THE TED TIMES 2024-42「GHQの機関紙」 10/22 編集長 大沢達男
朝日、毎日が発行部数を減らしているのは、リベラリズムの主張で、いまだにGHQの機関紙のようだからです。
1、天声人語
朝日・毎日の元幹部の記者をまえに、「朝日・毎日はGHQの機関紙」とジャーナリズムの素人が、思わぬ喧嘩を売ってしまいました。
証拠を出します。
昭和23年(1948)1月8日の朝日新聞に掲載された「天声人語」の全文を引用します。
『閉ざされた言語空間ー占領軍の検閲と戦後日本』(江藤淳 文春文庫 1994年)からの孫引きです。
「キーナン検事の尋問に対して東條被告は『首相として戦争を起こしたことは道徳的にも法律的にも正しかった」と答えている▲東條が法廷で何を言おうとそれはかまわぬ。思った通りをそのまま言えばよい。東條一人が前非を悔いてしおらしいことを言ってみても今さら何の足しにもならぬ。われわれもまた東條の言辞を相手に論争しようとも思わぬ▲問題は、東條の陳述に国民がどんな反応を起こすかである。アルカリの反応をするのか酸性の反応を示すかである。諸外国の注意もそこにある▲外人記者も言っておる。『世界は東條の口許を見ていない。東條の言を聞いた国民の表情を注視しているのだ』と▲このごろ電車の中などで『東條は人気を取り戻したね』などと言うのを耳にすることがある。本社への投書などにも東條礼賛のものを時に見受ける。沈黙している大部分の国民は、いまさら東條のカストリ的、爾光様的迷句に酔うとは思われない。が一部に東條陳述共鳴の気分が隠見していることは見逃してはならない▲それは歴史のフィルムを速く回すことだ。民主主義のプールの飛び込んだはずの水泳選手が、開戦前の侵略的飛込台に逆戻りするにひとしい。それはまた、美しいワイマール憲法を作ったドイツ国民が、ナチスの害虫にむしばまれてしまったことを連想させる」(p.290~291)
(筆者注:カストリ=密造酒。爾光様=人間宣言で天皇は退位した。これからは自分が天皇と宣言した宗教家。信者に双葉山、呉清源)
東條元首相をめぐる極東軍事裁判は1948年1月7日終わりますが、1月8日の「天声人語」はそれを受けてのものです。
その裁判で、前年の12月19日に「東條口述書」が、ウェッブ裁判長、キーナン主席検事に提出されます。
東條は口述書で次のように断じていました。
「私は最後までこの戦争は自衛戦であり、現時承認されたる国際法に違反せぬ戦争なりと主張する。私は未だかつて本戦争をなしたことを以て国際犯罪なりとして勝者より訴追せられ、また敗戦国の適法なる官吏たりし者が個人的の国際法上の犯人になり、又条約の違反者なりとして糾弾せられるとは考えたこととてない」
「敗戦の責任については当時の総理大臣たりし私の責任である」(p.285~6)
裁判は4日間、東條は以上の主張を、キーナン主席検事の反対尋問に対してもまったく崩しませんでした。
『閉ざされた言語空間』の著者・江藤淳はこの天声人語の筆者に対して、「奴隷的な言葉」を用いて書いている、と怒りをあらわにしています。
そして図らずも天声人語が指摘した「東條礼賛」の空気があるなら、東條は処刑の暁には殉国の士になりかねない、このことを恐れたGHQは言論検閲の新たな強化を計画をするようになります。
いかがでしょうか。朝日新聞はGHQの機関紙の証拠になっているでしょうか。
戦後史に対する見方は、いま取り上げた『閉ざされた言語空間ー占領軍の検閲と戦後日本』を読んでいるかいないか、で全く変わってきます。
戦後史を語る上では、必読なのに、読まれていない本です。
初出は雑誌『諸君』(文芸春秋社)、1982年~1986年に連載され、単行本が1989年(平成元年)、文庫本が1994年に出版されています。
戦後にGHQの言論検閲があったとは、「プレスコード」があったことで、だれでも常識的に知っています。
「プレスコード」(Press Code for Japan=日本に与える新聞遵則)は、1945年9月18日の朝日新聞の発刊停止処分を受けて、9月19日に発布されました。
新聞のみならず刊行物にも適用されるもので、日本での言論の自由を確立する、を目的にしたものでした。
その内容は、連合国を批判しない、進駐軍の動向を報道しない、そして真実の報道する、公安を害しない、など常識的なものでした。
続いて「日本放送遵則(Radio Code for Japan)」、映画遵則も発布されます。
戦後のGHQの言論検閲は「プレスコード」によって行なわれ、連合国批判は御法度だった、これが日本人の常識でした。
ところが昭和の終わり、平成時代の到来とともに『閉ざされた言語空間ー占領軍の検閲と戦後日本』(以下、「江藤本」と呼ぶ)によって明らかにされたGHQによる言論検閲はとんでもないものでした。
それは「言論検閲」、などとという甘っちょろいものではなく、「言論統制」であり「言論弾圧」でした。
言論弾圧の3本柱は、「極東裁判への一切の批判」、「日本国憲法がGHQ起草への批判」、そして「GHQによる言論検閲の秘匿」、言論の自由とは正反対のものでした。
なぜ江藤淳はこんなことが書けたのでしょうか。
占領軍が、米国が持ち帰った言論検閲のための日本の書籍、新聞、雑誌、おびただしい言論検閲の資料に、米国立公文書室で触れることができたからです。
それらは1977年まで図書館の地下室に死蔵されていて、あやうく忘れ去られそうになっていました。
それが米国人文科学振興基金の助成金で整理され公開されるようになったものでした。
言論検閲の実体の要点は、
1)言論検閲はCIE(Civil Information and Education Section=民間情報教育局)を中心でしたが、本当の主役は影の組織CCD(Civil Censorship Detachment=民間検閲支隊)でした。
CCDは伏字だとか削除とか荒っぽい検閲をしませんでした。あくまでも秘密ですから、なにもなかったかのような静かでスマートな検閲でした。
2)CCDの言論検閲には英語ができる日本の知識人が9000人が雇用され協力していました。
私信を開封する検閲作業もありました。
後に自治体の首長になった人もいたと噂されていまが、いずれにしても政治家、公務員、マスコミ、企業の将来の日本の指導的立場になった人々です。
誰がGHQに協力したかは不明です。知る限りでは2名の人が名乗りをあげています。
T.K.さん(89)とS.K.さん(88)で、ともに1947年にCCD(民間検閲局=民間検閲支隊)に入っています。
T.K.さんによれば、国家公務員の初任給が4000円だったときに検閲官の給与は7000円、もちろん私信開封に罪悪感はあったと回顧しています。
S.K.さんは、友人にCCDで働いていることを打ち明けたら、「ひどいことをしているんだね」と言われ、周りに語ることをやめたと言います。でも自分がやったことは後世に伝えなければいけないと重要な事実だと認識していました。
(以上は日経2015年9月2日。報道では実名が入っている)
3)言論検閲の真相が明らかになったのは平成になってから、団塊の世代が成人してからの話です。昭和の終わりまで、言論検閲はないものとされきました。
日本人の知識人の常識に「江藤本」はありません。
4)朝日新聞、毎日新聞の論調、○靖国神社参拝批判、○護憲。憲法改正反対、○言論の自由(民主主義)の主張は、GHQの言論検閲のポリシーそのものです。
ただし読売新聞は1994年11月に読売憲法改正試案を発表しています。渡辺恒雄が「江藤本」を読んだからです。対して朝日、毎日は「江藤本」を「右翼」の本として無視しています。
5)江藤淳は、占領軍の検閲は戦前戦中の日本の国家権力の検閲とは次元を異にするもので、検閲の秘匿を媒介にして非検閲者を共犯関係に誘い込み伝染させる、ことを意図していたと指摘しています。
「占領軍当局の究極の目的は、いわば日本人にわれとわが眼を刳(く)り貫(ぬ)かせ、アメリカ製の義眼を嵌(は)めこむことにあった」(江頭本 p.273)。
つまりアメリカ製の義眼をはめこまれた朝日・毎日と進歩的文化人は、サンフランシスコ講和条約が結ばれGHQがいなくなっても、GHQに代わって言論検閲を続けていました。
3、太平洋戦争史
言論検閲、言論統制、言論弾圧の始まりは、「太平洋戦争」というネーミングです。
GHQは「大東亜戦争」に変わり「太平洋戦争」という名を日本人に与え、1945年12月8日から10回、全国の新聞に『太平洋戦争史』を掲載しました。
『太平洋戦争史』(GHQ/SCAP/CIE 連合国総司令部民間情報教育局資料提供 呉PASS復刻選書7 呉PASS出版 復刻平成27年6月10日 原著昭和21年3月30日 高山書院)からその冒頭を紹介します。
「日本の軍国主義者が国民に対して犯した罪は枚挙の暇がないほどであるが、そのうち幾分かは既に公表されているものの、その多くは未だ白日の下に曝されておらず、時のたつに従って次々に動かすことの出来ぬような明瞭な資料によって発表されて行くことになろう」(前掲p.15)。
まず、権力と国民を分断することを狙い、そして戦争犯罪を告発しています。あきらかに「天皇制ファッシズム」、マルクス主義の記述です。
1)軍国主義者は権力を濫用した、2)国民の自由を剥奪した、3)軍部は国際慣習を無視し捕虜と非戦闘員に非道なる取り扱いをした、さらに4)真実を隠蔽した国民をだましてきた。
つぎに、日本人を暴力的な野蛮人・未開人扱いにした人種偏見、リベラリズムの記述があります。
「(南京で)婦人達も街頭であろうと屋内であろうと暴行を受けた。暴力に飽まで抵抗した婦人達は銃剣で刺殺された。この災難を蒙った婦人の中には60歳の老人や11歳の子供達までが含まれていた」(p.55)
お読みなってどう感じますか。
(筆者注:GHQ製の『太平洋戦争史』では北京での死者は2万人だが、『中国の旅』(本田勝一 1981年)は30万人。本田勝一の取材記事は、すべて中国共産党のアレンジ・プロパガンダのままで、「従軍慰安婦問題」以上の誤報である)。
GHQの主張は私たちの常識の一部になっていませんか。
だいいち「太平洋戦争」は私たち日本人が何のストレスもなく使う用語になっていませんか。
私たちはGHQに洗脳されています。
『太平洋戦争史』を平成27年になって復刻した出版した編集者この事態を嘆いています。
編集者は、「大東亜戦争は、国際的な善悪のパラダイムが既に形成、固着しており、これらを拭い去ることは容易ではない」と呼びかけ、日本人はあきらめてはならない、大東亜戦争の意義を語り継がなければならない、と出版の意図を語っています(p.6~7)。
大東亜戦争の意義を明解に語った本があります。大川周明の『米英東亜侵略史』(土曜社)です。
GHQの『太平洋戦争史』の掲載が始まった1945年12月8日の4年前、大川周明は、1941年12月8日の開戦直後の14日から25日までNHKラジオで全12回の連続講演をしました。それを書籍にしたものです。
まず『米英東亜侵略史』には、英国がインドと中国でやってきた侵略と殺戮が、証拠をそえて余すところなく描かれています。
さらに米国は、満蒙・東洋進出に日本が邪魔であるのに気づき、サンフランシスコで日本人を排斥し、日英同盟を廃棄させ、さらにワシントン会議で日本海軍を米英の6割に制限させる経緯を、事実をもとに説得力を持って書いています。
大川周明は怒りの叫び声をあげます。
「アメリカの乱暴狼藉かくの如く(後略)・・・繰返して述べたる如く、米国の志すところは、いかなる手段をもってしても太平洋の覇権を握り、絶対的に優越たる地歩を東亜に確立するに在る。そのために日本の海軍を劣勢ならしめ、無力ならしめ、しかる後に支那満蒙より日本を駆逐せんとするのである」。
大川周明は戦いの正当性を訴えます。
「大東亜戦は、単に資源獲得のための戦いでなく、経済的利益のための戦でなく、実に東洋の最高たる精神的価値および文化的価値のための戦いであります」。
「日本精神とは、やまとごころによって支那精神とインド精神を綜合せる東洋魂であります」、と12回のラジオ講演を結びます。
大川周明は東京裁判で戦争犯罪人として逮捕されながら、精神障害を理由に免訴されています。
でもそれは表向きの理由。
もし大川が法廷に立ったなら、裁かれなくてはならないのは、米英であることを証明されてしまうからです。
大川は東京大学を卒業し、拓殖大学、法政大学で教壇に立った学者です。
それも、とんでもない学者でした。
英語、フランス語、ドイツ語、サンスクリット、そしてアラビア語、以上は完璧、さらに中国語、ギリシャ語、ラテン語にも手を出していました。
ですから『米英東亜侵略史』は、豊富な文献にあたった事実に溢れ、実証的で文章に優れ説得力に富む、現代でも通用する一級の著作でした。
東京裁判の法廷で大川周明を論破できる知識人はいませんでした。
現代を代表する書き手の佐藤優が、大川周明の『米英東亜侵略史』を読み、GHQ流の大東亜戦争(太平洋戦争)批判に疑問を投げかけています(『日米開戦の真実ー大川周明著『米英東亜侵略史』を読むー』 佐藤優 小学館文庫)。
「国民は騙されて無謀な戦争に突入した」、「大本営発表はすべて大嘘だったとの通説は実証されるのだろうか」(p.146)。
さらに「国民が政府・軍閥に騙されて勝つ見込みのない戦争に追いやられたというのは、戦後に作られた神話である」(p.152)。
そして歴史に「もし」はないとしながら、「あの状況で戦争を避け、アメリカの理不尽な要求を呑んでいても」、
「植民地にならずとも保護国のような状態になった」(p.200)、もしくは社会主義国家になったかもしれないと推定しています。
そして忘れてはいけません。
米英の侵略は、白人帝国主義、人権・自由・平等のリベラリズムの旗の下に行われていることです。
アロー戦争(1856~1860)中、イギリスの新聞デーリー・テレグラフは以下のような社説を掲載しました。
「すべての支那将校を海賊や人殺しと同じく、英国軍艦の帆桁にかけよ。人殺しの如き人相して、奇怪な服装をなせるこれらの多数の悪党の姿は、笑うに耐えざるものである。支那に向かっては、イギリスが彼らより優秀であり、彼らの支配者たるべきものたることを知らしめなければならぬ」。
イギリス人の下品な言葉遣いに、大川周明は驚いています。
それどころか1960年代まで、白人が遺伝的に優秀である、は常識でした。
つまりGHQの占領政策は、白人帝国主義、リベラリズム帝国主義のもとで、行われてきました。
最後に『太平洋戦争史』を誰が書いたか、を推測します。
まず、CIEの企画課長スミス・ブラッドフォード(ブラッド・フォード・スミス 1909~)です。
スミスは昭和9年から11年まで、東大、立教大学で講師を務め、昭和16年から20年まで戦時情報局員(ルース・ベネディクトと同じ)でした。戦時中は紙爆弾(ビラ)を作成し、対日放送で心理戦争に従事していました。
戦後にCIE(民間情報教育局)に勤務するために再来日したことになっています。
つぎは、エドガート・ハーバート・ノーマン(1909~1957)です。宣教師の子供で軽井沢生まれ、トロント大学、ケンブリッジ大学、ハーバード大学で学び、日本では羽仁五郎に学んだ日本史歴史学者です。
英国情報局保安部はノーマンを共産主義者と断定、ノーマンはソ連のスパイの疑いをかけられ、1957年に自殺しています。
そしてチャールズ・L・ケーディス(1906~1991)です。マルクス主義者で日本国憲法の9条を起草しました。
そしてもうひとり日本人の羽仁五郎(1901~1983)がいます。
1945年12月に日教組の原型である教員組合をGHQの指導により結成した羽仁五郎は、GHQのお気に入りで、占領軍のあたりをうろついていました。
『太平洋戦争史』は、占領軍だけでなく、日本人の羽仁五郎によって書かれていることを忘れてはなりません。
4、リベラリズム
『サピエンス全史』のユベル・ノア・ハラリは、西欧キリスト教社会では1960年代まで白人帝国主義であった、と指摘しました。
つまりGHQの占領施策である東京裁判・日本国憲法・言論検閲は、白人帝国主義とリベラリズムの所産でした。
歴史人口学者のエマニュエル・トッドは、『我々はどこから来て、今どこにいるのか? 上下』(エマニュエル・トッド 堀茂樹訳 文藝春秋)で、リベラリズムは米英の核家族のイデオロギーに過ぎない、と指摘しました。
「(核家族型社会の価値観である)個人主義的で、自由主義的で、女権拡張的な価値観(中略)、この価値観に適応しようとしたからこそ、ドイツと日本の直系型家族社会は人口面で機能不全を来し始めたのではないだろうか」、
「子供を生み出す力がドイツと日本で弱いのは、(中略)アメリカ的近代に対する直系家族型社会の反動なのではないのか(p.175)」。
「(現在の)日本は米国の占領地」と、トッドは露骨に指摘します。
つまり日本国憲法とGHQの言論統制により西欧思想のリベラリズムに占領されているからです。
「人権」とは、侵略と占領で奴隷がいた階級社会が生んだ概念です。さらに西欧の啓蒙思想は、自然を支配し、森林を破壊しました。
私たちは、「山川草木悉皆成仏」、ものみな仏になります。
さらに「衆生無辺誓願度」(しゅじょうむへんせいがんど=生きとし生けるものをみな救って欲しい)です。
「自由」など問題になりません。私たちは他民族の自由を奪い奴隷にし支配したことも、されたこともありません。
天皇は民を「うしはく(所有・支配)」するのではなく「しらす(一体化・知らす)」存在です。
私たちは天皇の大三宝(おおみたから)です。共同体のなかの守るべき分があります。
「平等」てなんでしょう。私たちは西欧のような階級社会ではありません。黒人、有色人種を差別してきていません。男女同権は「魔女狩り」をしてきた西欧思想です。
「一視同仁」(いっしどうじん=すべてのひとの分け隔てなく)です。
男は益荒男(ますらお)、女は手弱女(たおやめ)、妻は「かみ」さん、山の神(やまのかみ)です。
GHQが掲げてきた米英アングロサクソンの、人権、自由、平等のリベラリズムは、人類の普遍的な価値観ではありません。
それどころか<リベラルな構造を突き詰めるとある種の帝国主義に至る>( 後掲書 p.62)のです。
<自由と民主主義を破壊し、専制と帝国主義を招いたのは「リベラリズム」だった!>というキャッチ・コピーの衝撃的な本『ナショナリズムの美徳』(ヨラム・ハゾニー 庭田よう子訳 東洋経済新報社)がいま問題になっています。
<リベラル派は、何が正しいかについて自分たちの見方を多数のネイションが受け入れることを当然と考えるのだ>( p.62 )
<リベラル構造は・・・1つの原則しかない・・・それは個人の自由だ。ジョンロックは(その著『統治二論』の冒頭で)・・・すべての人間は一人ひとり、生まれながらにして「完全に自由」で「完全に平等」な状態だと冒頭で宣言する>(p.66)
さらにはっきりしてきました。国際紛争の陰には、ウクライナ、アフガニスタン、中東・・・いつもリベラリズムがあります。
***
朝日・毎日は、「GHQの機関紙」だという憎まれ口を利きましたが、他意はありません。
私自身が、朝日・毎日に育てられてきたからです。
私は幼少の頃から、朝日新聞の読者で、学生・社会人になってからは、朝日ジャーナル、週刊朝日の熱心な読者でもありました。
スターリン死去(1953年 筆者10歳)の朝日新聞の報には世界がどうなるか心配しました。
宇宙飛行士ユーリー・ガガーリン、そしてメルボルン・オリンピック(1956年 筆者13歳)でのウラジミール・クーツ(陸上5000・10000m)たちのオリンピックでのソ連選手の活躍に興奮しました。
朝日ジャーナルの「若者たちの神々」(1984~85 筑紫哲也)、週刊朝日の「ブラック・アングル」(1976~山藤章二)も楽しみました。
元毎日の新聞記者・大森実が発刊した新聞「東京オブザーバー」(1967~70 筆者24歳)はお洒落で驚きました。大森実は憧れの人になりました。
同じく毎日記者上がりのテレビで活躍した三宅久之コメンテイターもファンでした。
江藤淳は昭和23年の朝日の天声人語を「奴隷的な言葉」と批判しましたが、その後の朝日・毎日の発行部数の伸びからすると、その論調は戦争を嫌い平和を望む国民の気分を先取りしていた、といえるかもしれません。
新聞記事といえども需要と供給です。マーケティングが必要です。朝日・毎日の人権・自由・平等のリベラリズムは国民読者の要望に応えていました。
しかしいま2024年は『ナショナリズムの美徳』の時代になりました。
日本はインバウンドの観光客で溢れています。なぜ世界は日本に惹かれるのでしょうか。
東京駅の前にある広大に皇居に外国人観光客は何を思うでしょうか。なぜ皇室があるのか。自由と平等のリベラリズムでは説明できません。
全国には8万強の神社と8万弱のお寺があります(因みにコンビニの数は5万)。日本人はなぜお参りするのでしょうか。緑豊かな神社や氏子(うじこ)を人権では説明できません。
日本にはなぜ200年企業があるのでしょうか。「三方良し」を「プロテスタンティズムの倫理」では理解できません。。
MLBでは日本人・大谷翔平が活躍しています。野球能力の話ではありません。なぜ大谷はグランドのゴミを拾いポケット片付けるのでしょうか。「自利利他」はフェアプレー理論にありません。
大相撲に外国人は魅了されています。ハダカの関取、紋付袴の親方、そして行司の衣装、目を見張るファッション。女人禁制の土俵は後進国の女性差別として否定されるべきものなのでしょうか。
・・・まあこんな難問はさておき、いまや朝日・毎日の論調は、時代に答えていません。
2024年元旦の社説に朝日新聞はガザとウクライナの戦争についてふれ<暴力を許さね 関心と関与を>と書きました。
同じく元旦の社説に毎日新聞は、<二つの戦争と世界 人類の危機克服に英知を>のタイトルを掲げ、まずは停戦で死傷者を減らす、つぎに市民が声を上げる、そして人類の危機には他者との共生の道がある、と説きました。
まるで小学生が児童会で、ケンカはいけません、いじめはいけません、転校生ともなかよく、と主張しているかのようです。
私たちの仲間はここ10年、朝日、毎日、読売、日経、産経、東京の「元旦社説ランキング」を、毎年やっています。
2024年の結果は、なんと朝日が最下位、毎日が下から2番目、初めてのことでした。
ディスカッションの6人のメンバーに、元朝日、元毎日、もとテレ朝の記者がいた、にもかかわらず。
現代の紛争と戦争の世界に、リベラリズムでは何も説明できません。
リベラリズムでは解決できません。リベラリズムが原因になっているからです。
新聞の時代は終わります。
それにしても朝日と毎日の落ち込みはひどい、リベラリズムの朝日・毎日から読者は逃げています。
End