地震予知はあてにならん。だから全力で今日を生きる。

クリエーティブ・ビジネス塾23「地震」(2016.5.23)塾長・大沢達男

地震予知はあてにならん。だから全力で今日を生きる」

1、熊本地震
4月14日21時26分、熊本地方に震度7マグニチュード(M)6.5の地震が起こりました。気象庁は余震への警戒を呼びかけます。ところがその後、もっと大きな地震が熊本を襲いました。4月16日午前1時25分、震度7、M7.3。エネルギーは14日の16倍でした。そこで気象庁は16日午前3時40分から始まった記者会見で、本地震が本震、14日からの地震群は前震と考えられる、と説明しました。「前震」なんて、聞いたことがありません。これは、気象庁の敗北宣言でした(日経5/10)。
まず、14日の地震の後、気象庁は「震度6弱以上の余震が起こる可能性は今後3日で20%」と発表します。全くの見当違い。気象庁は余震発生確率を、発表できなくなります。気象庁の敗北です。
さらに、気象庁のマニュアルには、(最初の地震が)M6.4以上なら本震と見る、と書いてあります。何故なら、過去のデータでは、その規模の地震の発生以後、それ以上の地震が起きたことはないからです。過去の経験則にあてはまらない。物理の法則では説明できない。科学の敗北です。
そして、気象庁は過去100年の膨大な地震データを蓄積しています。しかし、断層の動きや地震活動は、1000年や万年単位で起こります。データは無意味。人類の敗北です。
気象庁、科学、人類の敗北にもかかわらず、地震学者は相変わらず懲りずに、地震は発生のメカニズムをテレビや新聞で説明しています。曰(いわ)く、14日の地震は日奈久(ひなく)断層帯が、16日は布田川(ふたがわ)断層帯が起こした地震である。いやふたつの断層帯の連動ではない、ひとつ続きの断層帯地震と考えるべきである。起こってから言うな、分かっていたのなら、地震の前に言ってくれ。
2、『巨大地震
いま手元に、『巨大地震』(「Newton」別冊2010.6.15発行 株式会社ニュートンプレス)があります。「ニュートン」は、日本を代表する地球物理学者竹内均(1920~2004)が1981年に創刊した科学雑誌です。その執筆陣の豊富さ、記事のクオリティの高さは、世界に誇るべきものです。
皮肉です。『巨大地震』が発行されたのは、2010年6月、東日本大震災の起こる9ヶ月前。しかし東北地方は日本列島のなかで地震が起きる確率の少ない、むしろ安全のところと表示されています。
「宮城沖地震(プレート境界地震)」は、震度6前後、死者96人(前掲p.128)。また岩手県では津波による被害が想定され、死者120〜1000人とされています。熊本地方も似ています。特別に危険なところとは表示されていません。東北に比べれば、やや危険の確率の高い地域でしかありません。「布田川・日奈久断層帯での地震発生率は30年以内で6%(最大で)」(前掲p.168)となっています。
『巨大地震』は何のために編集されたか。東海地震東南海地震、南海地震のため、東京、名古屋、大阪を襲う大地震を想定しています。地図には、今後30年以内に震度6以上の地震に襲われる可能性が、書いてあります。高知市62.3%、大阪市59.5%、名古屋市44.4%、静岡市89.5%、横浜市66.7%、新宿区19.7%、千葉市64.0%。一番危険なのは太平洋に面した、四国から千葉まで、あとは比較的安全。東北はそもそも問題外、3%を大きく下回ると推測されます。ちなみに、熊本は7.1%。
日本の学者を総動員しても、東日本大震災熊本地震も予測できませんでした。地震は想定外でした。にもかかわらず、地震が起きた後は知ったかぶりが横行します。東北大地震のときは1000年以上昔の貞観地震(じょうがんじしん=869年)が持ち出され、したり顔で解説するジャーナリスト、学者がいました。
3、刹那の享楽
地震と火山は予測できない。これが現代科学の常識です。巨大地震の予測は未来ある若者を堕落させます。どのような夢を持っても、地震がきたら元の木阿弥(もとのもくあみ)。仕事も、恋愛も、結婚も、マイホームも・・・すべては破壊されてしまう。70年代の巨大地震の警告は、若者(団塊の世代)の夢を奪い、現在の少子化につながっています。
関東大震災(1923年)、東京大空襲(1945年)、そして今度は巨大地震により、『日本沈没』(小松左京 1973年 光文社カッパ・ノベルズ)。日本人は国土を失い、流浪の民となる。恐ろしい話でした。
あれから50年、東京はいまだに無事です。巨大地震の警告は何だったのでしょうか。いつかなにか起きる。いつかはわからない。明日なのか、10年後、100年後、1000年後、1万年後なのか。だから刹那の享楽を求めてはいけない。一日一生。あしたに生まれてゆうべに死す。今日を全力で生きるのです。