マルクス主義を知っていますか。

コンテンツ・ビジネス塾「マルクス主義」(2007-44)11/6塾長・大沢達男
1)1週間分の日経、ビジネスアイとFTが、3分間で読めます。2)営業での話題に困りません。3)あすの仕事につながるヒントがあります。4)毎週ひとつのキーワードで、知らず知らず実力がつきます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

全学連
学生運動がその国の社会を揺り動かしたことがあります。世界のどの国も経験しています。日本では、1960年前後に日米安全保障条約を反対した全学連全日本学生自治会総連合)と1970年前後に大学解体を主張した全共闘全学共闘会議)のふたつの大きな学生運動がありました。今回話題にするのは、60年の学生活動家スター、姫岡玲治(本名・青木昌彦)です。彼が経済学者・青木昌彦として日本経済新聞に「私の履歴書」を書いたからです(日経07,10)。姫岡玲治は東大在学中に書いた論文により、全学連の理論的指導者になりました。かっこよかったのは、革命を目指しながら、日本共産党にも、社会主義国のリーダーであったソ連(現ロシア)にも、ノーを突きつけたことです。やがて彼は、1960年1月、当時の首相・岸信介の訪米阻止闘争で逮捕され、2ヶ月以上にわたる独房生活を送ることになります。そして安保の終焉とともに、学生運動から離れ、大学院での勉強を始め、米国に留学し、ミネソタ、ハーバードなどで学び、スタンフォード大学名誉教授になるのです。学生運動マルクス主義武装していました。なぜ姫岡玲治はマルクス主義をあきらめたか。「マルクス主義にはもう創造的な刺激が感ぜられなかった」からです。しかし当時の東大はマルクス主義経済全盛、近代経済学の勉強は不可能。留年の結果、何でもありのゼミに在籍することになり「未来のないマルクス主義アカデミズムの罠に陥らないですんだ」と回顧しているのです。
マルクス主義
資本家だけがもうかり労働者の生活はどんどん貧しくなっていく(窮乏化理論)。国家は資本家の思うままになり、大資本の利益のためだけの政治が行われる(国家独占資本主義論)。資本は海外市場獲得のために必ず戦争を起こす(帝国主義論)。企業と国家は悪、そして必ず戦争を起こす。これがマルクス主義の要点です。問題は3つあります。第1にマルクス主義は、経済理論として現実に運用され失敗していることです。ソ連の崩壊、中国の転換、北朝鮮の貧困がその証拠です。第2は、にもかかわらず日本では相変わらずマルクス主義に人気があることです。欧米ではマルクス主義経済学を研究している人はほとんどいません(「はじめての経済学」伊藤元重 日本経済新聞社)。第3は、文部科学省朝日新聞などにマルクス主義的な主張をする人が多いことです(渡部昇一中西輝政の所説)。マルクス主義しか学べなかった青春時代を卒業できていないのです。全学連の姫岡玲治に決別した、経済学者の青木昌彦に学べるのはここです。
○世界を代表する経済学者
青木昌彦がやったのは、単なるマルクス経済学からの転向ではありませんでした。集権的な計画経済と分権的な市場経済の融合、マルクス主義からの脱却と制度分析的な数理経済学への移行でした。青木は米国で10年活躍した後、日本にも戻るようになり、1976年には中国を訪れ、中国経済を中国の学者とともに研究するようになります。青木の専門は「比較制度分析」というものです。わかりやすい研究があります。「経営者が、株主と従業員の双方のバランスをとって企業を経営する」モデルを考えたのです。(資本主義的な)株主主権的企業も(社会主義的な)労働者管理企業も、 このモデルの特殊なケースとして包括できるというのです。つまりいいとこ取りです。会社は株主のものであり、従業員のものであるのです。むずかしそうな「比較制度分析が」がなんとなくイメージできます。そして青木の魅力は、ロック・ミュージックを愛する柔らかさにあります。姫岡玲治は、後に凄惨な内ゲバを繰り返した仲間たちと、キッパリと手を切ります。そして生まれ変わった青木昌彦は言います。「彼らには必要なときには、人生のリスイッチを試みる勇気が欠けていたのではないか」。さらに青木の秘密は友人関係にあります。湘南で過ごした中学時代の友人は歌手の平尾昌晃と作曲家の高橋悠治。落語、ジョイスカフカシュールレアリスム、ダダ、12音階音楽に親しんだオマセな中学生でした。
青木昌彦は、世界を代表する経済学者として、2008年から「世界経済学会連合」会長に就任します。そしてもちろん本人の履歴書には出てきませんが、ノーベル経済学賞にいちばん近い日本人経済学者と噂されているのです。