クリエーティブ・ビジネス塾25「オバマ広島」(2016.6.6)塾長・大沢達男
「オバマ大統領の広島訪問を92%の人が評価した」
1、米大統領、初の広島訪問
広島(1945年8月6日)と長崎(8月9日)は、人類史上初めて、原子爆弾を投下されました。死者の数は広島は12.3万人、長崎は7.4万人。原爆を落としたのは米軍です。
5月27日にオバマ大統領が米大統領として初めて広島を訪れ、17分間の長いスピーチをしました。
(オープニング)71年前、輝くような雲のない朝、死が空から落ちてきて、世界は変わりました。目くるめく光と火の壁が街を破壊し、人類は自らを亡ぼす方法を手に入れたことを、証明しました。
”Seventy-one years ago, on a bright cloudless morning, death fell from the sky and world was changed. A flash of light and a wall of fire destroyed a city and demonstrated that mankind possessed the means to destroy itself."
1)戦争は石器時代の頃から現在まで続いている。しかし広島の空に上がったキノコ雲は人類の持つ根本的な矛盾を突きつけました。 2)科学の進歩に見合う人間社会の進歩、科学の進化のような道徳の進化が求められています。私たちは声なき悲鳴、罪なき犠牲者を想像しなければなりません。 3)1945年8月6日の朝の記憶を忘れてはいけません。私たちは戦争の遺伝子を持っているのではない、過去から学び、選択できます。そして新しい物語を子供たちに話せるようになるのです。
(エンディング)私たちは未来を選べます。広島と長崎は、核戦争の夜明けではなく、道徳の目覚めの始まりとして思い出されるでしょう。
"That is a future we can choose, a future in which Hiroshima and Nagasaki are known not as the dawn of atomic warfare, but as the start of our own moral awakening."
感動が広がりました。世論調査では、92%の人が、オバマの広島訪問を評価しました(日経5/30)。
2、『原爆の子』
オバマ大統領は「声なき悲鳴を聞け」と語りかけました。「声なき悲鳴」は当時の小学生や中学生が書いた被爆体験記『原爆の子』(上下 長田新篇 岩波文庫)にあります。日本がまだ米軍の占領下(厳しい言論統制があった)にあった時に出版された本ですが、原爆の真実を伝えています。
「ぼくは五歳のとき、原子ばくだんにあいました。原子ばくだんのとき、お父さんはやくしょにいっておられました。そのとき、どくをすわれたものですから、いなかにこられたときは、もう、からだに、はんてんをいっぱいこさえて(こしらえて)、死なれました。ぼくはお父さんが、とてもとても、かわいそうでなりませんでした」(前掲上p.138)。
「父の顔を見ると、涙が流れていた。夕方骨を取りに行った時、父はこう言った『俊ちゃん、お母さんも兄さんも死んだんだよ。今からお父さんが、おまえといっしょに生活していくんだよ。わかったか』その時の顔は、今でも僕の心にやきついている」(前掲上p.209)。
「『お母さん!死んじゃ駄目。一人で死んじゃ駄目。お母さんが死ぬなら久代も一緒に死ぬるわ!』『久代!久代!』『お母さん!お母さん!』私が起きられるのなら、母にすがりついて泣いたでしょう。そして、お母さんの最後の姿を見守ることもできたでしょう。でも、今は互いに火傷をした病人で、指一本動かすことのできない有様です」(前掲下p.85)。
「本当に私の生き残っているのが不思議なような気がする。友達の多くは死んでしまい、生き残ったのは、一クラスに五名内外であった。先生方は皆亡くなられた。父母を失い、家を焼かれ、生活に苦しんでいる人を見るにつけ、私のこれくらいの苦しみは、ほんの小さなものに違いないと思う」(前掲下p.111)
3、丹下健三
オバマ大統領がスピーチをした広島平和記念公園(1954)は、代々木第一体育館(1964)、東京都庁舍(1991)を設計した建築家丹下健三(1913~2005)の仕事です。
原爆ドームははじめ単なる一廃墟でしかありませんでした。丹下はそれをランドマークにし、復興のシンボルにしました。広島市には東西を貫く平和通り(100m道路)があります。丹下は平和通りに直角に交わる南北線上に原爆ドームを慰霊碑を配置し、その十字型の都市軸を広島復興の骨格にしたのです。
広島は人類の終わりの始まりではない。広島から人類の新しい歴史を始めよう。オバマ大統領の呼びかけに私たちも答えなければなりません。