間。そこから2時間の映画が制作され、中国の格差社会を告発しました。

苦い銭』は、動物のように生きうごめく人間どもを撮り、時代を撮りました。

私の判定:×学生の負け、○プロの勝ち

 

○天国からの今村昌平先生の声

「私が作った学校の生徒が中国で撮影できるなんて驚きです。関係者のみなさんに感謝します」

「気に入ったシーンがありました」

「納品した花に対するクレームの電話のシーン、自閉症のこどもが、粘土細工の人間の足や腕をもぎ取るシーン」

「いいじゃないですか。あのキャメラ・アイです。お疲れさまでした」

「ただし、あとは散漫。本(脚本)の問題でしょう」

「『ママ』の家族は恵まれていませんか。上の下あるいは中の上でしょう」

「だから問題の立て方が難しい」

「病気と医師と医療施設、商売と利権と官僚、教育と地域と中国共産党

「どれでも掘り下げられます。うごめく人間を描けます」

 

3、映画の発明

1)何を撮るか

今回の卒業生は、コロナ禍に学生時代を送っています。

コロナがみなさんを内向きにし、「家族」と向き合うことしかできなくした、と考えると悲しい。

しかし、なぜコロナを問わない?という疑問も生まれます。

○文明の環境破壊がコロナを起こしました。武漢の問題を究明すべきです。

○医学は伝染経路を解明できていませんでした。マスクとワクチンは新たな公害を起こしています。医学を疑うべきです。

○中国には「QRコード」による人民支配の問題があります。私は22年11月にイーキン・チェンのコンサートのために香港に行きました(映画スター・鄭伊健=イーキン・チェンのマネージメントスタッフ)。ホテルで2日間足止めされ、政府からQRコードが送られてきて、外出が可能になりました。私も中国人の行動も中国政府により監視されています。

○民主主義は危機にあります。香港には周庭(アグネス・チョウ)の問題もあります。

○あなたたち学生の発言もすべてAIにより就職先から検閲されています。AIによるキーワード検索の前に言論の自由などありえません。

○映画『ブレードランナー』の次の時代をテーマにすべきです。シンギュラリティを前にして何を学習すればいいのか。ベーシックインカムで私たちは労働を奪われるのか。

○ここでは国際政治の問題には触れません。政治のテーマを議論できないほど、時代は深刻です。

1989年の天安門事件を描いた『天安門、恋人たち』(『頤和園=イーフォユェン』  Summer Place 2006)を日本では観ることができます。

ロウ・イエ監督を過去の人にしてはいけません。

2)どう撮ったか。

いままで辛口にみなさんの仕事を評価してきましたが、作品は仕上がっていました。

作品がしっかりとしていたから、感想があり、評論ができました。

どう撮ったかの映画技術はしっかりしたものです。キャメラ、照明、美術、衣装、編集、MAに破綻はありません。

とくに印象に残ったのは音楽、音の作り方、使い方がうまいことです。

映画職人の養成はできています。素人の意見ではありません。

私は電通のCMクリエーターで、企画、脚本、演出、撮影、編集、ナレーション、MA、予算がなければオールマイティでした。

CMクリエイターは、日本の映画人はもちろん、英・米・仏・独・中、海外の映画スタッフと同じ釜の飯を食い、仕事をしています。

さらに企画とプレゼンテーションのプロです。

今回の卒業制作で感じたのは、プランニングとプレゼンテーションが内向きすぎること、世界感覚がない・・・(広告のチンドン屋が偉そうですみません)。

日本映画大学でもCM講座を1コマ持ちたかったのですが、いまとなっては残念です。

3)映画の発明

映画職人の養成だけでは、映画大学とはいえません。

映画は、映画という確固たる概念があって、それを作ることではありません。これが映画だ!を発明しなければなりません。

エイゼンシュタインは2~3秒のフィックスの短いカットをつなげモーションピクチャー(動画)にしました。

逆に溝口健二はワンシーンをワンカットで撮りました。奇跡のキャメラワークとライティングがそれを支え、新しい映画が生まれました。

さらにゴダールは手持ちのカメラの長いカットを使い、揺れ動くアプレゲールの心を撮り、ヌーヴェルバーグになりました。

日本映画大学の英名は、”Japan Institute Of The Moving Image” です。映画(cinema)ではなく、動画(moving image)を使っています。

そこには映画という固定観念を打ち破る、映画を発明する確固たる意思があります(それにしても分かりにくい英語。学校名としては不適切)。

 

○天国からの今村昌平先生の声

「卒業制作、お疲れさま」

「残念ながら、今回の作品では『不良で天才』に出会えなかったね」

「映画技術の『天才』(まあ職人かな)はいたかもしれない、でも映画製作の『不良』はいない」

「なぜならば私が好きな、「うじ虫」のような人間を、撮れていなかったから・・・」

「問題は脚本。いや脚本以前の、企画の問題だろうね」

「ことしの卒業制作では映画は発明されていなかった。来年また、お会いしましょう」

End

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

映画『哀れなるものたち』を見て、途方もない虚しさに襲われました。

THE TED TIMES 2024-07「『POOR THINGS(哀れなるものたち)』」 2/14 編集長 大沢達男

 

映画『哀れなるものたち』を見て、途方もない虚しさに襲われました。

 

1、『POOR THINGS』(ヨルゴス・ラモンティス監督 イギリス・アメリカ・アイルランド合作)

映画『哀れなるものたち』の原題は『POOR THINGS』(ふつうは「かわいそうに」と日本語にされる)で題名の中に「POOR」(貧しい)という単語が入っています。

ところがどっこい映画は、「wealthy」(裕福な)、「rich」(金持ちの)という言葉が似合うような、豪華なものです。

私が惹かれたのは、主人公の女性ベラ(エマ・ストーン)と旅をする男性ダンカン・ウェダバーン(マーク・ラファロ)が着ていたジャケットです。

船の中では、黄金のジャケットでした。

もちろん金ではありません。黄色と茶色の中間、絹が織り込まれているような厚手の生地の上着です。

中には同系色のタブルのベストを着ていました。

かっこいい。ダンカンの仕事は弁護士ですが、女遊びが職業のような伊達男(だておとこ)でした。

ダンカンは船の中で黒人の青年に会います。

黒人は襟に赤のスカーフをのぞかせた黒のジャケット。これもスリムな体型を想像させクール、かっこいい。

さらにダンカンは別のシーンでグレーの地に白のストライプのスーツを着ます。

弁護士といわれば、うなづかざるを得ませんが、どう見てもジゴロ(gigolo=ヒモ)にしか見えません。

スタイリッシュ。これもかっこいい。

映画のプログラムの解説ではベラのドレスが素晴らしいとありますが、私は男性のジャケットに注目していました。

「背広」という言葉は、ロンドンの紳士服街のセヴィル・ローズ(Savile Row)から、あるいは市民を意味するシビル(Civil)からです。

ジャケット、スーツといえばイギリスです。

昔、ロンドンを拠点とするメンズファッションの「トップマン(Topman)」というブランドにハマり、数年にわたりスーツを10着ほど購入しました。

いずれも満足、型紙がいい、伝統があります。以来スーツはイギリスという考えは揺らぎません。

ダンカンのジャケットに拍手です。

 

2、ヴェネチア国際映画祭金獅子賞受賞

コスチュームがリッチですが、セット(美術)もリッチでした。なかでも船のバックに見える雲が素晴らしかった。

天候が荒れ狂う寸前のドラマティックなものです。

ベートヴェンの田園交響曲の第4楽章で、突然のどかな田園が、雷雨と嵐に襲われますが、あれです。

映画で嵐はやってきませんが、恐ろしいほどの緊迫感があります。

音楽も全体を通していい。

映画の音楽はむずかしい。いい音楽を連ねても雑音になるだけ、映画は音楽的になりません。

音楽映画なのに音楽がピリッとしない日本映画『白鍵と黒鍵の間に』を見たばかりでしたので余計に印象に残りました。

映画『哀れなるものたち』の音楽の使い方に、YES!、です。

ひとことで言って映画『哀れなるものたち』の「映画IQ」は高い。

撮影、照明、美術、CG、衣装、編集、そしてMA・・・スタッフ全てがいい仕事をしています。

だからヴェネチアで金獅子賞になったのです。

***

しかし分からないものです。

LOVEと前戯のない機械的なセックス・シーン・・・エロを感じさせない性に関する露骨なトーク・・・を聞いているうちに、

初めは声を出して笑っていたのですが、急に虚しさにとらわれ始めました。

映画って何?。

私は何を見るために、ここに来ているの?。

死んだ母親の脳に彼女が産んだ新生児の脳を移植し再生させるという話。それがどうしたの?

ベラの肉体は大人なのに精神は子供。だから一緒に旅をするダンカンは精神的にゼロのベラを成長させなければならない。セックスの快楽すらも・・・。

へんてこりんな外国人ふたりの旅に、私はわざわざお金を払ってまでして、同行しなければならないの?。

・・・・・・。

映画館で、プアではないリッチな時間を過ごしていたはずなのに、その時間は音を立てて崩れ始めました。

 

3、19世紀のイギリス

ベラとダンカンは、旅の途中でアフリカのアレクサンドリアに寄航します。

そしてベラは、現地の人々の悲惨な生活を目撃し、ダンカンがギャンブルで手にした巨額の金を、プレゼントするというシーケンスがあります。

そのあたりで、私の神経はプチンと、切れたました。

映画の舞台は19世紀後半のイギリスです。

おいおい、イギリス人よ、あのころ君たちは、アジアで何をしていたのだよ。

いまさらヒューマニストぶって、自由だと平等とか、やめてくれ。

私は心の中で怒鳴り始めていました。

イギリスは1600年から東インド会社を設立しインド人を搾取してきました。

1857年のインド大反乱セポイの乱)では、老人・女子・小児などを血祭に挙げ、ムガル帝国を滅ぼし、イギリス領のインド帝国を成立させています。

イギリスは中国でも、中国人をアヘン中毒にし、1842年の不平等条約南京条約をむすび、中国国家を解体しています。

なぜそんなことをしたか、イギリス人は「科学的に正しい」ことをしただけです。

「北欧系に比べて、ほかの『人種』は知能能力は低い」。「動物の品種改良ができるなら、人間の品種改良もできる」。

19世紀のイギリスは、ダーウィンの『進化論』を生み、「優生学」で世界に冠たる「科学」の国でした。

映画はエンディングでなんでも銃で命令する紳士を登場させます。あれこそがまさにイギリス人でした。

「POOR THINGS(かわいそうに)」で「POOR DEVIL(哀れな人)」です。

***

ところで私はスーツを数着持ち、いまだに伊達男やジゴロに憧れています。

現在の世界では背広が標準服で、着ないのはインド人とアラブ人です。

私と私たちの知らない未来が、世界を待ち構えています。

 

 

 

 

 

チャールズ・ダーウィン(1809~1882)の進化論から、英米の帝国主義、そしてマルクス主義が始まりました。

THE TED TIMES 2024-06「進化論」 2/7 編集長 大沢達男

 

チャールズ・ダーウィン(1809~1882)の進化論から、英米帝国主義、そしてマルクス主義が始まりました。

 

1、英国

<英国のインド進出では、武力だけではなく、インド教徒と回教徒、藩王藩王、ジャット人とラージプト人、ブンデラ人とロヒラ人、仲間同士を戦わせました。

1857年のインド兵叛乱では、英国は残忍酷薄な行為を行っています。

「土民の老幼男女を屠った」、「老人・女子・小児なども血祭に挙げられた」。

大英帝国において、インド農民以上に悲惨なるものはない。彼は一切を絞り取られてただ骨のみを残している」

さらに英国は、中国(支那)で絹織物と茶を買い。代金を阿片で払います。

中国人は阿片中毒に、中国は経済的財政的危機を迎えます。

1839年、中国は林則徐に取締りを命じますが、英国は勝利し、1842年不平等条約南京条約を結び、中国国家を解体します。

「すべての支那将校を海賊や人殺しと同じく、英国軍艦の帆桁にかけよ。人殺しの如き人相して、奇怪な服装をなせるこれらの多数の悪党の姿は、笑うに耐えざるものである。

支那に向かっては、イギリスが彼らより優秀であり、彼らの支配者たるべきものたることを知らしめなければならぬ」>(『米英東亜侵略史』(大川周明 土曜社)からの要約)。

なぜ英国は、インド人と中国人に対して、こんなに非道いことをしたのでしょうか。

英国人は「科学的に正しい」とことをしたまでに過ぎません。

「北欧系に比べて、ほかの『人種』は知能能力は低い」(『ダーウィンの呪い』 千葉聡 講談社現代新書 p.194)。

「動物の品種改良ができるなら、人間の品種改良もできる」(p.190)

知能指数の低い、インド人・中国人は絶滅する運命にある、と科学的に信じていたからです。

2、米国

<「およそ150年以前から(中略)世界は白人の世界であるという自負心が昂(たか)まり、欧米以外の世界の事物は、要するに白人の利益のために造られている思想を抱き、いわゆる文明の利器を提(さ)げて、欧米は東洋に殺到し始め」ました。

そんな中で、1853年ペルりのアメリカ艦隊が浦賀湾に乗り込み、通商開港の条約締結を求めてやってきて、翌年の正月、やむなく幕府は長崎の他に、下田・函館を開く約束をします。

日清戦争(1894~5)で支那の無力が暴露され、帝国主義支那を略奪の対象とするようになります。

アメリカの東洋政策も変わります。

太平洋を支配するものが東亜を支配する、アメリカは日本の勢力圏である満蒙を進出の目標にします。

1905年ポーツマスで日露の講和談判が進行している最中アメリカの鉄道王ハリマンが、日本のものとなるべき南満州鉄道を買収しようとし、桂首相との間に覚書を成立させます。

驚いた小村寿太郎がこれを取り消しにします。

アメリカは満鉄、シベリア鉄道で世界一周船車連絡路を築こうとしていました。

ハリマン計画の失敗で、アメリカは日本が東洋進出の障碍であると考えるようになります。

アメリカは日本人排斥を始めます。

1906年にサンフランシスコの小学校から日本少年を放逐し、1907年に数十人のアメリカ人が日本人経営の商店を襲撃します。

加えて1911年加州議会で日本人土地所有禁止の法律が成立します。さら加州排日協会は、日本人の借地権を奪う、写真結婚の禁止、米国が排日法を制定する、日本人に帰化権を与えない、日本人の出生に市民権を与えない、以上を決議をします。

日米両国の政治的決闘が始まります。

アメリカは、1921~2年のワシントン会議で、第一に日英同盟を廃棄させ、日本を国際的に孤立させ、第二に日本海軍の主力艦を米英の6割に制限することに成功します。

「繰返して述べたる如く、米国の志すところは、いかなる手段をもってしても太平洋の覇権を握り、絶対的に優越たる地歩を東亜に確立するに在る。そのために日本の海軍を劣勢ならしめ、無力ならしめ、しかる後に支那満蒙より日本を駆逐せんとするのである」>(『米英東亜侵略史』(大川周明 土曜社)からの要約)。

そして1941年12月8日の開戦なり、1945年8月15日の終戦になります。

米国の日本に対する態度も、米国人が科学的に正しいと考えてしたことに、他なりません。

「奴隷は人間ではない。堕落した民族、依存的な民族、異質な民族が我々の国境内に存在したとしても、それらは合衆国の一部ではない。彼らは社会問題であり、平和と福祉に対する脅威である」(p.226)。

「この法律は日本で排日移民法と呼ばれてきたものだが、必ずしも日本からの移民を排除しようとしたものではなく、その本質は遺伝的に劣った「人種・民族」の移入阻止を目的とした優生思想である(p.234)。

3、マルクス

「『優生学とは、民族の先天的な資質を向上させるあらゆる効果を研究する科学』」(p.190)。

ギリシャ時代から優生思想はありました。紀元前4世紀のプラトンはこう言っています。

「上流階級の市民のうち良質と評価された男女だけが結婚し、それ以外は繁殖を禁じす。質の低い者は下層階級に追放する」(p.254)。

さらに近代になってからも近代オリンピックの父ピエール・ド・クーベルタン(1863~1937)が言っています。

「スポーツよ。あなたは豊穣だ。あなたは種族の完成に向け、真に高貴の努力し、不健康な種子を破壊し、その純粋さを脅かす傷を癒す」(p.278)。

そしてカール・マルクス(1818~1883)も社会進化論を展開しています。

「アジア的・古代的・封建的・および近代ブルジョア的生産様式が、経済的社会構成体のあいつぐ緒時期として表示されうる」(『経済学批判・序言』 カール・マルクス)。 

マルクスニュートン(1642~1727)の天体法則のように、社会変動の運動法則を発見し、自らの理論を「科学」としました。

さらにマルクスの理論にダーウィンの進化論を取り入れています。

ダーウィンは、(中略)動植物の諸器官の形成に関心を向けた。社会的人間の生産的諸器管の形成史、それぞれの特殊な社会有機体の物質的基礎の形成史も同じ注意に値するのではないか」(『マルクス・エンゲルス全集』23a p.487)。

進化論と優生学の影のある「科学的思想」は科学ではありません。

加えてマルクスは日本に対してたった1行ですが差別的な記述を残しています。

「日本でも、生命条件の循環は、もっと清潔に行われている」(『資本論』(三)p.303 向坂逸郎訳 岩波文庫)。

イングランドの労働者の劣悪な生活描写の後に出てくる、突然の日本そして日本人を奴隷扱いしたような、この記述は一体何なんでしょう。