コンテンツ・ビジネス塾「石川遼3」(2009-32) 9/8 塾長・大沢達男
1)1週間分の日経が、3分間で読めます。2)営業での話題に困りません。3)あすの仕事につながるヒントがあります。4)毎週ひとつのキーワードで、知らず知らず実力がつきます。5)ご意見とご質問を歓迎します。
1、ナンバーワン
男子ゴルフツアー・フジサンケイクラシックで、2位に大差をつけて優勝した17歳の石川遼は、ついに賞金ランキングでも首位に浮上、人気でも実力でも、文字通り日本のナンバーワンゴルファーになりつつあります。
米ツアーで活躍し今年から日本で戦っている丸山茂樹の石川遼に対するコメントが印象的です。「ショットしたときの音と、ボールの高さが違う。それはアメリカのトッププロの何人かと同じものだ」。
ボールの高さは、素人目にも分かるものです。石川は予選ラウンドの2日間をその丸山と5回の賞金王に輝く片山晋呉、つまり日本最強の二人と戦いました。
石川の周りには、綾小路きみまろのファンとだぶるような、中高年のおばさまたちが群がっています。「全然、タマスジが違うのね、遼クンのボールは、キーンと空に向かって飛んで行くんだから・・・」。と、うっとり。失礼を知りながら言います。石川の前では、日本最強の二人のボールは、女子が打ったそれのように見えてしまうのです。
石川遼のCM契約は、ヨネックス、パナソニック、トヨタ、コカ・コーラなど、18社25億円。これだけで年収4億円以上、そして賞金が現在9,300万円、こちらはまだ試合があり、もっと増えます。
2、父
信用金庫で仕事をしている父が、プロゴルファー・石川遼を育てました。巨漢でも長身でもない、息子と同じ背格好の感じのよい、笑顔のお父さんです。
1)父は時間の許す限り、石川のプレーを見ています。そして1打1打、自分が打つかのように一喜一憂しています。ゴルフ場のワン・ラウンドは、坂道を上り下り、7~8kmを歩くのですからなかなかの重労働です。父は息子のすべてを見ています。
2)プロになりたい、と言った高校生の息子に父は反対しました。ゴルフを楽しむ企業のトップたちと話して、今日の為替レートや日経平均株価が、答えられるかと聞いたのです。ゴルフ馬鹿でいいのか。それに対して息子は勉強すると答えたのです。
3)そして父は英語のマスターを命令しました。こちらも順調です。全英オープンではイギリス人のキャディと回り、タイガーウッズからは、英語で冗談も言われています。さらに父は、ゴルフ大会にいったらその周辺の町の社会科見学に、息子を連れて行きます。その土地の経済、文化を理解するのです(「息子 石川遼が感じたタイガーまでの距離」石川勝美 『文芸春秋』9月号)。
英語、国語、社会そして体育。石川遼は父を教師に、バランスよく高校生として学んでいます。
3、ヒーロー
戦後の経済成長を支えた日本のヒーローは、プロ野球・読売ジャイアンツの長嶋茂雄(1936)です。残業、残業で働いてきた日本人は、ナガシマに元気をもらっていました。さらに衛星放送とインターネット時代のヒーローは、シアトル・マリナーズのイチロー(1973)です。イチローは、人口の多い団塊ジュニア(1970~74年生まれ)。多くの日本人はイチローと一緒に国境を越えました。
では、ナガシマとイチローに見る、ヒーローの条件とは、何でしょう。
1)努力。ナガシマには大学時代に鬼監督・砂押(すなおし)がいました。イチローには父のチチローがいました。2)CS(顧客満足)。ナガシマはお客さんが喜ぶように、空振りで帽子を落とす練習をしました。イチローは、盗塁、レーザービームで、走る、投げる、打つでアピールしようと考えました。
3)おしゃれ。ナガシマは、ユニフォームでもスーツでもベストドレッサー。イチローは、トータル・ファッションで勝負しています。
さて石川遼はどうでしょうか。ヒーローの条件を完全にクリアしているのに驚きます。
まず、だれよりも練習し進化しています。つぎに、無謀と思える挑戦は、お客さんに喜んで欲しいからです。そして、おしゃれ。ダサイ、ヨネックス・ファッションは遼君の意見で徐々に修正されています。1991年生まれの石川はアジアの時代の、アジアを代表する、世界のヒーローになります。
石川遼の同時代に生まれた者は幸せです。自分もヒーローになる夢が持てます。