「精工舎、三協精機、大沢巳代治」 (一人の時計職人が、大きな歴史の小さな歯車を、動かしていました。)      

THE TED TIMES 2025-46「大沢巳代治」 11/27 編集長 大沢達男

 

精工舎三協精機、大沢巳代治」

(一人の時計職人が、大きな歴史の小さな歯車を、動かしていました。)                 

 

1、山田六一(やまだろくいち)

『山田六一随想集 三協精機創業以来の思い出』という本があります。

「著者・発行者 山田六一」で定価の表示はなく、自費出版された本です。

ネットで調べると国会図書館と神奈川県立図書館にしかない希少本でした。

私は県立図書館の相模倉庫からこの本を取り寄せ読むことができました。

目的は三協精機の創立に関与したと伝えられる父・大沢巳代治(おおさわみよじ)の消息を求めてです。

基本的な情報を確認しておきます。

三協精機とは1946年に長野県下諏訪に設立された「三協精機製作所」です。

オルゴールと電子機器で有名な三協精機です。

現在は「ニデックインスツルメント株式会社」で、その前は「日本電産サンキョー株式会社」でした。

1976年インスブルックオリンピック日本選手団団長が三協精機社長の山田正彦で、1998年長野冬季五輪スピードスケート500メートル金メダルの清水宏保が所属していたのが三協精機です。

山田六一はその三協精機創立者のひとりで、その後に社長になり長野県を代表する企業家の一人になりました。

『山田六一随想集』はA5版で277頁もあるハードカバーの立派な本です。

山田六一が本をまとめていたのは84歳(2001)のころです。

昔のことは忘れてしまっているのではないか。

父・大沢巳代治に関する記述はあるのだろうか。

私は疑惑に駆られながら本を開きました。

ところがいきなり、大沢巳代治の足跡を求める私の目的は、期待を上回るかたちで達成されました。

 

2、時計信管

冒頭の1節<我が社の誕生は時計信管の取りなす縁>に全てがありました(もちろん我が社とは三協精機)。

<諏訪地場産業の雄・北沢工業と兄弟会社の東洋バブルは、製糸産業向けのバルブメーカーの大手として繁栄していたが、太平洋戦争の激化と共に軍需産業化へのニーズが高まり、製糸産業の斜陽化と相俟って、主力製品のバルブは軍用船舶向けが中心になり、そして新たに時計信管を造ることになった。

因みに、時計信管とは高射砲の砲弾に組み込まれる時限起爆装置であり、砲弾が標的となる航空機の周辺に到達すると同時に炸裂するよう、時間を制御するユニットである。

東京の精工舎等で活躍していた時計技術者の大沢巳代治と小川憲二郎は、時計信管造りの技術者を求めていた東洋バルブにスカウトされ、機械設計技術者の私も北沢工業に就職することになった。

1944年8月(S19)のことである>(p.11)。

「時計信管」とは高射砲弾の起爆装置ですが、軍事的な特殊作戦や暗殺に使われる技術です。

戦後を騒がせた極左集団、企業連続爆破事件のテロ教本「腹腹時計」の「時計」とは、時計信管のことです。

私たち家族は、東京・本所から長野県・諏訪に疎開し、父・大沢巳代治は東洋バルブに勤務していました。

しかしその仕事の内容は誰も知りませんでした。

もちろん母も・・・。

不思議なことがあります。

小川憲二郎は、精工舎から諏訪精工に移籍し東洋バルブに勤務しています。

ところが大沢巳代治は精工舎を退社して(させられ)東洋バルブで、小川と合流しています。

大東亜戦争が始まった1941年前後の話です。

なぜそうなったのか。二つの説明が可能です。

ひとつはセイコーが、二人揃って東洋バルブに移籍して精工舎セイコー)=軍需産業になることを、恐れたからです。

ふたつ目の説明は、大沢を退職させ、大沢の身辺を洗ったからです。

小川は学歴もあり出身もしっかりしていました(と考えられる)。ところが大沢は小学校卒業、その父は素人の相撲取りで、博徒・侠客に近い存在でした(このことについては後ほど触れる)。

出自のはっきりしない大沢を、国家機密の仕事を任せるわけにいかない、身辺を調べる必要がありました。

証拠があります。

戦後になって、母が何の意図もなく、私にした話があります。

「オオサワは頭がいいからアカ(共産主義者社会主義者)じゃないかって、トッコウ(特高特別高等警察)がお父さんを随分調べたんだよ」

母は特高の活動の意味を意味を知りませんでしたが、大沢を泳がせて身辺を洗っていた事実を言ったのでしょう。

時計信管(時限爆弾技術)の仕事は、最高度の軍事機密でした。

父は死ぬまでその秘密を一言も口にすることなく死んでいきました。

お国に尽くした、「報国」で「殉国」です。

逆に、山田六一がこれほどあけすけに、「時計信管」について語ったのも初めてでしょう。

戦後も50年以上たった、功成り名遂げた、という気やすさでしょうか・・・。

 

3、三協精機

『山田六一随想集』に戻ります。

1945年に戦争が終わります。

北沢工業と東洋バルブは、軍需産業からの事業転換を迫られます。

バルブ部門は問題ありませんが、問題は「時計信管」部門です。

新たな製品分野の展開が必要になります。そして・・・

<大沢巳代治と小川憲二郎他の技術スタッフを活用し、ウォッチ事業に参入する旨の方針が打ち出された。>(p.12)。

しかし大きな環境変化に対応できす北沢工業で労働争議が起こります。

全国の注目を集めた労働争議は、中央から神近市子、長野県からは知事・林虎雄、さらに地元・諏訪からは共産党林百郎弁護士が登場し、争議終結まで8ヶ月もかかります。

<新規事業として取り組む筈のウォッチ製造は、構想倒れとなって取り止めが決定した。(中略)これにより大沢巳代治と小川憲二郎もまた目指す目標を失ってしまったのである>(p.13)。

そして三協精機が誕生します。

<かくして、諏訪の地に新たな産業を起こさんと企業家精神に燃えていた山田正彦をリーダーとし、機械設計技術でそれを支えたい思いの私(筆者注:山田六一)と、実績豊富な時計技術者である小川憲二郎の三人でチームを組み、新たな事業にチャレンジする相談がまとまったのである(筆者注:三協精機製作所の創業は1946.6)>(p.13).

<尚、我々三人組の発足当初よりアドバイザー的協力者だった大沢巳代治は、時計造りこそが我が道との思いが強く、我々と最後まで運命を共にするということはなかった。>(p.13)。

『山田六一随想集』は全体が48の小節から構成されていますが、冒頭の1節のエンディングは大沢巳代治で結ばれています。

こうして大沢巳代治は「伝説の時計技術者」として歴史に残ることになりました。

 

4、大沢巳代治

山田六一の記述に疑問があります。

まず三協精機の「三」とは誰かです。

私は母から、「山田さん、小川さん、お父さん(大沢)での三人で始めたから『三協』」、と聞いてきました。

山田兄弟と小川の三人だと、「三協」の発想はむずかしい。

「三協」というネーミングを考えたのは、大沢か小川か、大沢だったのではないでしょうか。

三人が協力して事業を始めようなんて、毛利元就の「三本の矢」のようでロマンチックです(筆者注:大沢巳代治はその後「信濃精機」という会社を創業する。「三協」と「信濃」というネーミングには、同じ浪漫の血脈がある)。

次の山田六一の記述への疑問は、大沢巳代治が「三協」を加わることを諦めている件(くだり)です。

山田六一は大沢が三協から離れていった理由として、大沢の時計造りへの情熱と解説していますが、理由は他にもありそうです。

まず年齢の違い。

三協精機創業の1946年、大沢巳代治(1903~1955)42歳、小川憲二郎(1910?~1990)30代後半、山田正彦(1914~1991)32歳、山田六一(1917~2013)29歳。

小川憲二郎の生年は不明。ただ山田六一の記述が大沢・小川の順になっていることから、小川は大沢より歳下の30代後半と推定されます。

父の口癖は「四十、五十はハナタレ小僧」、だとすれば、山田兄弟はまだ「クチバシの黄色いヒヨッコ」でした。

つぎに学歴の違い。

大沢巳代治はセイコーの創業者・服部金次郎に育てられました。金次郎を手本として、小学校卒業で丁稚奉公し、苦学して時計職人なりました。

一方、山田正彦岡谷工業高校から早稲田大学、山田六一は諏訪清陵高校から山梨大学工学部(山梨高等工業学校)、ともに当時のスーパーエリートでした。

そして文化の違い。

大沢巳代治は東京・本所で育ち、落語、都々逸、そして将棋を指しました。巳代治の父・大沢甚之助は花相撲の相撲取りでした(筆者の推測:美男の甚之助の祖先は「壬申の乱」で千葉に逃げてきた大友皇子弘文天皇の一行の蘇我赤兄=そがのあかえ)。

一方山田正彦は戦前の農水省に勤務していた高級官僚、山田六一が卒業した諏訪清陵高校の先輩には気象学者・藤原咲平岩波書店岩波茂雄、教育学者で『原爆の子』の長田新などの長野県の知識人がいて、さらに山田六一の義父は「諏訪ホテル」を経営する地元の名士でした。

父は、将棋で諏訪じゃ負ける人はいないと豪語していましたが、諏訪は父のような東京・本所育ちの粋人にはちょっぴりつらい土地でした。

父・大沢巳代治は様々な思いから、「三協」を去っていったのはないでしょうか。

 

5、小川憲二郎

私の小川憲二郎に関する思い出あります。

小学1年生の私は、腕時計の分解・掃除・組み立てができる、父も驚く天才でした。

つまり動かなくなったロレックスを再起動させることができる、ひとりでメシを食っていける「6歳の時計職人」でした。

ある日母に小川憲二郎の家に連れて行かれました。

小川は父より若かったが、母の対応からすると精工舎では上司だったのでしょう。

大きな門構えの家の向かう川沿いの道で言われました。

「いいかい、たっちゃん!(筆者のこと)」

「お前のことを、小川さんによーく覚えて貰うんだよ」

母の奇跡への願いは通じました。

それから40年後、2000年よりちょっと前の話です。

私はなんと「三協精機」のCMスタッフの企画ブレーンとして加わっていました。

しかしそのころ小川憲二郎はすでに亡くなっていました。

山田六一は社長として健在でした。

***

大沢:「始めまして。大沢巳代治の息子の大沢達男と申します。電通にCMクリエーターとして勤務しております」

山田:「タツオくん? 大沢さんのタツオくん! 『6歳の時計職人』のタツオくん!! 小川さんから聞いてよーく知ってますよ!」

「ようこそ、三協精機社長の山田六一です。大沢達男さん、スラっとしていて、お父さまに似てますね」

大沢:「いや中味はダメです。おだてに乗りやすい天狗で、父ほど仕事熱心じゃありません」

山田:「ホント、大沢巳代治さんは、仕事が好きでしたね」

大沢:「ところで、山田さんは諏訪湖カントリー倶楽部の理事長でいらっしゃるようですね。ゴルフならお供できますよ(笑)・・・」

山田:「やっぱり大沢達男さん、気配りとユーモア、そのスバリとしたモノの言い方は、お父さまソックリですよ」

二人:「ハッハッッハ!!!」

***

以上は冗談です。私が創作した山田六一vs.大沢達男の仮想対談です。

『山田六一随想集』のあるように、もし山田六一が大沢巳代治に対して含むところがないと知っていたなら、私は大沢を名乗り出て社長室に押しかけていたでしょう。

 

6、殉国

父・大沢巳代治は、大きな歴史の小さな歯車を、動かしていました。

父がアドバイス(指導)した三協精機の3人のほかに、忘れてはならない2人がいます。

ひとりはカメラ・メーカー「ヤシカ」を立ち上げた牛山善政(1922~2000)、もう一人は6×6cmの一眼レフ「ゼンザブロニカ」を開発した吉野善三郎(1911~1988)です。

ふたりは大沢巳代治の自宅を訪れアドバイスを受けていました。ふたりも大沢が世に送った企業家として歴史に残さなければなりません。

大沢巳代治がメンター(助言者・指導者)を務めた山田兄弟・小川・牛山・吉野の5人は、全て成功して時代の寵児になっています。

しかしメンターの大沢巳代治だけは、波乱万丈の10年近くを諏訪で過ごし、無一文になり東京に戻っています。

そして日本を席巻した5人の弟子たちの見舞いも受けることなしに、51歳のときにひとりで、昭和の舞台を去って行きました。。

涙、涙、涙です。

父の死の翌年(1956年)、三橋美智也の「りんご村から」がヒットしました。

信州信濃の諏訪を連想させる「りんご村から」は、父のイメージと重なる昭和の歴史のひとこまになりました。

上りの~夜汽車の~ にじんだ汽笛~

全てを失い、上諏訪駅の東京に向かう小雨のホームに立った、大沢巳代治の胸には何が去来していたでしょうか。

涙、涙、涙です。

***

「伝説の時計技術者」大沢巳代治の記録を残していただいた山田六一に感謝します。

しかし山田六一の記述に最後の疑問があります。

大沢巳代治は国家機密である「時計信管」の秘密を抱えながら死んでいきました。

その秘密を「暴露した」山田六一は正しいのでしょうか。

それが戦後の民主主義なのでしょうか。

私は、口を閉ざして死んだ父、「殉国」の父に従います。

 

End

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『日本語はひとりでは生きていけない』(大岡玲 集英社)の好きなところだけの要約です。

THE TED TIMES 2025-45「大岡玲②」 11/20 編集長 大沢達男

 

『日本語はひとりでは生きていけない』(大岡玲 集英社)の好きなところだけの要約です。

 

序、志賀直哉

敗戦1年後の春に小説の神様志賀直哉は、「フランス語を国語に採用すべき」、という提言を行っています。

その理由は日本語ほど不完全で不便なものはない、その結果文化の進展が阻害されている、だから世界で一番美しい言語のフランス語を国語にしたらいい、というものです。

実は志賀直哉の提言の60年前にも森有礼(禮)が「英語を国語」にと提案しています。

なぜこんな提案がなされたのか、それは明治維新前の日本語の言語状況にありました。

書き言葉は漢文、漢文訓読由来の和漢混淆文、仮名文字主体の和文、それに俗な会話文が使用される「三層プラスα」、口語の方は藩制度による多数の地域語・方言があり共通語がありませんでした。

つまり「さまざまな日本の言葉」はあっても、「日本語」はいまだに存在しないというのが同時の状況でした(p.40~1)。

これが『日本語はひとりでは生きていけない』の問題提起です。

そして大岡玲桑田佳祐の歌詞を補助線にもってきます。

桑田佳祐は、英語で歌われるロックに出会って独特の語法を生み出しました。

同じように1000年以上昔のヤマトの人々も、「外国語である古代中国語を日本の最上層言語として取り入れた」のではないかとし。日本語の歴史を説き起こします(p.10)。

 

1、万葉集

日本で文字の必要性が意識されるようになったのは、ヤマト政権の成立し強化され始めた時期、4世紀後半から5世紀の頃からです。

漢字それ自体は、西暦57年に「漢委奴国王」の金印を倭の奴国の国王が後漢光武帝から授けられた、ときから始まります。

しかし口承言語だけでの暮らす日本の人々が、文字=漢字を使うようになるのは、百済から仏教が伝来した時期(538年もしくは552年)からです

古事記』の成立は712年。序文だけは正格漢文、あとは漢文体と万葉仮名の和化漢文、そして万葉仮名の歌謡の変体漢文です。

日本書紀』の成立は720年。全体はほぼ正格な漢文、歌謡と固有名詞のみが万葉仮名です。

万葉集』の成立は759年(大岡玲の本では「8世紀の後半のどこか)。全文が万葉仮名です。

 

2、古今集

古今和歌集』は醍醐天皇に編纂が命じられ905年に奏上されたものです。

全20巻、平仮名で書かれた和歌です。

紀貫之による仮名序(ひらがな)と紀淑望(よしもち)による真名序(漢字)があります。

真名序のなかに「古今和歌集」は「続万葉集」であるの記述があります(大岡玲は触れていない)。

さらに和歌の中には、国家『君が代』の源流となる読み人知らずの賀歌「我が君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」があります(これも大岡玲は触れていない)。

「やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける、世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり」

仮名序の冒頭は以上のようなものです。

 

3、梁塵秘抄

梁塵秘抄』は後白河上皇が編纂した歌謡集です。成立は平安時代末期の1180年前後です。

歌謡とは「今様」=流行歌です。

仏教を広めるために「唱導」がありました。文字ではなく語りで、文字が読めない下級武士と庶民に、耳から仏教を馴染ませました。

耳から聞いて心地よい音韻と抑揚で発音され、メロディがありました(p.193の要約)。

歌謡はその唱道の伝統を引き継ぐものです。

大岡玲は「『梁塵秘抄』はポピュラーソング集」だと言います。

「遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけむ、遊ぶ子どもの声聞けば、我が身さえこそ揺がるれ、」

遊び、戯れは、遊び女、戯れ女、遊女、白拍子(男装した遊女=歌舞を職業とした遊女)で、性の業と哀しみを歌っていると取ることも可能です(p.200~1)。

 

4、平家物語

平家物語』は、作者は不明ですが、信濃前司行長(しなのぜんじゆきなが)が話を作り、盲目の法師に物語を語らせたとという説があり、成立は1220年ごろとされています。

中世日本文学の傑作です。注目すべきは『平家物語』が語り物として創作されたことです。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず。唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。」

前半は漢文、後半はやまと言葉大岡玲の指摘は当たり前ですが、貴重です。

 

5、愚管抄

愚管抄』は、慈円作の全7巻、『新皇正統記』と並ぶ歴史書で、1220年に成立しています。

「この書ではむやみに軽々しいことば多く、ハタト、ムズト、キト、シャクト、キョトなどの表現ばかりをたくさん使用しているが、わたくしは日本語の本体はこうしたことばにあると思われるのである。(中略)漢字であらわすと見ばえがしなくて、何の値打ちもなくなるようなことばこそ日本語のことばの本体なのであろう」。

大岡玲はさらにそれを要約して、オノパトメこそ日本語の本体だ、とします(p.213)。

慈円の主張は「漢文という上位概念に対して、やがては到達すべき古典として尊重しつつも、漢字仮名交じり文(和語の特色であるオノパトメがたっぷり入ったもの)によって論理と情緒をともに備えた深い文体ができる」というものです。

しかし歴史は思う通り進みません。

江戸幕府儒教を官学にします。漢文はリバイバルします。その結果、幕末期から明治初期にかけてエリートたち苦悩する「言語的不統一」が生まれます。

 

結、桑田佳祐

大岡玲梁塵秘抄の歌謡群に桑田佳祐の歌を聞きます。

そして日本語の未来は、J-POPにあるとします。

なぜなら、知的快楽の前に情緒的・肉体的快楽があるような言語体験である、歌を利用することは意義があるからで(p.420)、

明治以降の近代文学の歴史とJ-POPのそれは、時間差で近似するからです。

 

感想、

1、やっぱり大岡玲は左翼。

古今集』があって『新古今』がなく、『源氏物語』がなく『平家物語』があり、『愚管抄』があり『神皇正統記』がなく、三島由紀夫がなく村上春樹があります。

出版は集英社ですが、まるで岩波書店の本のようです。

2、日本の歌謡曲秋元康

プロの作詞家は秋元康です。比べれば、桑田佳祐はハナクソ。『勝手にシンドバッド』に意味などなく、日本語の未来などありません。

秋元康の詩には発見があり、新しいコンセプトがあります。これが日本語の見本です。

3、因みに、オアシスの世界的ヒットソングに意味はなし。

いま世界で一番有名な曲、オアシスの”Don’t Look Back In Anger”があります。

作詞・作曲したノエル・ギャラガーが「歌詞に意味はない」と言っています。つまりオアシスの歌に英語の未来などありません。 

 

以上。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『日本語はひとりでは生きていけない』(大岡玲 集英社)は、リベラリズム国語学ではありませんか。

THE TED TIMES 2025-44「大岡玲①」 11/13 編集長 大沢達男

 

『日本語はひとりでは生きていけない』(大岡玲 集英社)は、リベラリズム国語学ではありませんか。

 

1、リベラリズム国語学

大岡玲は父・大岡信の影響でしょうか。左翼です。日本の文学史をひん曲げています。

「漢字を導入する以前の古代の日本には文字はなかった」(p.66)。

「言語のみで暮らす倭=日本の人々が文字=漢字を使用するようになったのは、百済から仏教が伝来した時期から・・・」(p.67)

「漢字の音訓を使用して倭語を表記する、いわゆる「万葉仮名」(中略)「万葉仮名」という呼称は、現存日本最古の歌集『万葉集』に由来するわけだが(中略)4500首余りの歌を収める『万葉集』の成立は、現時点では8世紀の後半のどこか・・・」(p.91)。

と、ここまではいいです。

「『古今和歌集』に始まる勅撰和歌集、すなわち天皇自らが歌集を総監修するという文化政策が、その後の日本文学の根幹を作った・・・」(p.94)。

天皇自らが歌集を総監修するという文化政策>。

天皇は、経済・社会・文化政策を策定し実行する行政のトップであった・・・初めて聞く珍説です。

「(紀貫之が書いたと言われる『古今和歌集』の仮名序の冒頭部はこうだ。『やまとうたは、ひとの心を種として、万の言の葉とぞなれりける。世の中のある人、ことわざ繁きものなれば、心に思うことを、見るもの聞くものにつけて、言い出せるなり。」(p.146)

「万の言の葉」という明らかに『万葉集』にことです。

万葉集』は大伴家持による編纂です。

海行かば水漬く屍/山行くば草生す屍/大君の辺にこそ死なめ/かへりみはせじ」

この歌は大伴家持で、天皇への忠誠を歌っています。

万葉集』の編纂にも天皇の力がありました。

大岡玲は、天皇文化政策は『万葉集』から始まる、とでも言いたいのでしょうか。

以前、『日本語 新版 上下』(金田一春彦 岩波新書)を読んで驚きました。

日本を代表する国語学者金田一春彦の左翼ぶりにです。

調べてみるとわかりました。

金田一春彦が影響を受けたのは、友人のマルクス歴史学者遠山茂樹、そしてその師・羽仁五郎はでした。

彼らはGHQに協力したリベラリストないしはマルキストです。

『日本語』(岩波新書)は、皇室を物笑いのネタにし、日本語に占める皇室伝統を全否定しています。

『日本語はひとりでは生きていけない』(大岡玲 集英社)も同じです。

大岡玲もやはり左翼的リベラルです。

父の大岡信は「九条を守る会」で、しかもGHQの機関紙といわれる朝日新聞に「折々の歌」を連載していました。

父の影響でしょうか。

 

2、大和魂

大岡玲天皇を避ける論考は、「大和魂」の議論で頂点に達します。

「『いさぎよく散る』のが『やまとだましい』といった『武士道』的用法や、『忠君愛国』とそれを接続するといった天皇制絶対主義の用法が『やまとだましい』の本義とは言えない・・・」(p.353)。

そして『『やまとだましい』の文化史』(斎藤正二)を引用しながら大和魂とは、「臨機応変に世間で立ち回る能力」、「当意即妙の機知の働き」、「政治問題・社会的葛藤を処理できる能力」、などというトンチンカンな議論を展開しています(p.355~9)。

「ヘェ~」と口をアングリ、驚いてしまいます。

大和魂とはアングロサクソンの行動様式ですか、と反問したくなります。

因みにAIに訊いてみましょう(筆者の校正あり)。

大和魂とは、外国文化を取り入れるときに対となるべき日本人の常識的な対応能力、のことである。

大和魂とは、論理・倫理ではなく情緒・人情で物事を把握し共感する能力、のことである。

大和魂とは、日本民族固有の、勇敢で潔(いさぎよ)く、主君・天皇に忠義の精神性・心ばえ、のことである。

こちらの方がはるかに共感できます。

さらに「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂吉田松陰)」です。

大岡玲天皇の議論を避けるあまり日本語から遠ざかっています。

 

3、リベラリズム

挙げ句の果てに、大岡玲は「日本国憲法」の前文の文章を取り上げ、悪文の象徴として取り上げなながら、あれこれと「擁護」しています。

つまり大岡玲は、GHQ占領政策リベラリズムの擁護をしたいのです。

これは日本の共産主義者が占領軍を解放軍として歓迎したのと同じです。

米国独立宣言(1776年)を引用しながら(p.289~p.290)、その文章のワンセンテンスが、日本国憲法(第13条)にコピペされているのをなぜ指摘しないのでしょうか。

リベラリズムの基本精神についても同じです。

福沢諭吉の独立宣言の1866年の日本語訳があります(p.291)。

そのなかで諭吉は、「平等(equal)」を「同一徹」(過去の失敗を繰り返すこと。経過、道筋、やり方、結果が同じであること)と、「権利(right)」を「通義」(並び立つ。併存する)、と翻訳しました。

「自由(liberty)」は「自由」(自らに由る。解脱。仏教用語+わがまま)と翻訳しました。自由は「権力からの自由」というより、「なんでも好きようにやれる」という意味に理解されました。

つまり「平等」、「権利」、「自由」に相当する日本語はありませんでした。

なぜなかったのか。そんなことは皇室がある日本では問題にならなかったからです。

日本の人々は天皇にとって「大御宝(おおみたから)=国民の一人一人が大切な宝物」だったからです。

「山川草木悉皆成仏」。ものみな仏になるからです。

リベラリズム日本国憲法の精神とは、侵略と略奪と奴隷と女性蔑視のアングロサクソン独自の思想、であったということです。

羽仁五郎遠山茂樹マルクス主義歴史学をはるか昔に滅びています。

金田一春彦大岡信・玲のマルキストないしリベラリストいまだ現役とは驚きます。

 

4、桑田佳祐村上春樹

大岡玲の皇室軽視はぞの著『日本語はひとりでは生きていけない』の本質です。

しかしそこだけを論じていると、はじっこだけをほじくっているようで、気分が悪いので大岡玲の本論に触れます。

大岡玲桑田佳祐を、始めと終りで論じています。よほど桑田佳祐が気に入っているのでしょう。

桑田佳祐とは、紫綬褒章を受けながらそれもオークションにかけるというギャクで、顰蹙(ひんしゅく)をかった男です。

その態度は、皇室をバカにする金田一晴彦に共通します。

なぜそれが攻められるか、

皇室がなければ日本語特有の尊敬語、謙譲語、丁寧語は生まれず、日本文芸の中心には皇室があり、日本語は皇室と共にあったからです。

「御歌所の伝承は、詩が帝王によって主宰され、しかも帝王の個人的才能や教養とほとんどかかわりなく、民衆詩を『みやび』を以て統括するといふ、万葉集以来の文化的同体の存在の証明であり、独創は周辺に追ひやられ、月並は核心に輝いている。民衆詩はみやびに参与することにより、帝王の御製の山頂から一トつづきの裾野につらなることにより、国の文化伝統をただ『見る』だけではなく、創ることによって参加し、且つその文化的連続性から『見返』されるといふ栄光を与えらる。」(『文化防衛論』 三島由紀夫全集 第33巻 p.398 新潮社)。

皇室軽視で敬語を扱っていない大岡玲の『日本語はひとりでは生きていけない』は日本語論として大きな傷があります。

桑田佳祐に戻ります。

「平和の街」桑田佳祐作詞作曲

歌おう Shoo-Be-Doo-Wop!!/いつの日か/大好きな人に巡り合える Someday/平和の街で/共に生きよう

小さな幸せと平和を歌った「平和と民主主義・リベラリズム」の桑田佳祐に日本と日本語の未来を託すことができるでしょうか。

もうひとり、『日本語はひとりでは生きていけない』のエンディングに登場し、大岡玲が絶賛する小説家がいます。

村上春樹です。

大岡玲村上春樹の小説を読んで、面白いけど、「虚しい」と思わないでしょうか。

なぜ「虚しい」か。村上は才能豊かですが、思想「音痴」だからです。

騎士団長殺し』でとんでもないことを書いています。

ドイツのファッシズムと日本の「天皇制ファッシズム」を同列に扱い(筆者注:「天皇制ファッシズム」とはコミンテルン共産主義者の用語)、

そして東京裁判も、さらに南京大虐殺もなんの批判もなしに取り上げています。

村上春樹GHQの「平和と民主主義・リベラリズム」を商売道具にしています。

結論的にいえば、桑田佳祐ではなく宇多田ヒカルはどうなんだ、村上春樹でなく朝吹真理子はどうなんだ、とからみつきたくなります。

つまり大岡玲は趣味が悪い。

***

『日本語はひとりでは生きていけない』を読んだ動機は、日本語の歴史はハイブリッド(異種の混合、複合)の歴史であるということを扱っている、という書評をどこかで読んだからです。

筆者を右翼の国粋主義者と誤解する方もいらっしゃるかもしれませんが、海外出張を50回ほどしている筆者は排外主義者ではありません。

ジャズとロックンロールを研究し、赤ワインはカヴェルネ・ソーヴィ二オン、白ワインはリースリングが好きで、もちろんアイラもカナディアンのいただきます。

ただ、GNQに洗脳された「平和と民主主義・リベラリズム」では日本は滅びます。

なぜ日本の若者たちの死亡原因のナンバーワンが自殺なのでしょうか。

「日本語の歴史はハイブリッドの歴史」については半分ぐらい満足でき、いろいろなことを教えていだだきました。

この点については大岡玲に感謝します。それについては次回に論じます。

 

End

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ザハ・ハディッドの「幻の新国立競技場」が忘れられません。

THE TED TIMES 2025-43「現代の建築家たち」 11/6 編集長 大沢達男

 

ザハ・ハディッドの「幻の新国立競技場」が忘れられません。

 

(オープニング)

日本最古といわれるジャズ喫茶「ちぐさ」(1933年創立)が横浜・野毛にありました。

創業者の吉田衛さんが亡くなり閉店(2007年)されました。

しばらくして常連客が中心になって、昔の店舗から200mほど離れたところに、再開されました(2012年)。

が、その店舗も建て直されることになり、創業90年(2023年)にジャズ・ジャズミュージアムとして再開される予定でした。

しかし工事は中断され、なんの情報もないまま、お店は再開されていません。

ところが、とんでもないところで、「ちぐさ」に出会えました。

横須賀美術館の建築家の「山本理顕展」、作品のなかになんと「ジャズ喫茶ちぐさ」がありました。

「進行中」とクレジットされていました。

山本理顕設計の「ちぐさ」の売りは、ピアノが地下のバーと1階のスペースを上下できるようになっていることでした。

1階のオープン・スペースに現れた「街のピアノ」でセッションができます。

わずかですが客席もあります。新しい「ジャズ喫茶ちぐさ」は野毛の新しい名所になる予定でした。

・・・・しかしいまだに工事は中断されたまま・・・・展覧会の「進行中」のクレジットに期待することにしましょう。

 

1、山本理顕(1945年生まれ)

とんだ寄り道をしました。今回のテーマは現代の建築家です。

山本理顕は建築界のノーベル賞といわれるプリッカー賞を2024年に受賞しています。

展覧会が開かれている「横須賀美術館」も山本理顕の作品です。

代表作は、「ザ・サークル チューリッヒ国際空港」です。

90社による国際コンペで、はじめ15社に絞られ、さらに5社になり詳細な建築計画が求めれれ、勝ち抜いたというものです。

この解説を読んでいるだけで汗が出てきます。

曲線上の地形の巨大な建造物、それは建築ではなくもはや街です。山本理顕はやりました。

私が好きな作品があります。

韓国の集合住宅「ハンギョ・ハウジング」、斜面にたくさんの幸福(幸せ)の花が咲き誇っていました。

 

2、内藤廣(1950年生まれ)

内藤廣の展覧会もありました。

「建築家・内藤廣 なんでも手帳と思考スケッチ in 紀尾井清堂」(2025.7.1~9.30)と「建築家・内藤廣 赤鬼と青鬼の場外乱闘」(2025.7.25~8.27)です。

紀尾井清堂には驚きました。

暑い夏の上旬、無料なのに観客は朝早くから並んでいました。

そして会場の紀尾井清堂が内藤廣の設計で、「倫理研究所」の所有であったことです。

倫理研究所?」についてはまたいつか。

「赤鬼と青鬼の場外乱闘」は渋谷ストリームホールでした。

この会場にも驚きました。渋谷駅にほぼ直結して美術館があるのですから・・・渋谷はどんな街になるのでしょうか。

内藤廣は、まさにその疑問に答える作品を提示していました。

渋谷都市模型、東京銀座線メトロ渋谷駅模型、さらには渋谷駅周辺検討模型もありました。

一番感動したのは、感想としてはちょっとルール違反ですが、早稲田大学での卒業制作(1974年)です。

躍動する曲線は、丹下健三黒川紀章に負けないものがありました。

 

3、隈研吾(1954年生まれ)

現代の日本の建築家となれば、隈研吾が欠かせません。

隈研吾の展覧会の名前と場所を時期は忘れました。

展示の中に「下北沢てっちゃん」(2017年)がありました。

焼き鳥屋てっちゃんの新店舗です。古い2階建て木造家屋をそのまま使いリノベーションしたものです。

内装には古いスキー板、スノーボードが使ってありました。お店がオープンした日には隈研吾もゲストとして姿を見せていました。

でもお店は10年を待たずして2025年になくなりました。現在は、何もなかったように、昔と同じ木造家屋に戻っています。

さて隈研吾といえば、新国立競技場ですが、この作品についての意見は差し控えます。

忘れられないのは、コンペで当選しながら建築されなかった「ザハ・ハディッド案」です。

 

4、ザハ・ハディッド(1950~2016)

ザハを考えると、現代の建築家はすべて、すっ飛んでしまいます。

建築家の設計は基本的に直線から形成されていますが、ザハはダイナミックな曲線です。

ザハの作品はエイリアンの仕事で、人類の未来を予言しています。

ザハの作品は建設できない、「Un Built」の女王、と言われてきました。

新国立競技場の「ザハ・ハディッド案」は宇宙船が到着したようなデザインで神宮の森を新時代へ導くものでした。

しかし建設には予算の2倍をも上回る3000億円もかかると言われ、巨大で特徴的なキールアーチ(二本の弓状の構造体が建物を支える)構造も問題とされました。

「ザハの新国立競技場」ができていれば、東京の未来いや日本の未来すら、変わっていたはずです(その意味で、丹下健三「国立代々木第一・第二体育館」(1964年)は奇跡の傑作。予算問題は田中角栄の英断でクリアしている)。

さらにザハ自身も2020東京を前に2016年に亡くなってしまいました。

もう私たちは・・・・・・ザハの作品に出会えないのでしょうか。

ザハに会えます。

北京大興国際空港は、「不死鳥が舞い降りた」と形容される、ザハ・ハディッドの作品です。

北京大興国際空港は中国語で、ベージン・ダーシン・ゴージ・ジーチャン(Beijing Daxing Gouji Jichang)といいます。

ザハに会うために北京へ行かなければなりません。

 

(エンディング)

「ちぐさ」の再開店の話に戻ります。

60年前「昔のちぐさ」で、たった一人の客だった22歳の私は、吉田衛さんに話しかけられました。

「リクエストある?」

アルバート・アイラーの”Ghost”!」(絞め殺されるブタの泣き声のような前衛ジャズ。今思い出しても恥ずかしい。でも当時の私はマジ)

「おじさん、そういうの聴かないんだよ・・・」

そして吉田さんは、客だった若いころの秋吉敏子渡辺貞夫にそうしたように、サッチモをかけてくれました。

オープン・スペースの「街のピアノ」もいいですが、「新しいちぐさ」の地下で、吉田さんのレコード・コレクションの中から、ルイ・アームストロングを聴いてみたいものです。

 

End

 

 

 

アルマーニは、現代のもっとも優れたアーティストの一人で、その才能には秘密があります。

THE TED TIMES 2025-42「GIORGIO ARMANI」 10/29 編集長 大沢達男

 

アルマーニは、現代のもっとも優れたアーティストの一人で、その才能には秘密があります。

 

1、アルマーニ銀座タワー

いまから15年ほどむかし、2012年12月のこと、アルマーニの作品展が東京・銀座のアルマーニ銀座タワーでありました。

「ECCETRICO」という名の展覧会です。これはミラノでたった1日だけ展示された作品を、そのまま日本に持ってきて11月30日から12月13日まで無料で公開する、という展覧会でした。

展示されたのは、4半世紀のアルマーニの作品のなかから、ドレス50点、ジュエリー150点、バロック、アールヌヴォー、モダン、ポストモダン、パンク、ゴス・・・もちろんこんな時代の分類やジャンル分けをアルマーニは拒否しますが、アルマーニのさまざまな世界観が一気に観ることができる、それはそれは贅沢な展覧会でした。

このドレスがよかった、あのネックレスがよかった、などというより、

「こんな贅沢で充実した作品展をほかのどこかで観ただろうか」、という感想をもったことを覚えています。しかも無料。

つまり画家、彫刻家、写真家、建築家・・・さまざまな現代アーティストの中で、アルマーニはその頂点にあると思えたのです。

 

2、スーツ

アルマーニのスーツの良し悪しを筆者は論ずることができません。なぜなら数10万円もするアルマーニのスーツを持っていないからです。

筆者が気に入ってよく着ていたのは、ハワイで買ったエンポリオ・アルマーニのジャケットです。バルキーに編んだ茶色を基調にしたウールのジャケットで、トレーナーのようなフード付き、オーセンティックですが前衛的なデザインでした。バブルのころで、クリスマスパーティーに着て出かけ、ガールたちの人気者になったのを覚えています。

世に言われるアルマーニのスーツを解説しておきます。

1)アルマーニのスーツはカーディガンのような柔らかな着心地があります。芯地や肩バッドが外してあります。

2)優美なスタイルは女性にも受け、フェミニズムの高まりとも世界的な流行になり、セレブリティのスーツになりました。

3)アメリカ映画『アメリカン・ジゴロ』(1980)で主役のリチャード・ギアの着たアルマーニのスーツは、その官能と知性で世界を占領しました。

いろいろなアルマーニの解説はありますが、筆者がアルマーニ展で受けた衝撃、なぜジョルジオ・アルマーニは、現代アーティストの頂点にいるか。その理由をだれも説明してくれません。

その理由を、アルマーニの服を着てイタリアに住みアルマーニと40年間も親交のあった塩野七生が、明解に説明してくれます。

アルマーニには『絶対美的感覚』ある。だからアルマーニの手にかかると、すべての色、黒の白も灰色も赤色も、単純ではない色に変わる」(文藝春秋 2025 11 p.93)。

つまり音楽にはモーツアルトいて、ファッションにはアルマーニがいる、というわけです。

 

3、ママ

ピアツェンツアに生まれたジョルジオ・アルマーニは母の勧めで、ミラノに医科大学進みます。しかし解剖がダメで退学します。

これまた母の援助で、ファッション界に転身し、デザイナーとして成功します。

塩野七生によれば、私生活の話をしないジョルジオは母のことになると饒舌になると言います。そしてジョルジオは生涯結婚をしませんでした。

塩野七生はジョルジオと似た人がいると言います。

母を絶賛し、生涯結婚しなかった人。それは映画のルキノ・ヴィスコンティです。

 

映画”BLACK BAG”は今年のナンバーワン候補のひとつです。

THE TED TIMES 2025-41「BLACK BAG」 10/22 編集長 大沢達男

 

映画”BLACK BAG”は今年のナンバーワン候補のひとつです。

 

1、”BLACK BAG”

きのうまで映画の悪口を言い続けて、憂鬱な日々を過ごしてきましたが、夜明けがきました。

ことしのナンバーワン候補の映画に出会えました。

”BLACK BAG”(スティーブン・ソダバーグ監督 2025 米国)です。

「BLACK BAG」とは秘密捜査です。

映画は複雑ですが、その構造はシンプルです。

舞台はイギリスの3大スパイ組織のひとつNCSC(国家サイバーセキュリティセンター)です(因みに「007」ジェームス・ボンドはそのとなりの「M16」の所属)。

そこから世界を破滅に導く不正プログラム「セヴェルス」が盗まれます。

犯人はNCSC内部にいる、5人の容疑者がいる、犯人を特定せよ、この命令が映画の主人公である諜報員のジョージに下されます。

もちろん容疑者はジョージの同僚、容疑者のなかに妻のキャスリンもいます。

映画はいきなりクライマックスを迎えます。

ジョージは5人(妻プラス4人)を自宅の食事会に招きます。

料理にはみんなの口を軽くするための薬物が混入されます。

圧巻の食事会が始まります。

かつてのシネマ・ヴェリテ(真実の映画)のドキュメンタリーのような、あるいはヌーヴェル・バーグの映画にあった「告白ごっこ」のような、人間の仮面をはぐ強烈なセリフが飛び出します。

「私は、セックスで絶対に彼女より先にイカないようにします。後からフィニッシュすることを誓います」

「あなたは(女性に向かって)なぜジジイが好きなの」

「男は何にでも突っ込みたがる」

また以下は映画の後半のウソ発見機のシーンです。

「ハーイ、括約筋(かつやくきん=膣の筋肉))を締めて」

「この1ヶ月何人の男性とセックスをしましたか」

「あなたは(女性に向けて)今朝オナニーをしてきましたか。イエスかノーか」

オイオイ・・・裏切り者の犯人探しと言えども、そこまでやるか。

観ている方はハラハラドキドキしてきます。

だれか自殺するぜ、いらぬ心配で緊張させられます。

しかしこれが映画、これがドラマです。

今まで私たちはアクションやヴァイオレンスやCGの映画に慣らされてきました。

”BLACK BAG”は人間ドラマです、テーブルに座った人間のセリフがアクション以上に観客を恐怖におとしいれます。

 

2、犯人

捜査を命じられたジョージの趣味はバス釣りと料理、ともに孤独な人間の趣味と言われるものです。

容疑者5人。

第1は、妻のキャスリン。彼女も有能な諜報員です。ジョージとキャスリンは愛し合っています。

しかしキャスリンは夫に内緒(もちろんブラック・バッグ)で外国に出かけます。

第2は、諜報員のフレディ。飲酒で私生活が乱れています。ガールフレンドがいます。

そして容疑者のひとり情報分析官のクラリスと関係があります。

第3は、諜報員のジェームス。仕事人間、自分を英雄だとと思っています。

容疑者のひとり精神科医のゾーイと恋仲ですが、フラれます。

第4は、情報分析官のクラリス。フレディと恋仲にあります。

映画の中盤でジョージの依頼で任務違反をし、ジョージに危険な協力をします。

第5は、精神分析医のゾーイ。クライアント(患者)は諜報員です。

冷淡で人を操る洞察力があると言われています。ジョーイと付き合っていました。

以上が容疑者の5人、先ほどの際どい台詞はみな5人の口から出たものです。

さて誰が犯人でしょうか。

 

3、ソダーバーグ監督

先述した通りに映画は構成が優れています。

冒頭でプログラム盗難の犯人探しテーマが提示され、その後の1週間の犯人探しを描いたものです。

まず特筆すべきは、カメラワーク。

映画の冒頭、主人公のジョージを追跡する映像は3分になんなんとするワンカットです。

ソダーバーグ監督自身が手持ちのカメラで追っています。

次に編集。

編集もテンポがいい、しかもMA(映像と音楽の合成)がいい、これもソダーバーグ監督自身です。

アメリカ映画では監督の名を、ユニオンとの関係で、撮影者や編集者に書くことが許されません。

で、監督は撮影に父親、編集に母親の名を使っています(笑)。

つまりソダーバーグ監督はアーティザンでアーティストという訳です。

”BLACK BAG”を超える作品が現れるでしょうか。ことしのナンバーワンは早くも決まりのようです。

人間は、ヒトの脳、ウマの脳、ワニの脳で構成されています。

ヒトの脳を使って、人間存在を根源的にウマの脳・ワニの脳までさかのぼり問題にした映画を、芸術と呼びます。

しかもそれをコンパクトなエンターテイメントにした映画を傑作といいます。

 

”One Battle After Another”のせいではありませんが、アメリカ映画を見るたびに憂鬱になります。

THE TED TIMES 2025-40「One Battle After Another」 10/15 編集長 大沢達男

 

”One Battle After Another”のせいではありませんが、アメリカ映画を見るたびに憂鬱になります。

 

1、ショーン・ペン

いつものように、日経新聞掲載のシネマ万華鏡の中条省平のおすすめで、”One Battle After Another”を観ました。

「ペン(ショーン・ペン)の演ずる筋肉マッチョの老軍人が圧倒的な存在感を発揮して、ほかの出演者を喰っている。出てくるだけで画面をひき締める、大した役者ぶりなのだ」(日経夕刊10/3)。

中条の評に従い、ショーン・ペンばかりに注目していました。

映画の最後になってショーン・ペンが演ずる、ロックジョーが”Reverse Rape”(逆強姦)された、と衝撃の告白します。

そこで映画はクライマックスを迎えます(違うかも?)。

筆者の心はときめきました。

”Reverse Rape”(逆強姦)なんて、オトコとしてサイコーじゃないか!

身を乗り出していました。

このワンシーンで”One Battlle After Another”は、素晴らしい映画、色っぽい、ユーモアがある映画になりました。

入場料とパンフレット代の回収されました。

ショーン・ペンはあのマドンナに”Reverse Rape”(逆強姦)された経験があります。だからショーン・ペンが演ずるロック・ジョーはリアリティがありました。

 

2、音楽

映画の監督PTA(ポール・トーマス・アンダーソン)は1970年ロス生まれです。

そして映画の音楽を担当したのはイギリスのロック・バンド、レディオ・ヘッドのギタリスト、ジョニー・グリーンウッドです。

というわけで、音楽がめちゃめちゃイイ。もちろんグリーンウッドが映画の音楽をやっているなんて、パンフレットを読んで知ったのですが。

印象に残っているのは”American Girl”(トム・ペテイとハートブレイカー)です。

いずれもナツメロばかりですが・・・使われた楽曲をパンフレットに載せて欲しかった、でも音楽の一覧表はありませんでした。

 

3、アメリカ映画 

さて、筆者は憂鬱です。

アメリが映画が面白くないからです(おおげさな言い方で申し訳ありません)。

映画の主役のボブ(レオナルド・ディカブリオ)は元革命家という設定です。

アメリカで反体制、反権力、反資本は何を意味するのでしょうか。アメリカは革命家から何か生み出したでしょうか。

そしていまアメリカはなにをしているのでしょうか。

1969年のウッド・ストックからのロック革命以降にアメリカは新しい音楽を作ったでしょうか。

あるいはニューシネマ以降、あるいはコッポラ、ルーカス、スピルバーグ以降、アメリカは新しい映画を作ったでしょうか。

さらに、長髪、ジーンズ、Tシャツ、スニーカー以降に新しいファッションを生み出したでしょうか。

“One Battlle After Another”というひとつの映画の責任ではありませんが、アメリカ映画を見ていても、ただ懐かしいだけです。

まるでノーマン・ノックウェルの絵画を見ているような。

「物語の一貫性や作品の完成度をこえて、アンダーソン独特の奔放な映画作法を堪能させてくれる力作である」。前出の中条正省平もちょっぴり憂鬱のようです。