なぜ私たちは、「日本の国」に臆病なのでしょうか。

コンテンツ・ビジネス塾「国体の本義」(2010-13) 4/8塾長・大沢達男
1)1週間分の日経が、3分間で読めます。2)営業での話題に困りません。3)学生のみなさんは、就活の武器になります。4)毎週ひとつのキーワードで、知らず知らず実力がつきます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

1、死語になっている「国体」。
男子フィギュアスケートの世界選手権で金メダルに輝いた高橋大輔選手は、表彰式で「君が代」が唱えず、つらく淋しく悲しい思いをしました。学校で習わなかったからです。また、かつて米43代大統領J.F.ケネディが「国家があなたに何をできるかではない、あなたが国家に何をできるかだ」という歴史的な名演説をしたとき、私たちは首をひねりました。「選挙して納税する意外に何ができる」。そして、私たちは日の丸を掲げ、振ることをためらいます。なぜ私たちは、君が代、国家、日の丸に臆病になってしまったのでしょうか。なぜ私たちは、日本の国を誇りに思えないのでしょうか。
その原因がわかりました。米占領軍が『国体の本義』(文部省刊行 1937年)を禁書にし、読めないようにしたからです。「国体」とは「国民体育大会」のことではない、と聞き驚きます。「国体」は、GHQ(占領軍総司令部)の指令により新聞と教科書から消され、死語にされてしまったのです。
「国体」とは、日本国家を成り立たせる根本原理です。
「国体」とは、日本の伝統において存在する、目に見えない憲法です。
禁書『国体の本義』の全文を、『日本国家の神髄』(佐藤優 産經新聞出版局)が読み解きました。『国体の本義』を読むことで、私たちの人生の疑問は一挙に解決します。
私たちはなぜ生まれてきたか。人生の目的は何か。個人主義、民主主義、自由主義とは何か。天皇とは。なぜ神社に行くと不思議な気持ちになるのか。
2、『国体の本義』。
今日の世界の混乱は、合理主義、実証主義にもとずく西洋思想、つまり民主主義、個人主義自由主義にあります。西洋思想の本質は、アトム(原子)的世界観にあります。それは個人の自由がすべてであり、個人がひとしく理性を持っているという考え方です。そこにおいては、個人を超えた共同体は存在せず、理性を超えた神話は破壊されます。そこに誕生しているのが、共和国、合衆国、民主主義国などの近代国家です。
対して日本は、高天原(たかまがはら)の神々によって生み出された島々と天照大御神(あまてらすのおおみのかみ)がそれを統治する神話の世界に、国の始まりがあります。日本はその神を先祖とする天皇が祭祀と政治と教育を行う国です。
まず、私たち日本人には「創造の力」があります。なぜなら、無から有を生み出した建国に秘密があるからです。私たちは「皇帝(エンペラー)」の言いなりなる奴隷ではありません。天皇とともに社会と国家を建設しなければなりません。私たちは日本の国の歴史を作ってきた主役のひとりです。
つぎに私たちには「和の精神」があります。個人主義には矛盾と対立しかありません。万人の万人に対する闘争です。そこにあるのは機械的な調和です。「和の精神」は、ひとりひとりが特性を持ちながら相違し、全体の中に分を持って存在し、大きな「和」を形作っていきます。
さらに個人主義では、「没我献身(ぼつがけんしん)の心」が失われます。我を主にして他を従とし、利を先にして奉仕を後にする心が生まれます。日本は、清き明き直き心で、発展してきました。
3、右翼。
『国体の本義』に私たちを導いてくれた佐藤優氏は、現代の知の巨人と言われながらも、自らを「右翼」と定義します。「右翼」とは、フランス革命のときに議長席から見て右側に座っていた人たちのことです。「左翼」とは左側です。「左翼」は、人はみな等しく理性を持っていると考えます。理性に基づいて理想的な社会や国家を構築できると考えます。「右翼」は、人間の理性には限界がある、理性の限界の外においてこそ人間の真価があらわれると考えます。「国体」に議論をもどせば、国体を肌で感ずることができるものが、「右翼」ということになります(前掲書P.21~22)。
「何事のおわしますをば知らねども忝さ(かたじけなさ)の涙こぼるる」(西行法師)
(どこに神様がいらっしゃるのか、無学な僕にはわかりませんが、こうして手を合わせていると、ただありがたくて、涙が流れてきます)。