巣立つ君に。法華経、日蓮をあなたの財産に。

クリエーティブ・ビジネス塾9「日蓮」(2014.2.26)塾長・大沢達男
1)1週間の出来事から気になる話題を取り上げました。2)新しい仕事へのヒントがあります。3)就活の武器になります。4)知らず知らずに創る力が生まれます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

1、宗教
千葉県が生んだ偉大な宗教家います。鎌倉時代(1222年)に安房の小湊村で漁師の息子として生まれた日蓮です。宗教か科学か。もちろん科学です。しかし科学では説明できないことがあります。何のために生きる、何のためにがんばる。人生の目的はなにか、生きることに意味があるのか。
日蓮は答えました。
「我が頭(こうべ)は父母(ぶも)の頭、我が足は父母の足、我が十指(じっし)は父母の十指、我が口は父母の口なり。たとえば種子と菓子と、身と影のごとし」(「忘持統事」、『日蓮』中野堯 創元社
「地獄と仏はいずれの所に候ぞとたずね候えば(中略)我等が五尺の見の内に候と見えて候」(「重須殿女房御返事」、前掲書)
偉そうにひとりで悩んでも仕方がない。あなたはご両親の子どもです。ご両親ですらそのまたご両親の子どもです。あなたは長い歴史でつながる鎖(くさり)のひとつ、まずはご両親に相談してみなさい。悪い事を考えれば地獄に近づき、良い事を考えれば仏への道も見えてきます。
いつの日か日蓮に出会ってください。日蓮をあなたの財産にしてください。
2、日蓮
日蓮は小湊村の貧しい漁師の家に生まれました。貧しい、従って中国への留学経験もありません。当時の僧侶はみなエリートでインテリでした。日蓮には皇室の庇護や有力者の後ろ盾がないにも拘らず、日蓮宗を開祖し、権力と戦いました。
つぎに、日蓮は仏教にある無数の教派の存在に疑問を投げかけました。たったひとりの釈迦が始めた仏教のなのに、いまでは多くの宗派や分派に別れている。日蓮は釈迦が残した教典のうち、いちばん最後の『法華経』にこそ、釈迦の本当の教えがあると考えました。
そして日蓮は「南無妙法蓮華経」と唱える事を発明します。私たちは『法華経』に帰依(きえ=従う)します。日蓮は仏教信仰の基準、仏教内の多くの矛盾の解決を『法華経』に求めました(『代表的日本人=日蓮上人』内村鑑三著 鈴木範久訳 p.153 岩波文庫)。それは浄土宗の「南無阿弥陀仏」(阿弥陀さまに帰依します)を唱える僧侶たちの腐敗を摘発し抗議するものでもありました。
日蓮日蓮宗を始めてから760年。日蓮系には日蓮宗日蓮正宗霊友会立正佼成会創価学会(但し『宗教年鑑文化庁には記載されていない)などがあり、2000万人を超えるような、仏教では最大の会派になっています。
3、法華経
釈迦はインドで紀元前の4~5世紀頃に亡くなっていますが、その言葉を弟子たちがサンスクリット語で2世紀頃までにまとめたものが『法華経』です。日本には、5世紀ごろの鳩摩羅什(くまらじゅう)が中国語(=漢文)に翻訳したものが輸入されます。
第1に、『法華経』では、さとりを説いています。生きて行く中で、「そうか!」「そうなんだ!」と気づくことです。さとりは仏だけのものではありません(『法華経はなにを説くか』p.4~5 久保継成 春秋社)。第2に、『法華経』は、話せる人と話せる自分そして話せる場があることを説きます。これが仏教の実践の基本です(前掲p.16)。第3に、『法華経』は、「人間関係」と「社会」に必要不可欠な、人間のわかり合い、コミュニケーションの基本を説いています(前掲p.18)。
まとめれば、さとり、気づき、目覚めが、生きる事で、さとってなお修行するが、人生です。
かつて流行作家だった石原慎太郎氏は、銀座で酒を飲んで湘南の逗子の自宅まで、高級スポーツカー・トライアンフTR3をぶっ飛ばして帰ることを習慣にしていた。ある夜、徐行で並んだタクシー運転手から、「あんたほど運転がうまい人は今まで見たことがない」と、話しかけられた。あれは誰だったのだろう。しばらくしてから石原氏は考える。そしてそれは数年前に死んだ、父親が注意に来てくれた、とさとります(『法華経を生きる』p.89~91の要約。石原慎太郎 幻冬社)。
たとえば法華経を生きるとはこんなことです。法華経日蓮を生涯の師として忘れずに、心の片隅で大切にしてください。Good Luck!(グッド・ラック。幸運を!)