映画「ザ・ロング・ウォーク」は、今年の話題作、なんともヘンテコリンな映画です。

THE TED TIMES 2026-29「ザ・ロング・ウォーク」7/19 編集長 大沢達男

 

映画「ザ・ロング・ウォーク」は、今年の話題作、なんともヘンテコリンな映画です。

 

1、ワン・シーン

映画「ザ・ロング・ウォーク」(フランシス・ローレンス監督 2025年 アメリカ)はなんとも変わった映画です。

まず、基本的にワン・シーンで構成されている映画で、映画に挑戦し、映画を発明しています。

つぎに、プロットが変わっています。原作はスティーブン・キング(1947~)、若者数十人が歩き始め、最後のひとりになるまで、歩き続ける映画です。

ロング・ウォークにはルールがあります。

1)時速4.8キロで歩く 2)速度が下回ると警告を受ける 3)3つの警告で射殺 4)コースを逃げても射殺 5)最後の一人なるまで歩き続ける 6)勝者には賞金。そしてどんな夢でも叶えてくれる

ロング・ウォークをする若者たちには、戦車と兵士が監視していて、さらに総司令官としての少佐がいます。

時代は、アメリカ合衆国の近未来という設定。小説は1979年作、ベトナム戦争が終わった(1975年)頃に書かれた小説でした。

そして映像が残酷です。例えとして適切ではありませんが、パゾリーニの映画を思い出させるほどです。

トイレ休憩、食事休憩、睡眠休憩はなし、自由に受けることができるの給水と朝に一度の栄養チューブだけで、ロング・ウォークの参加した若者が、ひとりまたひとり、最後のひとりになるまで、頭部が射殺される映画です。

 

2、生きる目的

この映画の魅力とは何でしょうか。それはロング・ウォークの最中に交わされる若者たちの会話にあります。

人生の目的は何のか、何のために生きているのか、を問うているからです。

哲学的な論議をしているのではありません。極めて具体的に今ここで何をすべきかを問うています。

立ち止まったら射殺される、私は何を目的に歩いているのだろう。

ロング・ウォークの体験を小説にしたい、そしてベスト・セラー作家になりたい。

歩き通して、ママに再会したい。

落伍する他人を助けることは、ロング・ウォークの勝負に負けることを意味する、だけど他人の力になりたい。

僕の夢もあるけれど、あいつの夢の方が潔い、勝つべきはあいつだ。

私は創作の夢がある。私は会いたい人がいる。私は他人のために役に立ちたい・・・だから生きたい。

ところで、映画を観ている・・・自分はこんな生き方でいいのだろうか。映画を観ているひとりひとりが、自問自答を始めぜるを得ないからです。

 

3、ニヒリズム

原作にも映画にもニヒリズムがあります。

ニヒリズム(虚無主義)とは、今生きている世界にも、生きている人間存在にも意義、目的、真理、価値がないという、哲学的立場です。

アルベーユ・カミユは、自殺こそが哲学の最大の課題であると、『シジフォスの神話』を書きました。さらにジャン・ポール・サルトルは、人間存在はそこらにある石ころと同じで何も意味もない、と言い切りました。

全くその通りですが、これでは夢も希望もありません。私たちは生きるための嘘がなければ生きていけません。

ニヒリズムそのもの映画のようですが、映画「ザ・ロング・ウォーク」は、最後にひと筋の希望を与えてくれます。

さて映画「ザ・ロング・ウォーク」をどう評価すべきでしょうか。

私は、映画「シラート」(オリベル・ラッシュ脚本・監督 スペイン・フランス合作映画)を思い出させました。ともに、傑作で、もう一度観ようとは思わせない、ヘンテコリンな映画です。

「ニヒリズムは、ヨーロッパにもアメリカにも存在し、西洋全体に偏在している」(『西洋の敗北』 p.173 エマニュエル・トッド 文藝春秋)。

 米国と欧州は自滅した、『西洋の敗北』の歴史人口学者エマニュエル・トッドの予言は、当たっています。

 

 

SNSが生み出した「新しい大衆」とは何か?

THE TED TIMES 2026-28「新しい大衆」7/12 編集長 大沢達男

 

SNSが生み出した「新しい大衆」とは何か?

 

1、大衆社会論

「20世紀半ば、マスメディアの発達に伴って大衆社会の成立と言われたが、今日ではソーシャルメディアの普及とともに、新たな大衆社会が出現したとされる」(伊藤昌亮 成蹊大学教授 日経6/12)。

日経は「新しい大衆の姿」という記事を3日(6/10~12)にわたって掲載しました。これはその要約です。

 

2、山腰修三(日経 6/10 慶應大学教授)

山腰はまず大衆社会の再来をおさらいします。

大衆は社会の近代化と大規模化で登場し、民主政治を支えた。新聞、ラジオ、テレビのマスメディアは同一のメッセージで大衆の価値観・行動様式を画一化し、批判的思考力や判断力を奪った。

しかしインターネットの登場により、私たちは再び「大衆」の登場を経験している。それはポピュリズムの熱狂であり、虚偽の情報、陰謀論の拡散のにより多数の人々が影響される「ポスト真実」の深刻化である。

そして山腰は「データ化」を問題点として指摘します。

1)グーグル、オープンAIが台頭しているのは、ビッグ・データを収集し活用した点にある。データを収集・加工・処理し現代的な大衆=マスを生み出している。

2)公的私的生活、活動・身体・心理状態・パーソナリティすべてのデータが「強奪」されている。私たちはプロファイリングされ、カテゴリーの分類される。

3)私たちはネガティブな感情、他者に対する敵対意識を持たされ、自己決定・自己判断の機会をうばわれ、「マス化」する。

 

3、田辺俊介(日経6/11 早稲田大学教授)

田辺は、経済的の不平等と情報の平等を、指摘します。

1)上位1%に所得と資産が集中、中間層は減少している、国家が提供してきた各種セキュリティ喪失の不安感広がっている。

2)新聞は97年をピークに半減、テレビの視聴も減少、一方でスマホ利用は9割増え、基本ひとりに1台になっている。

そして田辺は本論を展開します。

3)「わたくしたち」内集団を「かれら」外集団よりも好意的に見る「内集団バイアス」と、

否定的だ危険を感じる情報の方人びとの感情をかき立て、行動を促す「ネガティビティバイアス」。

この2つのバイアスを利用することができる「内集団である国民が被害者で、外集団である移民や外国人は加害者である」というナラティブ(物語)は多くの人びとに浸透しやすい。

・・・まあちょっと理解しにくのですが、言わんとしていることはわかります。

その証拠に、この10年に外国人は急増しているのに、日本の治安状況は悪化していない事実をあげます。

結論的に田辺は、真偽不明の情報が蔓延する中でのマスメディアの重要性を指摘しています。

 

3、伊藤昌亮(日経6/12 成蹊大学教授)

伊藤はTikTokに投稿された、2万件の「切り抜き高市(早苗)動画」の中から57件を抽出し、以下の4つのカテゴリーから分析しています。

1)政治的言説動画(政策) 2)政治的振る舞い動画(取り組み姿勢) 3)一般的言説動画(信条・生き方) 4)一般的振る舞い動画(人柄・キャラ)

その結果、「切り抜き高市動画」のカテゴリー別いいね率は、

政策9.3%、姿勢39.7%、生き方10.1%、キャラ36.4%、

となっています。

結論として、選挙民は、政治家高市から元気をもらい生き方の指針を得ようとし、いかに社会をよくするかではなくいかにして自分がよく生きるか、生の課題を考えようとしていたと、分析します。

こうしたことは、民主主義にとってネガティブな要素として、理性的な討議より感情的な反応が優先される、ポジティブな要素としては政治を自分ごと化し主体的な政治参加を試みている、と考えることができるとしています。

 

4、自民の圧勝(2月8日衆議院選挙)

「『単純なメッセージに感化れた首相の熱狂的支持者』というファンダムが自民党大勝の立役者だったとは言い難い」(金子智樹 東北大学准教授 日経4/29)。

そしてSNSが今回の選挙の動向を決めたという意見にも否定的されています。

確かに選挙中には、高市早苗首相を称賛する動画と中道改革連合を批判する動画が、ユーチューブを席巻していました。

しかし日本保守党は多くのポジティブ動画が流通していましたが議席を獲得できませんでした。逆にチーム未来はユーチューブ上で存在感はなかってものの11議席を獲得しています。

そして「推し活」による高市首相の人気が自民党の得票に影響した意見も否定されています。

高い内閣支持率を背景にした高市首相への需要が先にありました(谷原つかさ 立命館大学准教授 日経4/28)。

しかし選挙ポスターの笑顔が得票率を増やす、政治家の性別、声のトーン、人物イメージ・・・「ヒューリスティクス=Heuristics」(直感的迅速な判断を下す認知過程)が投票を決めるようになったことは否定されていません(尾野嘉邦早稲田大学教授 日経4/27)。

 

5、政体循環論

1)私たちはネガティブな感情、他者に対する敵対意識を持たされ、自己決定・自己判断の機会をうばわれ、「マス化」する(山腰)。

2)内集団である国民が被害者で、外集団である移民や外国人は加害者である」というナラティブ(物語)は多くの人びとに浸透しやすい(田辺)。

3)民主主義にとってネガティブな要素として、理性的な討議より感情的な反応が優先される、ポジティブな要素としては、政治を自分ごと化し主体的な政治参加を試みている、と考えることができる(伊藤)。

新たな大衆社会は多くの問題を抱えています

古代ギリシャの歴史家ポリュピオスの政体循環論があります。

王政、専制、貴族制、寡頭制、民主制、衆愚制です。

現代の私たちは、民主主義を至上の価値として議論しています。しかし民主制は、ユークリッド幾何学の公理のようなものでしょうか。

 

 

 

 

 

映画「急に具合が悪くなる」(濱口竜介監督)は、「文部省特選(今はない)」クラスの映画です。

THE TED TIMES 2026-27「映画『急に具合が悪くなる』」7/5 編集長 大沢達男

 

映画「急に具合が悪くなる」(濱口竜介監督)は、「文部省特選(今はない)」クラスの映画です。

 

1、地域包括ケアシステム(包括ケア)

国(厚生労働省)が作った「地域包括ケアシステム(包括ケア)」という医療・介護のための耳慣れない言葉あります。

高齢者が病気なっても、住み慣れたところで、最後を迎えることができるような、医療、介護、生活支援を受けられる、体制を作ることです。

なぜそんなことを国が言うかというと、医療・介護費をこれ以上増やすことができない、さらに高齢者を入院させるベッドがない、医療従事者がいない、からです。

「包括ケア」の精神は、自助、共助、公助のうち、自助と共助に重点を置くというものです。

映画「急に具合が悪くなる」は、パリの介護施設「自由の庭」を舞台にしていて、しかもそこでは高齢者・認知症のコミュニケーションの技法「ユマ二チュード」が実践されている、という設定です。

まさに、「包括ケア」の日本が一番必要にしている映画で、全国民が観なければならない映画です。

2、ユマニチュード(人間らしさ)

見る(Look)・・・認知症の人は視野が狭い、同じ目の高さで、近寄って見つめる必要があります。

話す(Speak)・・・優しく歌うように「あなたに会えて幸せです」と話し始めます。

触る(Touch)・・・手のひら全体で下から支えるように触れます。「つかむ」から抵抗されます。

立つ(Stand)・・・「歩いて棺桶に」という言葉の通り、歩かないと体は弱ります。

ユマニチュードは、看護・介護の専門職に人たちだけでなく、私たちも実践的に訓練・学習しなければなりません。

映画の中の介護施設「自由の庭」で、主人公のアンリ=マリーとベテラン看護師のソフィが対立するシーンがあります。

「患者を歩かせて介護に付き添うのは労働強化ではないか」、「転倒して怪我をした時の医療費はどうするのか」。

どちらも正論のように聞こえますが、患者の人間性を全く考えていない意見で、医療費の節減(歩いて棺桶)という点でも的を得ていません。

 3、濱口龍介

映画は作られてなく、生まれていて、映画が発明されています。

それが証拠に劇映画でなくドキュメンター・ドラマを観ているような感覚に襲われます。

まず、カメラがいい。数人・10数人が写っている「自由の庭」でのミドルからロングのカットが秀逸です。全員が生き生き、私のお気に入りは、認知症のムラーノさん。

つぎに、映画全編で音楽、効果音が使われていません。うまい!!これがリアリティ感と増しています。

そして、ときどき監督は巧みなユーモアで私たちを現実に戻してくれます

アンリ=マリーが「自由の庭」のマネジメントについてスタッフの前で長いスピーチをします。

説得力あるな~と聞いていると、アンリ=マリーの隣で聞いていた男性スタッフが「話がうまい、私もこれにやられました」と笑いを誘い、緊張のシーンを和らげます。

この笑いに見られるように、濱口竜介監督は、日本で初めてグローバル・コミュニケーションができる監督です(ただし安易な資本主義批判はあまりも日本人的)。

映画は、フランス、日本、ドイツ、ベルギーの4カ国合作。言葉は、日本語とフランス語のチャンポン。主役はアンリ=マリー・フォンテーヌ(ウィルジニー・エフィラ)、森崎真里(岡本多緒)。

そしてカメラは、アラン・ギシャウア(フランス)。以上のスタッフ・キャストを見ても、濱口竜介監督は国際舞台でのカリスマ監督です。

第79回カンヌ映画祭は、「急に具合が悪くなる」の公式上映で、破れんばかりの拍手を送り、それは照明がついても終わりませんでした(日経6/3)。そしてカンヌは主役の2人に女優賞を送りました。

ただし「急に気分が悪くなる」という映画のタイトルは、患者への配慮を欠きユマニチュードとは言えず趣味が悪く、監督の「青さ」が露呈したと言えます。

 

映画「シラート」は「簡単で難解」ですが、今年のベスト・ワンになるのでしょうか。

THE TED TIMES 2026-26「映画『シラート』」6/29 編集長 大沢達男

 

映画「シラート」は「簡単で難解」ですが、今年のベスト・ワンになるのでしょうか。

 

1、スペインとモロッコ

映画「シラート」(オリベル・ラッシュ脚本・監督)は、スペイン・フランス合作映画です。スペイン語、フランス語、英語、アラビア語が使われます。

覚えたてのアラビア語、「シュクラン=ありがとう」を聞き取ることができたのは、何よりもの収穫でした。

プロットは失踪した娘を探す父親ルイスの物語です。

舞台はモロッコの砂漠、巨大なスピーカーが、岩山をバックに並べられたレイブです。

とんでもないところに若者が集まり踊り狂っています。

しかし、軍隊の取締りがあり、レイブに集まった人の一部の人は、逃げ出しさらに他のレイブを求めて彷徨い始めます。

父親ルイスもその一団に同行します。

一団は、またまた砂漠にスピーカーを並べレイブを楽しみますが、悲劇が起こり、映画は終わります。

 

2、テクノとレイブ

映画は、衝撃的で、魂(たましい)を揺さぶられます。しかし、なぜ身も心も魂も反応するのか、自分自身もわかりません。

しかし映画館で買ったパンフレットに、宇川直宏の優れた文があり、すべてを解き明かしてくれました。

まず、レイブ(Rave)とは、ハウス、テクノで踊り明かす野外・特設パーティーですが、本質は「仮設都市」の建設であることです。

貨幣経済は停止され、ギフトエコノミーなり、人々は寝食をともにし、踊ります。

電気も水道もない、WIfiも、インターネットもない共同体が生まれます。

つぎに、流れる音楽のテクノとは、『第三の波』(アルビン・トフラー)に登場するテクノ・レベルズ(Techno-rebels 技術反逆者)に由来するもので、反体制です。

映画で使われているのは、カッティング・レイの音楽です。周波数、空間、物理振動をグルーブとして扱う音響建築をし、音を放ち空間設計をしています。

大箱のサウンド・システムは、20~40Hzの低周波で内臓を揺らし、ダンスフロアは催眠状態に入り、レイブはシャーマニックな儀式空間になります。

そして、宇川直宏はこの映画の舞台が、モロッコと西サハラ独立運動の終わらない戦争が行われている、ところであると解説します。

もちろん主人公のルイスは娘探しに来ているだけで、レイブの傍観者でしかありませんでしたが、しかしルイスの旅は、自分探しの旅に、変容していきます。

家族とは何か。血縁以外にアイデンティティを求める場所はあるのか。ダンス・ミュージックが流れるフロアが共同体になりうるのか。

映画は、全てを破壊し、喪失には意味も救いもないというニヒリズムで、終わります。

 

3、エロスとタナトス

映画はテーマは、エロス(生と自己保存)とタナトス(死と破壊)です。

映画は、理性(ロゴス)や感性(パトス)ではなく官能(エロス)で作られていて、大脳新皮質や大脳旧皮質ではなく大脳古皮質で作られています。

・・・とまあ、屁理屈を並べる必要はありません。

映画は映像で作られた「レイブ」で、「仮説都市」で踊った体験をさせてくれるものです。

今年度のダントツの1位を予感させる映画、しかしもう一度観る気にはなりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

映画『シンプル・アクシデント』は、カンヌのパルムドール賞受賞だから、評価できません???

THE TED TIMES 2026-25「シンプル・アクシデント」6/22 編集長 大沢達男

 

映画『シンプル・アクシデント』は、カンヌのパルムドール賞受賞だから、評価できません???

 

1、プロット

映画『シンプル・アクシデント』( 『It Was Just An Accident』 ジャハル・バナヒ監督 フランス・イラン・ルクセンブルグ 2025)は、第78回カンヌ国際映画祭でパルムドール(最高)賞を受けています。

バナヒ監督は、ヴェネティア国際映画祭金獅子賞、ベルリン国際映画祭金熊賞、世界の三大映画祭で最高賞を受賞(グランドスラム)している史上4人目の偉大な監督です。

あとの3人は、アンリ=ジョルジュ・クルーゾー(1907~77 フランス)、ミケランジェロ・アントニオーニ(1912~2007 フランス)、ロバート・アルトマン(1925~2006 アメリカ)です。

アントニオーニは、『太陽はひとりぼっち』(1962)、『欲望』(1966)で、忘れることができない私の青春時代の監督ですが、あとの二人はよく知りません。

グランドスラムには、ヴィスコンティも、ゴダールも、ベルイマンも、コッポラも、スピルバーグもいません。

3大映画祭制覇はたいしたもの、ですがそれほど重要ではないようです。

さて『シンプル・アクシデント』のプロットです。

1)元政治犯だったワヒドが、刑務所で拷問を受けた看守のエクバルに、偶然出会います。

恨みを晴らすために、ワヒドはエクバルを、生き埋めにしようとします。

しかし待てよ、「此奴(こいつ)はほんとうにエクバルか?」。

2)疑念が生じ、昔エクバルに虐待された仲間の政治犯を集めて、検証を始めます。

その過程で、エクバルが看守として何をしたかの証言が集まり、イラン政権の独裁的、恐怖的、専制政治が明らかになり、それを告発する映画になっています。

まあ常識的に見て、刑務所は犯罪が明らかになり、刑が確定し服役するところで、刑務所の看守が自白のために拷問をするとは考えられませんが・・・まあいいでしょう。

3)エクバルはもと政治犯たちによる、「お前はエクバル本人に間違いないな?」、と激しい拷問を受けます。

 

2、映画としての魅力

それぞれの政治犯が、看守を告発するための長いセリフを言います。

それがこの映画を面白くしています。舞台劇の楽しみがあります。

しかし映画的なモンタージュ(意表をつくカット積み重ね)や編集はありません。

おなじく、音楽や効果音の、映画を映画として発見するための、冒険的な試みもありません。

まあ全体の構成としては楷書で綴られた映画です。

 

3、カンヌ映画祭

今年のカンヌの第79回の最高賞は『フィヨルド』、ルーマニアのクリスティアン・ムンジウ監督でした(私はまだ観ていません)。

ノルウェーの田舎町にルーマニアから移住してきたクリスチャン家族の物語で、家庭での「しつけ」の痕跡が、ノルウェーの児童保護システムのチェックにひっかかるという、人権、コンプライアンス、ポリティカル・コレクトネスをテーマにした映画です。

日本からの『急に具合が悪くなる』(濱口龍介監督)、『箱の中の羊』(是枝裕和監督)は受賞しませんでした。

その腹いせで言うのではありませんが、カンヌ映画祭など信用できません。

『シンプル・アクシデント』も『フィヨルド』も同じではありませんか。

キリスト教世界の価値観を世界に宣伝し、人権、自由、平等のリベラリズムで世界を侵略する、キャンペーン映画です。

イスラム世界の価値観は否定されます。

さらに万世一系の天皇をいただく、日本の歴史と伝統など、もってのほかです。

そんなわけでイランの現政権を批判したリベラリズムの『シンプル・アクシデント』は評価できません。

 

 

 

 

 

 

映画『箱の中の羊』(是枝裕和監督)はカンヌで敗れましたが、評価されるべき映画です。

THE TED TIMES 2026-24「是枝裕和」6/15 編集長 大沢達男

 

映画『箱の中の羊』(是枝裕和監督)はカンヌで敗れましたが、評価されるべき映画です。

 

1、ロボット息子

『箱の中の羊』は7歳の息子を失った夫婦のもとに、息子のデータが埋め込まれたロボット(ヒューマノイド)が届けられ、一緒に暮らすという近未来物語です。

ふつうこの手の物語は、SF(Sience Fiction)と呼ばれますが、この映画は違います。

リアリティのある現代家族の物語になっています。

人は身近かなだれかを失えば喪失感を味わいます。

亡くなった人に、帰ってきて欲しい、戻ってきて欲しい、という願いは、どんなに強く願っても、それは叶わぬ願いでしかありません。

ところが、その亡くなった息子が夫婦の日常に戻ってくる、というのが映画のプロットです。

映画を観る者の心は、息子が自動車に乗って我が家に届けられる瞬間から、激しく動揺し始めます。

もし野球仲間のあいつが戻ってきたら、もし一緒にロックコンサートに行ったあいつがここにいたら・・・

私たちは、自らの心への問いかけを始め、心を揺さぶられ、映画を観続けるが、怖くなってきます。

 

2、映画の発明

演ずる夫婦である綾瀬はるかと大悟、息子の桒木里夢(くわきりむ)がいいです。

なかでも建築設計家を演ずる綾瀬はるかがいい。

息子を失った喪失感にありながら、息子との再会というゲームを楽しんでいます。

それは自らが建築家と生きている彼女の姿がいいからです。

建築設計のモデル化のシーンがあります。その手仕事が様(さま)になっています。それを捕らえるカメラもいいです。

母が生き生きしているから、ロボット息子にも血が通って、対話が生まれています。

特筆は、チェロ、声、オーケストラの音楽です。坂東祐大(ばんどうゆうた)、天才の登場です。

音楽は絶えず観るものの心の動揺に寄り添ってくれます。

画像は効果音・音楽の合成で映像になり、SF仕立ての映画でありながら、SFではないリアリティの現代映画を成立させています。

映画『箱の中の羊』は、新しい映画を発明しています。

 

3、安田匡裕(やすだまさひろ 1943~2009)

是枝裕和監督自身が、失った人で戻ってきて欲しい人が、います。

それは相米慎二監督から紹介され、自らの仕事で片腕になった安田匡裕です。

安田匡裕は、電通映画社時代に私の仕事でディレクターをやってくれました。

小柄ですが、大迫力でしかし静かに、物を語る人でした。

映画『箱の中の羊』に、もし安田匡裕がスタッフとして加わっていたらプロットの後半は変わっていました。

ロボット(ヒューマノイド)のコミュニティ、そしてその反乱のシーンは再考されたはずです。

安田匡裕は、兵庫県出身ですが日本海側、小柄な出雲族の末裔でした。

 

2026年5月18日に鈴木敏文さんが亡くなりました。 10年前に書いた私の「鈴木敏文」(2015.5.27)を再掲します。

THE TED TIMES 2026-23「鈴木敏文2」6/8編集長 大沢達男

 

2026年5月18日に鈴木敏文さんが亡くなりました。

10年前に書いた私の「鈴木敏文」(2015.5.27)を再掲します。

 

1、コンビニ(注:これは2015年の話)

ファミリマートとユニーが合併します。ユニーの配下にあったサークルKサンクスも行動をともにします。

このことによりコンビニは、セブンーイレブン・ジャパン1万75OO店舗、ファミリマート1万7465店舗、ローソン1万2081店舗の3強時代に入ります(日経 2015.3.7~11)。

3強といってもコンビニ業界はセブンーイレブンの一人勝ちが続いています。

まずセブンーイレブンの年間営業利益が軽く2000億円を越えているのに、他の2社は1000億円を大きく下回っています。

平均日販と呼ばれるコンビニの最重要指標でセブンーイレブンが大きくリードしています。

セブン66、ローソン54、ファミマ52、サークルKサンクス46。数字に1万をかけたものが、1日当たりの1店舗の売上高です。

力の差は歴然(日経3/9)。なぜ、セブンーイレブンが強いのか。

鈴木敏文という卓越した経営者がいるからです。

 

2、セブンーイレブン

セブンカフェを飲んだことがありますか。

ほとんど人が「Yes!」と答えるでしょう。

いつも挽きたていれたてのおいしいコーヒー。それもわずか100円。2013年からスタートしました。

現在年間7億杯、700億円のビジネスになっています。

セブンーイレブン90杯、ローソン60杯、サークルKサンクス40杯。1店舗あたりの売上げでも他社に差をつけています。

なぜセブンーイレブンは強いのか。単なる小売業ではないからです。

たとえばおにぎり、お弁当、お惣菜は、1日3回生産、3回納品体制をとっています。いつも新鮮です。専用工場を180持っています。

92%が自社製品です。他社はせいぜい30数%程度。まるで違います。

しかも年間7~8割の商品が入れ替わります。年間に2000アイテムの新製品が開発されます。

モノが余っているいまの時代のお客様の動きは激しい。売れ始め、ヒット商品になり、売れなくなる。従来はそのカーブは富士山型でしたが、いまはペンシル型。これは売れると思ってもすぐにあきられ売れなくなります。

加えてセブンーイレブンのルールはさらに厳しい。

「廃棄ロスより機会ロス」。売れの残りを心配するより、売り切れに注意。お客さんを逃してはいけない。そのために一品一品を管理し、一店一店の特徴をつかむのです。

いまではあたりまえになりましたが、1983年にセブンーイレブンは、日本初で世界初の、POS(販売時点情報管理)の開発に成功しています。いつもお客様をみつめています。

 

3、鈴木敏文

鈴木敏文は民主主義と正反対のことをやります。

みんなが反対することだけをやり、成功してきました(週刊ダイアモンド「鈴木敏文の破壊と創造」20156/6 p.32~36)。

まず、1974年の東京・江東区のセブンーイレブン1号店(ちなみにケンタッキー=KFCは1970年に、マクドナルドは1970年に日本に上陸)。

これからは大型店舗の時代、なのになぜ小さなコンビニ?と反対されました。

しかも事業を始めたのはスーパー業界8番手の弱小イトーヨーカ堂、相手は米国コンビニ最大手4000店舗を誇る7-11。

しかしやがて、鈴木敏文は、米国のマンモス企業を飲み込んでしまいます。

つぎにPB(プレイベートブランド)商品、「セブンプレミアム」を始めたときにも反対されました。

セブン&アイホールディングスには、イトーヨーカ堂、そごう・西武百貨店があります。コンビニで売っているものをデパートで売れるわけがない。しかしここでも鈴木敏文は勝利します。

「セブンプレミアム」は2007年にスタートし、2015年度には1兆円の売上高になろうとしています。年間売上げが10億円を越えるヒット商品が115アイテムもあります(『鈴木敏文 仕事の原則』緒方知行+田口香世 日本経済新聞社 P.194)。

そしてATMだけのセブン銀行。素人がやっても、うまくいくわけがない。専門家はことごとく反対しました。

ところがいまではセブン銀行はセブンーイレブンだけでなく、駅や空港にも、2万1000台。重要な社会インフラになっています。

さらなる驚きは公共料金収納サービス、その扱い高は現在4兆円を上回っています。

セブンーイレブンは、銀行や郵便局のライバルになっています。鈴木敏文の勝利です。

有名な話があります。

チャーハンを試食した鈴木敏文が激怒。「これはチャーハンではない」「売れています!」「こんなものをセブンーイレブンが売ってはいけない」。

そして鍋の開発から再スタート。調理温度の高い鍋から理想のチャーハンが生まれます(『セブンーイレブン 終わりなき革新』日経ビジネス文庫p.77)。

セブン&アイホールディングスは2015年2月期に売上高6兆1000億円、営業利益3450億円、いずれも過去最高を記録。

82歳の鈴木敏文はまだまだ成長を続けています。

 

(以上は、「鈴木敏文」(2015.5.27)の再掲です)