みなさん拍手!ブレア首相が退陣します。

コンテンツ・ビジネス塾「トニー・ブレア」(2007-20) 5/23塾長・大沢達男
1)1週間分の日経、ビジネスアイとFTが、3分間で読めます。2)営業での話題に困りません。3)あすの仕事につながるヒントがあります。4)毎週ひとつのキーワードで、知らず知らず実力がつきます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

○拍手を!イギリスのブレア首相が退陣します。
1997年からイギリス首相の座にあったトニー・ブレアが、この6月で退陣します。イギリスの経済紙フィナンシャル・タイムズ(FT)も日本経済新聞もブレアの退陣を社説で取り上げ、イラク戦争以外のブレアを高く評価しています。
” Tony Blair has unquestionably been the most remarkable politician of his generation, in the UK across Europe.”(トニー・ブレアは、間違いなく、彼の世代でもっとも注目される政治家でした。それはイギリスでも、ヨーロッパを通してでもです。FT 5/11)。
トニー・ブレアの名は世界の人々の記憶に長くとどまるだろう」(日経 5/11)。
なぜブレアを忘れてはならないのか。それは、彼が「第3の道」を追求したからです。
まず、労働党の綱領から、生産手段と輸送の国有化という社会主義の経済政策を削除し、自由主義の経済政策に転換したことです。イギリスはインフレと失業なしで経済成長を続けました。つぎに、人気取りのような公平社会のためのばらまき支出をしませんでした。さらには、失業者への公的支援を増やすことにも慎重でした。「働くことこそ貧困を脱する道」(マーフィー福祉改革担当相 日経 5/12)とまで、言ってのけたのです。ブレア政権は、社会主義的な経済政策と決別し、市場原理と福祉の両立、つまり「第3の道」を選んだのです。このブレアの常識が、日本では通用しません。知識人は市場原理主義者の批判に懸命です。ではあなたは社会主義的な政策一辺倒を望むのですか、と聞きたくなります。放任と計画、自由と統制、市場と福祉。そのさじ加減が現代の経済政策の最大の問題です。ブレアはその問題を解くことに成功したのです。
○ブレア首相が呼んだ2012年のロンドン・オリンピック。
「ロンドン逆転勝利、本命パリ敗れる」。2年前のIOC総会は、2012年夏季五輪開催都市にロンドンを決定しています。オリンピックは、ロンドン東部のストラッドフォード周辺で開催されます。コンセプトの第1は、繁栄から取り残された地域の再生です。アジアをはじめ移民の多い社会に貢献することです。第2は、「選手が計画し、選手のための、選手が主導する五輪」であることです。第3は、子どもたちに夢を与えるオリンピックであることです。
「ぼくもあの歳のころ、メキシコオリンピックを、講堂の白黒テレビで見ていました。そして、新しい世界が開け、いまもあの講堂から始まった道の上に立っています。世界の若者たちに感動を与え、オリンピックの持つ力を未来に伝えるのに、最もふさわしい計画はどれなのか。よく考えていただきたいと思います」(読売7/7, 05をもとに、大沢がリライト)
かつての陸上中距離のスーパースター、セバスチャン・コー招致委員長のプレゼンテーションは、感動の渦になってIOC委員の票を動かしました。ロンドンがパリを逆転したのです。貧困層(世帯所得が平均の60%以下)とは、バングラディッシュ系65%、パキスタン系55%(日経 5/12)。ロンドン2012は、貧困撲滅のオリンピックでもあるのです。
○ロック・ボーカリストとしてのトニー・ブレア
「私は、トニー・ブレアを評価します。かれは、言葉こそが最大の武器であると、考えています。だから、彼は一生懸命に話します。」(「ローマ人の物語」の作家・塩野七生 フジテレビ 「報道2001」 5/20)。首相就任当時のスピーチを思い出します。
「私には政策には3つの柱があります。第1は、教育です。第2は、教育です。そして第3は、教育です」。ウーム、面白い。これはいただき、使えます。最大の失敗と言われる、イラク戦争でのアメリカ支持のスピーチにも、説得力がありました。ブレアのスピーチは、プレゼンテーションのお手本です。アイコンタクト(視線をはっきりと聴衆に向ける)、ワンセンテンス・ワンパースン(1人に向けてひとつの文章を語りかける)、ワンバイワン(会場の左右、うしろから前へ1人ずつアイコンタクトをしていく)。どのビデオを見ても、完璧です。研究に値します。
" Ugly Rumours "(アグリー・ルーマーズ=イヤな噂)。トニー・ブレアはオックスフォード在学中は、
ハードロックバンドのリードボーカルでした。こんどは、トニーのライブに期待します。