変身した「グッチ」を知っていますか。「グッチ」を買えますか。

クリエーティブ・ビジネス塾40「グッチ」(2018.9.24)塾長・大沢達男

変身した「グッチ」を知っていますか。「グッチ」を買えますか。

1、渋谷・グッチ
高級ブランド・グッチの躍進が話題になっています。で、早速、渋谷・西武の4Fにあるお店をのぞいてみました。ウィークデイの午後。お店には中国人の若いカップルが二組いたほかは、閑散としていました。
「なにか、お探しですか」「いや、ちょっと見させてください」。
ファスト・ファッシャンのお店しか行かない身には、ちょっとドキドキする対応。”Just Looking!"。
白地にあでやかなカラーの模様の張り物があるスニーカーがたくさん並んでいました。伝統のキャバス地のバッグには、猫の顔のあるイラストが貼付けられていました。
オシャレとか、カッコいい、といった類いものではありません。
お店の人に聞きました。
「この白いスニーカーは、おいくらぐらいですか?」「はい!こちらは、8万円です。」
ため息だけでした。
2、アレッサンドロ・ミケーレ
ヨーロッパの高級ブランドが売れています。モエヘネシー・ルイヴィトン(LVMH)の1~6月期の純利益は前年同月比41%増(30億400万ユーロ=約3900億円)、グッチ(仏ケリング)の純利益は23億5900万ユーロと、3倍近くに拡大しました(日経8/8)。
なぜこんなにも売れているのか。第1、中国の買物欲が旺盛に復活したこと。第2、多様な価値観を持つ客にターゲットを広げていること。多様な価値観とは、セレブリティや富裕層だけでなく、若者やエシカル(倫理的)志向を持つ顧客のことです。第3、デザイナーです。ルイ・ヴィトンもグッチも新しいデザイナーの登用で、ブランドイメージをがらりと変えてしまいました。
グッチはグッチオ・グッチ(Guccio Gucci)が、1921年に創業したフィレンツェ・イタリアのファッション・ブランドです。現在はフランスのケリンググループの中核ブランド。グループには、サン・ローラン、バレンシアガ、ボッテガ・ヴェネタなどがあります。この伝統の高級ブランドが大革命を起こしています。仕掛人はCEOのマルコ・ビザーリ、そしてデザイナーのアレッサンドロ・ミケーレです。
1)クリエイティビティ・・・デザインは、パンク、ストリート、ジェンダーレスをミックスし、伝統に反逆するものです。エルトン・ジョンビヨンセレディ・ガガがステージで着ました。「I feel "GUCCI"」=気分はサイコーです。オンライン辞書Urban Dictionary」では、”GUCCI"=イケてる、の意味です。
2)エシカル(倫理的=企業の社会的責任)・・・ブランドイメージを根本的に再構築しました。まず毛皮の使用禁止です。2018年春夏コレクションより、製品および広告に動物の毛皮を使わないことを宣言しました。つぎに原材料の95%のトレーサビリティを保証しています。水、エネルギー、化学製品の使用を軽減し、地球環境に貢献するのです。さらに、社会問題を共有するポータルサイト、従業員への信頼と尊敬、ブランド発祥の地フィレンツェへの支援に取り組んでいます。
3)ミレミアム世代・・・1980年代以降に生まれたデジタルネイティブがターゲットです。レガシーの継承ではなく閉塞感の打破です。消耗品としての服ではなく、自分を表現するためのアートとしての服です。コブラを背中に背負った、黒のジャケットを着たプロテニスのロジャー・フェデラーが印象的です(「いま、GUCCIがヤバい!」(『ゲーテ』2018.9 p.57~89 幻冬社)。
3、メゾン・ブランド
ブランドの王様は、エルメスです。メゾン・ブランド、ロイヤル・ブランド、ラグジェリー・ブランドなどと呼ばれます。発祥もそして現在も、貴族たちためのブランドだからです。
日本ではふつうのOLがルイ・ヴィトンのバッグを持っている、と欧米人に不思議に思われ笑い話のネタにされました。なぜなら、フランスもイタリアもそしてイギリスも階級社会で、貴族や上流階級でない一般市民の労働者階級がブランドものを身につけることは、あり得ないからです。
時代は変わりました。日本では、松浦勝人さん(エイベックス代表取締役会長CEO)、宇野康秀さん(USEN-NEXT HOLDINGS 代表取締役社長 CEO)、佐藤可士和さん(CD)がグッチを語っています(『ゲーテ』p.60~61)。ブランドを持ちブランドで着飾ることは、時代の成功者の栄光です。スニーカー1足、8万円!(あまり欲しくないけれど・・・)その世界に仲間入りするために、努力、努力、努力です。

女性に「金」を払う、永井荷風という人は、どういう人だったのでしょ

クリエーティブ・ビジネス塾39「永井荷風」(2018.9.17)塾長・大沢達男

女性に「金」を払う、永井荷風という人は、どういう人だったのでしょうか?

1、『纆東綺譚』
女「(前略)もうすぐ袷(あわせ)だから」/男「(前略)袷はどのくらいするんだ。店で着るかの」
女「そう。どうしても30円はかかるでしょう。」/男「そのくらいなら、ここに持っているよ」
そして男は紙幣(さつ)を出して、茶ぶ台の上に置きます(『纆東綺譚』p.74~75 永井荷風 新潮文庫)。
明治末期から、大正にかけての話です。大正時代の100円はだいたい現在の貨幣価値にして30万円。
ですから、男が女に渡した金は10万円。女にワンピース欲しいって言われて、ポンと10万円を差し出した。自分にはできない。ひがみからなのでしょうが。読んでいておや?と思いました。永井荷風といえば、粋で洒脱で風流、憧れの名前でした。それが疑問に思えてきました。
2、『ふらんす物語
「驚いた300法(フラン)以上持っていた紙入れの金は、僅(わず)かに50フラン残すばかりじゃないか。それも尤(もっと)も至極。目が覚めてみれば、ちっとも怪しむ事はない。最初から5日5晩と云うもの、三度々々の高い食事、高い酒の他に、毎日云うなり次第の価の払っていたのだもの」(『ふらんす物語』「祭りの夜がたり」p.85 永井荷風 新潮文庫)。/「一週間に二度三度位は必ず女を買っているが、自分から進むのではなくて、或時は巴里見物に来る日本人への義理、或時は女から無理やりに引張られるに過ぎない」(「雲」p.143)/「(前略)この辺を徘徊する売娼婦の大半は、何れも一度は買った事のある女ばかりなのに自分ながら呆れた」(「雲」p.159)。
永井荷風の小説は、金を与える存在として、女性を描きます。「女を買う」という表現があたり前に登場してきます。つぎに、女性と恋をしません。女性と友達関係になりません。金を払い肉体関係を結ぶだけです。金でしか女性とコミュニケーションできません。さらに男性との関係も、変わっています。外国人の男性と飲んだり、食べたり、話したりするシーンが登場しません。
それが明治、大正の常識だったのでしょうか。女性を軽蔑しています。人間扱いしていません。
「女と云えば女工か売子位がせいぜいだが(中略)何か話の糸口を見付けて話掛ければ(中略)直ぐに言う事をききそうに見える」(「雲」p.139)。/「下宿した家の令嬢と懇意になった。音楽が好きで自分にも勧めて毎晩ピアノを教えてくれた。処女の純白が如何にも気高く美しく見えた。浅ましい経歴の女を遠くから呼寄せて、強いて自分の一生涯を日陰にする(後略)」(「雲」p.150)。/「フランスのこう云う種類の女には、どうかすると、一時の酔興で恐ろしく所帯じみた事の好きな性質のものがある」(「雲」p.154)。
イヤな叙述が続きます。
もちろん平成の今の時代でも外国人とコミュニケーションできない日本人はいます。
外国に行っても日本人だけで行動し、ストレスがたまると金髪のオンナを世話しろと、外国語ができる日本人に強要します。そして彼らは、日本人レストランに行って、味付けがどうの日本が分かっていない、と無口から饒舌に変わり、さらにつけ加えれば、このどうしようもない日本人は、西洋人だけに萎縮しアジア人には帝国主義者のように威張りまくります。
明治と大正の永井荷風は、伝統のある家系に生まれ、慶応大学の教授にもなり、文化勲章を授章しています。日本国の宝です。でも永井荷風の叙述は疑問です。好きになれません。
3、モテるモテない
永井荷風は女性にモテなかった。これが私の結論です。
岩波文庫『あめりか物語』の表紙には、蝶ネクタイ姿の正装の若き日の永井荷風ポートレートがあります。
キリリとした若者の写真ですが、乙女を悩ますような、いい男ではありません。同じく新潮文庫ふらんす物語』の表紙裏に晩年の丸めがねと山高帽の荷風ポートレートがあります。おなじみの写真です。もちろんこの姿にも女性がため息をもらすような、シブさはありません。
たいして永井荷風エピゴーネンのように扱われる谷崎潤一郎はどうでしょうか。谷崎は美男です。やや目つきがきついが、セクシーです。谷崎はモテました。金で女を買うような事をしませんでした。いやそれ以上快楽を求めるに純真一途で、異常に走りました。谷崎が好んだ『源氏物語』の源氏も薫もモテました。
永井荷風谷崎潤一郎。その違いは、モテるモテない、にありました。同じ事は、三島由紀夫太宰治大江健三郎石原慎太郎にもいえそうです。あまりもチャラい結論でしょうか。

日本映画の未来を担う監督・濱口竜介をどう評価するか?

クリエーティブ・ビジネス塾38「濱口竜介」(2018.9.10)塾長・大沢達男

日本映画の未来を担う監督・濱口竜介をどう評価するか?

1、『寝ても覚めても
日本経済新聞の映画評「シネマ万華鏡」にまたまた5つ星映画が現れました。『寝ても覚めても』(監督 濱口竜介)です。監督の濱口竜介(1978~)は、東京大学文学部卒業、さらに東京芸術大学大学院映像研究科で学んだ、映画界のスーパーエリートです。もちろん学歴で映画が撮れるわけではありませんが・・・。すでに『ハッピーアワー』で、第89回キネマ旬報ベストテン第3位に輝き、ロカルノ国際映画祭芸術選奨新人賞映画批評家大賞選考委員特別賞を受賞しています。
寝ても覚めても』は、商業映画でのデビュー作です。さて、どうでしょうか。
公開二日目の新宿テアトル日曜日の14時からの回、ほぼ満席の会場で映画を見ました。両隣の席はいずれも賢そうな20代の男性、久しぶりに若者に囲まれての映画鑑賞になりました。濱口監督への期待です。
映画の原作は柴崎友香。シナリオは面白い。別れた男性のそっくりさんに再会できる話です。
まず映画は、何らかの理由で別れなければならなくなった男性に、もちろん死別も含めて、再会できるという、だれもが持つ夢を叶えてくれます。次に映画は、私が付き合っていた昔の男性が、別れた後に出世している、映画ではイケメンのスターに、という設定に。つまり私の目に狂いはなかった。自尊心を満足させてくれます。まあ夢物語です。
おや?と思わせる、面白いプロットがあります。演劇をやっている女優にむかって、その演技のビデオを見ていた男性が、クソミソにかみ付きます。「カーテンコールで友達に花束もらって、涙を流して、自己満足して。でも観客になにも伝わってないじゃないか」。芸術趣味人、日曜画家の批判です。お前の表現はホントに売れているのか。単なる自慰行為に終わってないか(しかし、この手のプロットは一カ所だけ、残念)。
2、映画の発明
さて『寝ても覚めても』は、5つ星の映画に値するでしょうか。
まず主演の東出昌大(ひがしでまさひろ)がいい。昔の男=クラブで遊ぶ自由な男と、いまの男=日本酒のセールスをするビジネスパースン。二つの役を見事に演じています。ふたりが同時に画面に登場するシーンもあります。演技も映像技術も演出もいい。東出は『聖の青春』で羽生名人を演じています。羽生さんが好きなだけに、どうせドタバタ、高をくくって、見ていません。これなら東出の羽生を見たくなります。
つぎに編集。カットつなぎがいい。映画的な省略、飛躍が心地いい。スピード感があります。
感心しないのは、カメラとMA(映像にセリフ・音楽・効果音をつける作業)。映像は狙いなのか、なんか湿っぽい。色がよくない。フィルターの使い方が悪い。光と影がない。フレーミング、カメラのアングルは悪くない。しかしこれといって印象に残ったカットもありません。
MAでも目立ったものはない。音楽もよいとはいえない。北野映画のような緊張感は、ありませんでした。
さて濱口竜介は映画を発明しているでしょうか。映画評論家・野崎歓は「個々の人間を描き分ける卓抜な演出力」を評価しています。編集はいい。しかしカメラ、MA、音楽は疑問。
同世代の映画監督に『湯を沸かすほどの熱い愛』の中野量太(1973~)がいます。中野は日本映画学校出身。楷書で書いたような映画を作ります。前衛でも抽象でもない。でもそれが新しい映画になっています。
濱口の映画も丁寧です。でも映画の発明には至っていません。5つ星はちょっと甘い。期待値でしょう。
3、「シネマ万華鏡」
日経の映画評「シネマ万華鏡」は毎週金曜日の夕刊に掲載されます。評価は一つ星から5つ星まであり、5つ星とは「今年有数の傑作」と評価されるものです。『寝ても覚めても』は8/31の夕刊で5つ星(映画評論家 野崎歓)の評価を受けました。1ヶ月前(7/27)に、『スティライフ・オブ・メモリーズ』(矢崎仁司監督)がやはり、5つ星(映画評論家 宇田川幸洋)に輝きました。女性性器だけを映す写真家の話というセンセーショナルな映画でした。映画の天才アラーキー荒木経惟)を期待して映画館に足を運びました。裏切られました。ありきたりのスティルライフ(静物画)でしかありませんでした。映画には理知や感覚を超えたエロス(情念)がありませんでした。
映画評論家の反旗をひるがえすものではありません。理解できない、共感できないは、自分の至らぬせい。映画の評価、映画の評論は、難しい。今後も「シネマ万華鏡」に期待します。ただし、四つ星(日経7/13 映画評論家・中条昌平)『グッバイ・ゴダール!』は、大満足でした。

「資本主義の未来」の問題点は何か?

クリエーティブ・ビジネス塾37「資本主義の未来」(2018.9.3)塾長・大沢達男

「資本主義の未来」の問題点は何か?

1、資本主義の未来
日本経済新聞が、「資本主義の未来」というタイトルの5人の論考を掲載しました(日経8/6~8/10)。
1)岩田一政日本経済センター理事長・・・現代資本主義は3つの挑戦を受けている。ポピュリズム大衆迎合主義)、デジタル国家主義(中国)、AI(人工知能)である。
2)渡辺博史国際通貨研究所理事長・・・モノ、カネ、ヒト、情報が国境を越えて動くグローバリゼーション(可動性)は2010年代になり、その逆行、揺り戻しにあっている。健全な可動性を確保すべきだ。
3)吉川洋東大名誉教授・・・戦後の高度成長が証明するように、成長をけん引するは消費である。まず、不平等・格差是正のための改革。そして高齢化による格差を拡大させてはならない。
4)太田弘子政策研究大学院大学教授・・・「市場の失敗」のために規制がある。しかし制度の改革が遅れると「政府の失敗」が生じる。第4次産業革命は変化のスピードが速い。日本経済は挑戦を受けている。
5)S・ヴォーゲルカリフォルニア大学バークレー校教授・・・有能な官僚、官民の結びつき、そして規律ある労働力など、日本型制度の長所は、デジタル時代でも陳腐化していない。
2、ポピュリズム、デジタル国家主義、AI(岩田一政の論考から 日経8/6)
まずポピュリズム。岩田は衝撃的な図表を紹介します。「ポピュリズム指数(ポピュリスト/反既成政党の得票率)」(Bridgewater Associates, LP「Daily Observations」)です。
1910年代に10%以下だったポピュリズム指数が、第2次世界大戦直前の1930年代には40%に跳ね上上がっている。そして戦後は5~15%以内で推移。ところが2015年以降になるとポピュリズム指数は、大戦直前のように35%に近くまで上昇。重大な警告です。
なぜポピュリズムは台頭したか。第1に、金融資本主義の過度の拡大によるグローバルな金融危機の発生と富の偏在。第2に、デジタル技術とそれに秀でた人材を活用するスーパースター企業と技術革新に乗り遅れた企業とのパフォーマンス格差拡大。因に、トランプ米大統領を支持する層は、技術革新とグローバル化に乗り遅れ相対的な社会的が地位が低下した人たちです。野口は、リベラルな国際秩序の維持にはポピュリズムに依存しない米国型資本主義の再生が求められる、結びます。
次は中国です。デジタル国家主義は、政府による個人の徹底的な監視を可能にし、自由な民主主義システムに代替する「権威主義的社会システム」を作り上げることを可能にしている。さらに中国人民銀行中央銀行)は、中銀口座を通して電子取引などを決済することを全てのプラットフォーム企業に要請。
野口は、個人のプライバシーを確保し、国境を越えるデータの自由な取引ができるグローバルなインターネットガバナンス(統治)の構築が喫緊の課題だと、指摘します。
もうひとつ野口は、中国の「一帯一路」はモンゴル帝国の世界支配の夢の再来である、警告しています。
そしてAI。AIは深層学習(ディープラーニング)で眼(め)を持ちました。約5億3000年前の「カンブリア大爆発」の再来です。AIの時代が来ます。AIとの融合で人間の能力を飛躍的に高めるAI部門とAIと融合できない非AI部門の「役に立たない」人類。巨大な不平等、大量の失業者。野口は、非AI部門の人々(「役に立たない人類」)の生存のために、資源確保のメカニズムを備える必要があると指摘します。
3、「資本主義」
ところで「資本主義の未来」の「資本主義」って何でしょうか。
○「商品生産が支配的な生産形態となっており、あらゆる生産手段と生活資料とを資本として所有する資本家階級が、自己の労働力以外に売るものを持たない労働者階級から労働力を商品として買い、それの価値とそれを使用して生産した商品の価値との差額(剰余価値)を利潤として手に入れる経済体制」(『広辞苑』)○「資本主義とは、労働力を商品化し、剰余労働を剰余価値とすることによって資本の自己増殖を目指し、資本蓄積を最上位におく社会システム」(『ブリタニカ国際大百科事典』。
驚くべき記述の羅列です。生産手段?労働者階級?剰余価値マルクスの『資本論』の解説でしかありません。ピントがずれています。それが証拠に「資本主義の未来」を論じた5人のだれもが、マルクスを論じていません。そしてだれもがイノベーション(機械)を論じています。しかしマルクスによれば「機械は、価値を創造しはしない」(『資本論二』p.249 岩波文庫)。やはりマルクスは問題外です。
「資本主義の未来」の問題点は、岩波書店をはじめとするジャーナリズムの、前時代的な左翼体質です。

米国の市民社会の価値観をひっくり返したエルビス・プレスリー。

クリエーティブ・ビジネス塾36「エルビス⑥」(2018.8.28)塾長・大沢達男

米国の市民社会の価値観をひっくり返したエルビス・プレスリー

1、”Don't Be Cruel (シカトしないで '56)”Otis Blackwell 作詞 アオヤマゴロウ訳詞
♫知ってるだろう/ひとりぼっちのぼくを/来てくれないなら/電話してよ/シカトしないで ぼくはホンキ/
怒っているの/ぼくのせいなら/過去は忘れて/あしたがあるさ
シカトしないで/好きな娘は いない/きみだけを 思ってる
ぼくのこと 思いつづけて/悲しくさせないで/そばにおいで 好きと言って/ぼくの気持ち 知ってるくせに/シカトしないで/ぼくはホンキ/どうして別れるの/ホントに好きさ/心に誓って
教会に行こう/愛を誓おう/きみは分かる ぼくはきみのもの/ぼくは分かる きみはぼくのもの
シカトしないで/ぼくはホンキ/好きな娘は いない/きみだけを 思ってる
この歌にも、ヒーカップ、マンブリン、ホンキートン唱法の集大成があります。ロックンロールです。
2、米国社会の革命
エルビスの人気は、リズム&ブルースのラジオ放送局WHBQ(AM Radio Station in Memphis, Tennessee 1950)から火がつきました。これはとんでもないことでした。
第1。ラジオはクラッシック音楽に占領されていました。
米国のラジオ放送は1920年から始まっています。テレビ放送は1941年から始まっていますが、30年代はラジオの黄金時代でした。ラジオはクラシック音楽で米国の市民社会の根本を支えていました。
○(クラッシック音楽は)理性的な意見にたどり着く能力に長けた近代的市民を生み出す(『ラジオが夢見た市民社会』p.210 デイヴィッド・グッドマン 長崎励朗訳 岩波書店)。○クラッシック音楽は潜在的に「あらゆる人のための音楽(Music for Everybody)である(p.217) ○(クラッシックの作品は)国家間の対立を超えて全ての人類に訴えかけ、それゆえに世界市民的な理想を体現し、唱導する(p.221)。
第2。ポピュラー音楽は軽蔑されていました。
○(放送されている音楽は)圧倒的な量のジャズやダンス音楽、クルーナー唱法であり、そんなものはゴミ(p.237)○ジャズやスウィングは侵略的で中毒性があるもの(p.245)○白人によって書かれた楽譜は、彼らが旋律や和音の感覚において黒人より優れていることを示している(p.273)。
第3。そもそも黒人音楽の放送局はありませんでした。
1947年にWDIAが誕生します。黒人音楽を黒人のために送る黒人社会のラジオ局の誕生です。そしていままでの差別用語である「レース・ミュージック(黒人音楽)」に変わって、「Rhythm & Blues」が、ビルボード誌のライター、ジェリー・ウェクスラーのよって生み出されます。
エルビスがブレイクした"That's All Right”は、1954年のWHBQ。リズム&ブルースの放送局でした。伝統的なカントリーミュージックではなく、新発明のロックンロール(ロカビリー)で、黒人のように歌う白人として登場しました。エルビスは米国市民社会の既成の価値観をひっくり返す存在として登場しています。
忘れてはならない。もうひとつエルビスに味方した、メイド・イン・ジャパンのイノベーションがあります。
トランジスタラジオ」です。1955年にソニー(当時は東京通信工業)がトランジスタラジオを発売し、米国への輸出を始めます。TR-55。8.9cm×14.1cm×3.9cmの小さなものです。「アメリカの若者はロックンロールを一人で聞きたいためにトランジスタラジオを購入しました」(『トランジスタラジオの社会的影響力』 水野紹大阪大学 Wed)。
エルビスはラジオを、白人と黒人の壁を、そして大人と子どもの境界線を壊し、若者の時代を始めます。
3、”Hound Dog.(ナンパ野郎 '56)”J.Leiber M.Stoller 作詞 アオヤマゴロウ訳詞
♫おまえは マジに ナンパ野郎/口説きまくり/お前は マジに ナンパ野郎/口説きまくり/そうさ お前にオンナは捕まらない/オイラの ダチでもねえ/みんなは 坊っちゃん 言うけれど/それはネエ/みんなは 坊っちゃん 言うけれど/ それはネエ/おまえに オンナは捕まらない/オイラの ダチでもねえ♫
ロックンロールの”国家”(ビリー諸川)シャウト唱法の”Hound Dog.(ナンパ野郎)”(OKはテイク31。ビリー諸川)と、ヒーカップ、マンブリン、ホンキートンク唱法の”Don't Be Cruel (シカトしないで)”(OKはテイク28。ビリー諸川)、この180度違う、ふたつの傑作は、1956年の7月の同じ日に録音されています。
エルビスの奇跡。信じられません。

エルビスが発明したロックンロール唱法。

クリエーティブ・ビジネス塾35「エルビス⑤」(2018.8.21)塾長・大沢達男

エルビスが発明したロックンロール唱法。

1、”Baby, Let's Play House (きみといちゃいちゃ '54)”Arthur Gunter 作詞 アオヤマゴロウ訳詞
♫ねえ かわいい かわいい かわいい かわいい子ちゃん/かわいい かわいい かわいい かかかかかか かわいい かわいい かわいい子ちゃん/かわいい かわいい かわいい子ちゃん
こっちのおいでよ かわいい子ちゃん/きみといちゃいちゃしたいんだ
ねえきみは 大学に行くかも/勉強するかも/ピンクのキャディに乗るかもね/だけど どっかで へまをする
さあ かわいい子ちゃん /こっちにおいで かわいい子ちゃん おいで/こっちにおいで かわいい子ちゃん おいで/こっちにおいで かわい子ちゃん/きみといちゃいちゃしたいんだ(A)
さあ聞いて きみに話があるんだ/話って言うのはね/こっちに ぼくにおいで きみはお子ちゃま/だから ぼくたち ままごと遊び(繰り返しA)
さあ このことだけは かわいい子ちゃん きみに知ってもらいたい こっちにおいで いちゃいちゃしようよ
ぼくたちやれるさ むかしのように(繰り返しA)イエ/さあ聞いてよ かわいい子ちゃん わかってね/ 僕から消えて まだきみはお子ちゃま/ほかの男と付き合わないで ねえかわいい子ちゃん♫
2、ロックンロール唱法
エルビス・プレスリーが、ブレイクしたのは、ラジオによってです。1954年夏、初めてのレコーディング曲"That's All Right"が、メンフィスの放送局WHBQでかけられ、大反響を呼び起こします。町中から放送局に電話が殺到し、DJは"That's All Right"を一晩のうちに、連続して7回、11回、7回と放送しなければならなくなります(『エルビス、最後のアメリカン・ヒーロー』P.29 前田絢子 角川選書)。
なぜエルビスの歌声は世の中を動かしたのでしょうか。それはエルビスが黒人のように歌う白人だったからです。エルビスが、ヒルビリーやブルースを歌うと、それが新しい音楽に聞こえました。エルビスは、「ロックンロール」(ロカビリー)を発明しました。それが、1954年11月録音の”Baby, Let's Play House (きみといちゃいちゃ)”を聞くと分かります(『50年代のエルヴィス全曲』p.44~46 ビリー諸川 同文書院)。
1)ヒーカップ唱法(Hiccup=しゃっくり)・・・歌詞の語尾を瞬時にひっくり返して、しゃっくりのように歌う。アルブスのヨーデルが米国に伝わり、カントリーミュージックの「ウエスタン・ヨーデル」に、さらにブルースの「ブルー・ヨーデル」になる。
2)マンブリン唱法(Mumbling=モグモグ言う)・・・口ごもって、モグモグ歌う。黒人ゴスペルの唱法
3)ホンキートンク唱法(Honky Tonk=カントリーミュージックを演奏する安酒場とそこで演奏される音楽のスタイル)・・・鼻にかけて歌うカントリーシンガーの歌い方。
4)ファルセット唱法(Falsetto=不適切な、偽りの声)・・・裏声。ヨーデルはファルセットと低音域の胸声
(地声)の切り返しの繰り返し。つまりヒーカップで歌えるとは、ファルセットでも歌える。
5)シャウト唱法(Shout=ロックの歌い方)・・・いわゆるガナリ系のロック唱法。躍動するリズムが命。
エルビスが発明した「ロックンロール唱法」を説明するとこうなります。エルビスのもっとも優れた理解者で、研究者で、シンガーであるビリー・諸川は、エルビスの「90度の才能」の極め付きのソングとして、"Baby, Let's Play House (きみといちゃいちゃ)"と取り上げています(前掲p.44)。
しかし・・・、エルビスの才能は「90度」ではなく、「180度」。ジャズやクラッシックの歌手としても優れていました。ジャズのビング・クロスビーフランク・シナトラに負けないクルーナー唱法の歌手であり、またオペラのルチアーノ・パパロディやプラシド・ドミンゴと比肩するようなベル・カント唱法の歌手でもありました。
6)クルーナー唱法(Crooner=ささやくように優しく歌う)・・・マイクロホン用のソフトな発声。ビング・クロスビーが代表。低い声でそっとつぶやく歌い方。
7)ベルカント唱法(Bel Canto=美しい歌、美しい歌声)・・・オペラ唱法。イタリア式声楽、発声法。
3、It's Now Or Never (いま でしょう '60) Aaron Schroeder 作詞 アオヤマゴロウ訳詞
♫いま でしょう/さあ 抱きしめて/キスしてちょうだい/きみはぼくのもの/あしたじゃ おそい/いま でしょう/がまんできない(A)初めて会った日/きみはやさしく 微笑んで/心奪われ 身も奪われ/今日まで生きてきたのは/この時のため/いま きみがそばに/ついに この時がきた (A)の繰り返し 涙を流して/海に向かって叫ぶ/もし愛が消え 愛し合えなくなったら/唇燃えて きつく抱かれる/それはいつになるの/また巡り会える日は(A)の繰り返し

科学に憧れた『資本論』、そのもろくも美しい体系。

クリエーティブ・ビジネス塾34「資本論④」(2018.8.13)塾長・大沢達男

科学に憧れた『資本論』、そのもろくも美しい体系。

1、自然法
「近代社会の経済的運動法則(自然法則)を闡明(せんめい=明らかにする)することがこの著作の最後の究極目的である」(『資本論一』p.16 カール・マルクス エンゲルス篇  向坂逸郎訳 岩浪文庫)。
「(資本主義的生産の内在的法則の把握は、)天体の外観的運行が、その実際の、しかし感覚的には知覚されえない運動を知る者にのみ理解されうるのと、全く同じである。」(『資本論二』p.240)
「ひとたび一定の運動に投ぜられた天体が、たえず同じ運動を繰り返すのと全く同様に、社会的生産も、ひとたびかの交互的膨張と収縮の運動に投ぜられたならば、たえずこれを繰り返す。」(『資本論三』p.212)
マルクスは経済的運動法則を、自然法則のように、明らかにすることを目標にしました。そのために、
第1、『資本論』を、たった1つの商品の分析から、資本主義的生産様式を明らかにする、壮大な演繹体系にしました。第2、ユークリッド幾何学のように公理(のようなもの)を設けて、さまざまな定理を説明する、数学的な方法を採用しました。第3、仮説と実証、抽象と具象、上昇と下降、いわゆる弁証法で、科学的な叙述にしようとしました。
どんなに厳密に、哲学、弁証法、数学を使っても、経済法則は自然法則とは違います。無謀な試みです。
2、公理
1)公理(のようなもの)1。<商品の価値は労働から生まれる>・・・「商品の価値が、その生産の間に支出された労働力によって規定されるならば」(『資本論一』p.74)「(労働力というこの商品が )価値の源泉であり、しかもそれ自身がもつよりも、より多くの価値の源泉である」(『資本論二』p.35)
マルクスの労働価値説は哲学的です。証明できないドグマです。商品を買う者の満足度が価値を決める効用価値説、需要と供給で価格が決定する近代経済学のほうが理解しやすく、説得力があります。
2)公理(のようなもの)2。<資本家は剰余価値を搾取する>・・・「労働者が必要労働の限界をこえて労苦する労働過程の第二の期間は、かれの労働を、すなわち労働力の支出を要するには違いないが、しかし、彼のためには、何らの価値も形成しない。それは無からの創造の全魅力をもって、資本家に笑みかける剰余価値を形成する。」(『資本論二』p.70)。
労働者が必要な生活手段の価値を生産するのが必要労働時間。そして生産者が労働者から搾り上げる価値を生産するのが剰余労働時間。剰余価値は社会正義を語る文学です。もちろん論証できません。
3)公理(のようなもの)3。<機械は価値を生産しない>・・・「機械装置は、価値を創造しはしない」(『資本論二』p.249)。「機械装置は、そもそもの初めから、資本のもっとも固有なる搾取領域である人間的搾取材料を拡大するとともに、搾取度をも拡大するのである。」(『資本論二』p.363)「機械装置は、その導入時代および発展時代の恐怖の後に、ついには労働奴隷を減少させるのではなく、これを究極においては増加させるということである!」(『資本論二』p.447)
<機械は価値を創造しない>は、証明できないどころか、事実に反しています。イノベーションは生活と世の中を大きく変えています。マルクスは、工業化社会、産業化社会を否定しています。
3、革命
「生産手段の集中と労働の社会化とは、それらの資本主義的外被と調和しえなくなる一点に到達する。外被は爆破される。資本主義的私有の最後を告げる鐘が鳴る。収奪者が収奪される。(『資本論三』p.415)。
天体運動の自然法則がわかれば、日食や月食を予測できるように、経済社会の自然法則を解明したマルクスは資本主義的生産様式の崩壊と社会革命を予言しました。しかしそれは間違えた自然法則による間違えた未来予測でした。まず、経済社会にニュートンの万有引のような自然法則はありません。しかも自然法則解明のために用意した、3つの公理(のようなもの)、労働価値、剰余価値、機械の価値無生産は、公理ではなくドグマした。美しい『資本論』の体系は崩壊していました。
「欧米に遅れて資本主義経済の発展がスタートしたわが国では、1981~98(明治24~31)年の平均寿命は男性43歳、女性44歳だったが、2017年にはそれぞれ81歳、87歳となった(厚生労働省生命表』)。これは紛れもなく資本主義の成果である。」(吉川洋 立正大学教授 日経8/8)。
マルクスの論文は面白い。しかしマルクスでいまだに、現代を論ずる人がいる、のは許せません。