シャネルが生きたように、ぼくも生きたい。

コンテンツ・ビジネス塾「シャネル」(2010-14) 4/15塾長・大沢達男
1)1週間分の日経が、3分間で読めます。2)営業での話題に困りません。3)学生のみなさんは、就活の武器になります。4)毎週ひとつのキーワードで、知らず知らず実力がつきます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

1、シャネル100年
デザイナー・ブランドの最高峰・シャネルの創始者ガブリエル(ココ)・シャネル(1883年8月19日生まれ)が、パリのガンボン通りに初めてのお店(1910年)を持ってから100年になります。それを記念するかのように、3つのシャネルの伝記映画が公開されました。
『ココ・シャネル』(2009年)、『ココ・アヴァン・シャネル』(2009年)そして『シャネル&ストラヴィンスキー』(2010年)です。それぞれの話題それぞれの魅力がありますが、クリエーティブとは何かが学べる意味で、『シャネル&ストラヴィンスキー』を取り上げます。
シャネルをデザイナー・ブランドの最高峰と位置づけましたが、ファッションのブランドには大きく分けて、1)エルメス、ヴィトンなどのロイヤル・ブランド、2)シャネル、アルマーニなどのデザイナー・ブランド、さらには3)GAP、H&M、ユニクロのようなファスト・ファッション・ブランドがあります。
エルメス、ヴィトンの源は、第2帝政のフランス(1852~1870)の王室御用達。エルメスは馬具商、ヴィトンは荷造り業者でした。王室権威のブランドです。シャネルは女性が社会進出してきた産業社会のブランドです。シャネルには権力の裏付けはありませんでした。それどころかシャネルは反権力のプランドです。シャネルは時代のアーティストたちとコラボしました。そのシャネルがとった戦略の秘密が映画『シャネル&ストラヴィンスキー』の中にあるのです。
2、シャネルのために生きたシャネル
シャネルは恋多き女といわれます。映画はその男性のひとり、作曲家イゴール・ストラヴィンスキー(1882~1971)との恋を描いています。
1913年パリで初演された、バレエ・リュス(ロシア・バレエ団)の『春の祭典』は、その前衛性のゆえに大事件になります。バレエ・リュスは超一流アーティストの天才集団、舞台美術にピカソマティス、ミロ、振り付けは天才ダンサー・ニジンスキー、プロデューサーはロシア貴族として生まれたディアギレフ、そして複雑なリズムの音楽を作曲したストラヴィンスキーが、ベルエポック(古き良き時代)の微風に酔っていたパリ市民に雷鳴をとどろかせたのです。シャネルは新しい時代の象徴としてバレエ・リュスに拍手し、ストラヴィンスキーの才能に注目していました。
ストラヴィンスキー一家(妻と4人の子ども)が、ロシア革命(1917年)に追われパリに亡命してきます。シャネルは、一家を全面的にサポートし、郊外の別荘に住まわせます。
シャネルとストラヴィンスキーの恋が燃え上がります。ふたりは、病気の妻と幼い4人の子どもがいるその別荘で、官能に身をまかせるようになります。印象的なセックスシーンがあります。別荘の一室の絨毯(じゅうたん)の上の誘惑、作曲中のピアノのまえのイスでの衝動、そしてベッドの上の全裸の恍惚。もちろん、ストラヴィンスキー一家は危機的な状態になり、パリを離れることになります。
しかし二人のクリエーターは違いました。仕事に燃えるのです。ストラヴィンスキーには「春の祭典」再演の話が持ち上がります。シャネルはその恋の中から「シャネルNo.5」を開発しています。
シャネルは「恋多き女」ではありません。仕事のために恋をしています。人生の中に仕事があるのではありません。仕事のために人生があるのです。帽子、ヒモ付きのハンドバッグ、ジャージー素材のスーツ、香水・・・伝説のシャネルファッションは、みな男との交わりの中から生まれた戦利品です。
3、クリエータ
映画は、夫の浮気におびえる妻を、「浮気の館」に住む4人の子どもたちの不安を描きます。はっきり言わせていただきます。家庭の平和も、子どもたちの幸せも、クリエーティブの敵です。
彫刻家ジャン・コクトー、画家パブロ・ピカソ、詩人レーモン・ラディゲ・・・シャネルはアートと交わり、アートに貢ぎました。アーティストと寝ること、アートこそがシャネルの戦略でした。
「昼は毛虫に、そして夜は蝶におなりなさい」(『女を磨くココ・シャネルの言葉』高野てるみ マガジンハウス)。女性は毎日、毛虫から蝶に生まれ変わる。だから這いまわるドレスと飛ぶためのドレスが必要。毛虫として這いまわり、蝶として飛ぶ。これはなにも女性に限ったことではありません。ここにクリエーターの本質があります。