「ボイスvs会田誠」、どちらの勝ちか?

クリエーティブ・ビジネス塾11「会田誠」(2018.3.12)塾長・大沢達男

ヨーゼフ・ボイス vs 会田誠」、どちらが勝ちか?

1、会田誠展「GROUND NO PLAN
♫(アーティスティック・ダンディ)
ききわけのない 愚民の頬を/ひとつふたつ はりたおして
背中を向けて ステートメント書けば/それで何も いうことはない
しゃべりが過ぎる 愚民の口を/さめたdisで ふさぎながら
人類の未来のビジョンを示す/ほかに何も することはない
ボイス ボイス /あんたの時代はよかった/アーティストがピカピカのサギでいられた
ボイス ボイス /あんたの時代はよかった/アーティストがピカピカの導師(グル)でいられた
会田誠展「GROUND NO PLAN」より)
会田誠は日本のアートシーンのトップランナーのひとりです。
青山の展覧会会場にはいい女が集まっていました。「お茶でもいかが?」誘いたくなるような人ばかり・・・。しかも展示されている作品は、おなかが一杯になるほどのてんこ盛り、おまけに入場無料。で、二度も会場を訪れてしまいました。
いちばん気に入ったのが『アーティスティック・ダンディ』です。カラオケで会田誠が歌っているビデオが繰り返し流されています。メロディはもちろん『カサブランカ・ダンディ』(沢田研二)。会田誠パイロット・ベストに帽子という、ヨーゼゼフ・ボイスのマネをしています。口に水を含んで、プー!吐き出のがサイコー。
2、ヨーゼフ・ボイス
ヨーゼフ・ボイス(1921~1986)とは何者か?20世紀の後半を代表するドイツのアーティストです。
1)レームブック・・・ボイスは、ヴィルヘルム・レームブック(1881~1919)の作品に出会い、彫刻家としての自らのいく道を決めています。レームブックの代表作とは『ひざまずいた女』です。ハダカの女性がイヌやオオカミのような四つ足動物のようにひざまずいています。大きな尻、ふくらんだ胸はない、細い腕と足で彼女はうなだれている。ミロのヴィーナスではない。美しい女性でもない。今の、汚染された空気を吸い、汚れた水を飲み、機械に囲まれ、人間関係に疲れた女性。レームブックは真実の女性を造形しました。
2)コヨーテ・・・『コヨーテー私はアメリカが好き、アメリカも私も好き』(1974年)。ボイスはニューヨークで1週間、ギャラリーに立てこもりコヨーテと無言の対話を続ける、イベントを行いました。コヨーテとは米国先住民の聖なる動物です。「大地の香りついて語ることは何か動物的なものを語ること」。これがボイスが師と仰ぐレームブルックの信条でした(『美術手帖1992.4』p.181ハイナー・シュッタヘルハウス)。
3)社会彫刻・・・ボイスは人間の活動はすべて芸術活動であり、すべての人間は芸術家である、と考えました。そして「社会彫刻」にたどり着き、彫刻の概念を教育、社会変革までに拡張します。まず『国際自由大学』(1974年)を設立、そして『緑の党』結党に参加(1979年)。さらに『7000本の樫の木』を植える緑化運動(1982年)を始めます。
3、芸術
会田誠展「GROUND NO PLAN」は、全体が社会彫刻のパロディです。『雑草栽培』は『7000本の樫の木』、新宿御苑を「日展」のようだ批判し、広大なビオトープを提案する『新宿御苑大改造計画』はまさしく「社会彫刻」です。『アーティテック・ダンディ』はボイス批判です。1984草月ホールでボイスはナムジェン・パイクのピアノに合わせて、マイクを握りコヨーテのように吠えまくっています。
現代アートは、マルセル・デュッシャン(1887~1968)の『泉(Fountain)』(1917年)から始まります。男性の小便器にサインしただけの作品です。なぜこれがアートなのか。絵画の枠組みを壊し、絵画を発明したからです。絵画の発明、これを芸術と呼びます。会田誠の好敵手村上隆もフィギュアの『ロンサム・カウボーイ』で、ミケランジェロの『ダビデ』にかわる男性彫刻を発明しました。
「なにも言うことはない。なにもすることはない。アーティストは詐欺師でいられた。アーティストは道師(グル)でいられた」。ボイスには代表作がありません。対して会田誠には美少女を描いた、「オナニー猿」のための傑作『滝の絵』(「会田誠展 天才でごめんなさい」2012.11~2013.3 森美術館)があります。しかし会田誠は、自らの個展のタイトルを「NO PLAN」とし、無料にし、いい女をたくさん集めました。
ボイスvs会田は、会田の勝ち!です。ところで、会田さん、いい女(こ)を紹介していただけませんか。