小林よしのりの『昭和天皇論』に感激。

コンテンツ・ビジネス塾「天皇」(2010-12) 4/1塾長・大沢達男
1)1週間分の日経が、3分間で読めます。2)営業での話題に困りません。3)学生のみなさんは、就活の武器になります。4)毎週ひとつのキーワードで、知らず知らず実力がつきます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

1、小林よしのり
表紙の昭和天皇のイラストに引き付けられ『昭和天皇論』(小林よしのり 幻冬舎)を買いました。続けて『天皇論』(小林よしのり 小学館)を読み、心を動かされました。1)マンガですが物語が、ディベート形式でエビデンス(証拠)をもとに、論理的に展開されています。2)理屈だけでなく、作者の小林の生活の中の天皇が語られています。高校の頃から反体制であった小林はプロレス観戦で、はじめて「君が代」を歌い、しびれています。3)ヴィジュアライゼーション(視覚化)、マンガによる描写です。昭和天皇の肖像は傑作です。いつかはここに帰る、なつかしさがあります。つまり論理的に感覚的に本能的に、天皇が検証されています。賛成反対、あとは読者の判断にゆだねられます。
2、常識をくつがえす天皇論。
1)GODではない天皇
天皇といえば戦後の「人間宣言」が有名ですが、小林は疑問を提示します。まず日本語の「カミ」、中国語の「神」、英語の「GOD」の違いです。「カミ」とは、「よの常ならずすぐれて徳のありて、かしこき物をカミとは云うなり」(「古事記伝本居宣長)。人でも、鳥獣木草、海山、何でもカミになります。「神」(しん)とは、自然界の不思議な力を持つ物や心を表す文字で、「GOD」の意味合いはない。そして「GOD」とは、他に並ぶものがないキリスト教などの「絶対神」です。天皇は古代から「アキツミカミ」(現御神)といわれますが、西欧流の「GOD」ではありません。天皇を「GOD」と勘違いした占領軍は、天皇に「人間宣言」をさせるという、滑稽なことをしました。
2)軍人ではない天皇
小林は「二度と天皇が軍服を着るような時代にしてはいけない!」と言い切ります。神武天皇から2700年(推古天皇から1400年)を越す天皇の歴史の中で、天皇が「武人=軍人」になったのは、古代と明治以降の70年程度に過ぎません。
天皇はエンペラー(皇帝)ではなく祭司王です。日本人に宿っている宗教を司る最高の権威なのです。あえて近い存在を世界から探せばローマ法王ということになります。
3)独裁者ではない天皇
小林は、旧憲法を検証し、天皇が絶対的な権力者でなかったことを証明します。まず、大日本帝国憲法第1条、「大日本帝国万世一系天皇之ヲ統治スル」。この「統治」するは、古事記に登場すする「ウシハク」(支配する)ではなく、「シラス」(お知りになる=公平に治める)である。伊藤博文が「治す(シラス)」を、「統治」するの漢語に変えたのである。そして、立法権は議会の「協賛」が必要、行政権は国務大臣が「輔弼(ほひつ=助ける)」し責任を負い、司法権天皇の名において裁判所が行う、と天皇は独裁者ではなかったと説明します。
さらに、「天皇制」とは国際共産主義運動の中で共産党が初めて使った言葉であり、苗字を持たない皇室は人工的に作られた制度ではない、日本が日本であるための伝統だと付け加えます。
3、残された問題。
昭和天皇論』のエンディングは、昭和天皇の御製(の短歌)のオンパレードです。
「身はいかになるともいくさとどめけりだたふれゆく民をおもひて」(終戦 昭和20年)
「思はざる病となりぬ沖縄をたづねて果さむつとめありしを」(昭和62年)
「やすらけき世を祈りしもいまだならずくやしくもあるかきざしみゆれど」(昭和63年)
神でも軍人でも独裁者でもなく、民の安寧(あんねい)を祈る祭司である天皇の本質はこれらの御製によって証明されています。
残された問題は3つあります。
1)異論の余地は十分にあります。論理的に反論すること。2)現在進行中の『昭和天皇』(福田和也 文芸春秋)を読み続け、完成を待つこと。3)昭和天皇の「あっそう!」を見習い、鎖国をせずに諸外国に学ぶことです。私たちの先輩たちは、「からごころ」(中国の学芸)を「やまとごころ」に変容させ、日本の伝統を築いてきました(『昭和天皇論』P.22)。学ぶ伝統を受け継ぐことです。