ディズニーに学ぶこと、それは愛国心です。

クリエーティブ・ビジネス塾14「ディズニーの愛国心」(2013.4.18)塾長・大沢達男
1)1週間の出来事から気になる話題を取り上げました。2)新しい仕事へのヒントがあります。3)就活の武器になります。4)知らず知らずに創る力が生まれます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

1、TDL30周年
4月15日に東京ディズニーランドTDL)が30周年のお誕生日を迎えました。オープンした1983年度の入場者数は993万人、昨年2012年度は東京ディズニーシーと合わせて2750万人、2000万人近くもお客さんが増えたことになります。
1955年初めてのディズニーランドがアナハイム・カリフォルニアに、1971年ディズニー・ワールドがオーランド・フロリダに、1983年TDL、1992年にパリにユーロ・ディズニー、そして2005年香港ディズニーランド、さらに2015年に上海ディズニーランドがオープンの予定になっています。TDLだけでなく、どこの国でも成功、ディズニーは世界で不滅のビジネスモデル(事業形態)になっています。
ディズニー大好き。ディズニーは素晴らしい。しかし一歩引いて考えて見てください。あなたがこれから学ばなければならないのは、ディズニーのような新しいビジネスを提案することです。
2、ウォルト・ディズニー
ディズニーランドを作ったのは、アメリカ人のウォルト・ディズニー(1901~1966)です。父はアイルランド生まれの大工、4人兄弟のいちばん下、他に妹。家庭は、兄2人が家出するほど貧しかった。ウォルトは、9才のときから6年間新聞配達のアルバイトをしています。朝3時30分起床で朝刊、夕方は夕刊。その他駅で新聞売り、薬の配達もしました。小遣いはない、金は父に取り上げられていました(『狂気の創造 ウォルト・ディズニー』P.19 ダイアモンド社 ニール・ゲイブラー著 中谷和男訳)。
1)ミッキー・マウス・・・ウォルトは18才のときに兄たちと同じように家出をします。絵を描いて生きていく夢のためにです。19才のとき後にミッキー・マウスを共同開発することになるアブ・アイワークスと出会い、会社を設立、アニメーションの仕事を始めます。その後会社はつぶれ二転三転、失意の中で、いたずらネズミをアニメのキャラクターにすることを思いつきます。名前はミッキー・マウス。ウォルトがデザインし、アイワークが仕上げました(ミッキーの目はアイワークスに似ている)。27才でミッキーを主人公にした世界初のトーキー・アニメーション『蒸気船ウィリー』を完成させます。
2)白雪姫・・・36才で、長編カラーアニメーション83分の映画『白雪姫』(1937)を完成させます。アニメは映画の脇役から、主役にのし上がります。 『ピノキオ』(1940)、『ファンタジア』(1940)、『ダンボ』(1941)、『バンビ』(1942)、『シンデレラ』(1950)と歴史な傑作が続きます。
3)ディズニーランド・・・出資先のABC(米放送ネットワーク)へのプレゼンテーションで使ったディズニーランドの概観図が残っています。ウォルトと美術監督のハーブ・ライマンが、一睡もせずに42時間で描き上げたものです。イメージに寸分の狂いもありません。現在のTDLがそこにあります。
3、愛国者
"To all who come to this happy place-welcome. Disneyland is your land. Here age relive fond memories of the past and here youth may savor the challenge and promise of the future. Disneyland is dedicate to the ideals , dreams and the hard fact that have created America ・・・with the hope that it will be a source of joy and inspiration to all the world."
(「幸せな場所にいらしたみなさん、ようこそ。ディズニーランドはあなたのふるさとです。ここでは大人たちが素敵な思い出がよみがえらせ、若者は未来への挑戦と約束を自分のものにできます。ディズニーランドは、アメリカを作った理想、夢、そして厳しい現実に捧げられ、世界のすべての人の歓びとインスピレーションの素になる願いを持っています」ウォルト・ディズニー
1955年、ウォルトのスピーチでディズニーランドはオープンしました。ディズニーランドはアメリカ国民に捧げられています。ウォルトは若い頃に、第一次世界大戦当時ヨーロッパのアメリカ軍に志願しています。さらに、第二次世界大戦では、アメリカ空軍に協力するアニメーション広報映画を作っています。またディズニーの映画『パール・ハーバー』(2001年)では、日本の零戦が病院を攻撃し、子どもたちを銃撃するシーンが出てきます。ミッキーは単純な世界平和の使者ではありません。
ディズニーは、まず愛国者でした。そして子どもたちのためにアニメ映画を完成させました。さらに0歳から100歳の「すべての子どもたち」のために、ディズニー・ランドを作りました。