クリエーティブ・ビジネス塾37「高倉健」(2012.9.27)塾長・大沢達男
1)1週間の出来事から気になる話題を取り上げました。2)新しい仕事へのヒントがあります。3)就活の武器になります。4)知らず知らずに創る力が生まれます。5)ご意見とご質問を歓迎します。
1、映画スター
映画『あなたへ』(降旗康男監督)は、主演の高倉健が出ずっぱりで、観客を感動させる映画です。
映画とは、映画を発明している映画のことです。たとえば『戦艦ポチョムキン』(エイゼンシュタイン)は、全くカメラを動かずに短いカットで撮影しながら、緻密な編集で映像を動かしモーションピクチャー(映画)にしています。たとえば『勝手にしやがれは』(ゴダール)は、手持ちのカメラで長いカットを撮影し、戦後世代をリアルに描くことに成功しています。たとえば『3-4X10月』(北野武)は、画像+効果音で、映像を生み出し映画にしています。優れた映画は、みな何らかの形で映画を発明し、見るものに映画の新しい感動を与えています。
『あなたへ』は映画を方法論的に発明している映画ではありません。映画スター「高倉健」のための映画です。高倉健だけが演ずることができる日本人を描き、日本人を発見した映画です。
2、高倉健
高倉健は、1931年2月16日、昭和6年生まれ。石原慎太郎が昭和7年生まれ。戦前の教育を受けた最後の人です。高倉健は、我慢と忍耐の人、義務を果たし使命に生きる人です。戦後教育の私たちのような自由と権利だけを主張するわがまま放題な人間ではありません。
高倉健の伝説1。なぞのプライベート。
高倉は、映画スターはプライベートを見せちゃいけない、と考えています。私生活はなぞです。ただ毎日、理髪店に出かけて行きます。そこには高倉健の個室があります。
高倉健の伝説2。遊ばない。
高倉は細やかな心配りに人ですが、仲間と群れて遊ぶことをしません。芸能界といえば麻雀ですが、高倉は麻雀をしません。酒も飲みません。
高倉健の伝説3。撮影現場で座らない。
映画出演者にとって撮影現場は待ちの連続です。ヘアメイク、衣装、美術、照明、キャメラ、すべてがそろって、ハイ!撮影になります。高倉は座りません、火に手をかざし暖をとることもしません。
映画『あなたへ』は、刑務所の刑務官(高倉健)が妻の遺言により海に散骨するために、富山から長崎の平戸まで旅をする話です。
夫(高倉)は死んだ妻への義理を果たす、ただそれだけ映画です。旅先では3人の男との友情が生まれます。目的地の平戸でも漁師の世話になります。
でもどのシーンでも高倉が演じているのは、我慢と忍耐の人です。観客はその出ずっぱりの我慢と忍耐の人の、清さ(きよさ)と潔さ(いさぎよさ)に、なつかしい日本人を見ます。
身長は、180センチ。でも体重は70キロを越えたことがないと、本人は誇らし気に語ります。高倉健は、節度と克己の人でもあります。
3、任侠
高倉健の名を誰もが知るようになったのは、東映のヤクザ映画『網走番外地』です。60年代後半、70年代前半は、ヤクザ映画が、若者と学生の心をとらえていました。
ヤクザ映画では高倉健のほかにもう一人忘れてはならない人がいます。俳優・鶴田浩二です。ヤクザ映画ブームは、鶴田浩二主演の『人生劇場飛車角』(1963)から始まり、同じく鶴田主演の『博突打ち総長賭博』(1968)で、社会的なブームになりました。
まず鶴田は東京の人を演じていました(本当の出身は静岡県)。鶴田は言葉遣い、立ち居振る舞い、挨拶と仕草が、粋でいなせでした。つぎに鶴田は愛国者でした。戦前の人でした。1924年生まれ、軍歌を歌い、戦争で亡くなった友の霊といつもいっしょでした。そして鶴田は作家の三島由起夫に『博突打ち総長賭博』で絶賛されました。ヤクザ映画は裏通りから表通りの娯楽になりました。
高倉は我慢と忍耐の人です。鶴田は義理と人情の人、任侠です。義理とは正しいこと、人情とは優しいこと、そして任侠とは、弱きを助け強きをくじく、男ぶりです。
鶴田も高倉も、なつかしく、そして美しい日本人です。