1Q84から、201Qへ。

コンテンツ・ビジネス塾「1Q84」(2010-15) 4/22塾長・大沢達男
1)1週間分の日経が、3分間で読めます。2)営業での話題に困りません。3)学生のみなさんは、就活の武器になります。4)毎週ひとつのキーワードで、知らず知らず実力がつきます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

1、村上春樹
1Q84』を読み終わりました。Book1(第1巻)が本屋に並んだのは昨年の5/30、Book3(第3巻)が出たのが先日の4/16、つまりこの1年近く『1Q84』はその小説の内容と、小説を取り巻く事件(Book 1+2=228万部、Book3の初版50万部完売)で私たちを楽しませてくれたことになります。
まず何よりも美しいのは全巻の構成です。『1Q84』は音楽。ダイナミックに始まる第1楽章、珠玉のメロディが並ぶ第2楽章、そして一糸乱れず終焉を迎える第3楽章、モーツアルトのピアノ・コンチェルトです。物語は必然として展開され、小説丸ごとがすっぽりと、まるで自らが書いた物語のように、きれいに頭の中に移植されてしまう。そう、読者はみな「サリエリ」にされてしまうのです。
すぐれた文章があります。たとえば「一羽のカモメが風に乗り、両足を端正に折り畳み、松の防風林の上を滑空していった。雀の群れが不揃いに電線にとまり、音符を書き換えるみたいにその位置を絶えず変化させていた」(Book3 P.232)小説家は小説家の仕事を完璧にこなしています。
そしてエンディング。読者のだれもが望む形の愛の成就、美しいセックスシーンで物語は終わります。読者は本を閉じ、ため息をつき、空を見上げ、流れ行く雲に、しばし身を委ねることになります。
2、カルト教団
1Q84』はヒロイン青豆、ヒーロー天吾のラブストーリーです。1Q84年(いちきゅうはちよんねん)とは、現実の1984年からスリップして落下した、現実とそっくりの異次元の世界のことです。そこでの象徴は、奇妙、二つの月が見えることです。
1)小説の第1のテーマは、カルト教団の「さきがけ」です。教祖がいて信者がいて山梨に本部があって、1995年に地下鉄サリン事件を引き起こした、現実のカルト教団を想像させます。しかしカルト教団はあくまでも小説の舞台装置に留まっています。
2)小説の第2のテーマは、女性への男性の暴力です。セクハラ、DV(家庭内暴力)、レイプです。ヒロインの青豆は、教祖の理不尽なレイプを処罰するために、教祖を殺害します。青豆は、女性への暴力を処罰し被害女性を救済する、鉄の意志を持った老婦人に雇われていました。もちろん青豆は、カルト教団から追われる身になります。
3)小説の第3のテーマは、小説家です。天吾は小説家として、編集者との付き合い、ゴーストライター(代筆)をやり、予備校講師のアルバイトをし、生きています。天吾はカルト教団をテーマにした、少女の小説を書き直し、完成させベストセラーにします。そしてやはりカルト教団からその身を狙われるようになります。村上春樹自身の何らかの体験が生かされているに違いありません。
青豆と天吾は、カルト教団の追跡を受けながら、愛を成就させようとし、1Q84年から脱出することを企てます。
3、201Q
小説の夢から覚め、小説のテーマをつかみ出してみると、カルト教団も、レイプも、小説家も、近代社会のテーマであり、差し迫った「私」のテーマでないことがわかります。「神は教義を持たず、教典も持たず、規範も持たない。報酬もなければ処罰もない。何も与えず何も奪わない。昇るべき天国もなければ、落ちるべき地獄もない。・・・神はただそこにいる」(Book3 P.271)青豆の心を描いたこの数行以外、読者の「私」は安全なまま、『1Q84』は、キケンな小説ではなく、ステキな読み物です。
自分探しの旅の果てに、カルト教団は出現しました。なぜ自分探しが始まったか。日本が経済成長で近代化を成し遂げたからです。豊かになった日本での宗教は、「貧者のアヘン」ではなく「贅沢なアクセサリー」として登場しました。2010年のいま、東京には二つのタワーがそびえ立っています。それは現実ですが、日本没落の始まりの象徴として記憶されるようになるでしょう。近代化のチャンピオンとしての日本の時代は終わりました。カルト教団は私たちのテーマになり得ません。世界の中心は、東京・ニューヨークから万博の上海に変わります。私たちに必要なのは、没落の日本から脱出する、脱近代社会(情報社会)への構想力です。テーマはレトロな1984年ではなく近未来の2019年、時代を予言する小説家の創造力は、『201Q』へと向かわなくてはならないのです。