クリエーティブ・ビジネス塾8「細雪」(2014.2.19)塾長・大沢達男
1)1週間の出来事から気になる話題を取り上げました。2)新しい仕事へのヒントがあります。3)就活の武器になります。4)知らず知らずに創る力が生まれます。5)ご意見とご質問を歓迎します。
1、細雪
またまた日本列島は大雪に見舞われました。ここまで降ると、雪月花を愛でる日本人であっても、心配は交通機関の乱れや外出した愛する人のことばかりで、風流どころではありません。はげしく大量に降る「大雪」に対して、細(こま)かににまだらに降る雪を、「細雪(ささめゆき)」といいます。風流の雪です。谷崎潤一郎の小説『細雪』(1946年)の題名になり、それを映画化した市川昆監督の映画『細雪』(1983年東宝)のタイトルになりました。
『細雪』は日本が大東亜戦争に突入するする直前の、関西の上流家庭の4姉妹を描いた作品です。昭和10年代のことですが、東京はオシャレの発信地ではありませんでした。東京が文化の中心だと信じきっている東京の人間は、読まなくてはならない小説で見なくてはならない映画です。
2、関西
まず和服です。映画では4人姉妹を、岸恵子、佐久間良子、吉永小百合、古手川祐子が演じます。ドラマが指定する年代は昭和の10年代、映画作られたのは昭和50年代の後半、戦後に姉妹が着ていたとされる着物は存在しませんでした。そこで市川監督は1億円以上の予算を、白生地から模様を染め着物を作る作業に、投入します。映画では現在の日本ではとうの昔に失われてしまった、あでやかな着物たちが乱舞します。現在の私たちは着物を持っていないどころか、それを収納する箪笥(たんす)すら、持っていません。
つぎは住まいです。映画では大阪・上本町(うえほんまち)にある長女・鶴子が住む豪邸と、兵庫・芦屋(あしや)にある次女・幸子が住むややモダンな住宅が紹介されます。
ふすまに仕切られ続く部屋、黒光する太い柱、ちゃぶ台、箪笥(たんす)、床の間、掛け軸の書、屏風(びょうぶ)、二階への階段、横にはいくつもの引き出し、鏡台、机、電気スタンド、硯箱(すずりばこ)。対して私たちのマンションは、鉄、コンクリート、ガラス・・・住まいとはほど遠いものです。
そして花、桜です。大阪や神戸で桜を見るとは京都に出掛けることでした。
「・・・祇園の夜桜を見、(中略)明る日嵯峨から嵐山へ行き、(中略)午後は市中に戻って来て、平安神宮の神苑の桜を見る。(中略)この神苑の花が洛中に於ける最も美しい、最も見事な花であるからで、円山公園の枝垂桜が既に老い、年々色褪せて行く今日では、まことに此処の花を措いて京洛の春を代表するものはないと云ってよい」(『細雪』上p.143 新潮社)
東京に住む私たちはどこで花見をするでしょうか。まず人が集まる上野公園。つぎは手軽な新宿御苑。オシャレさんは、広尾の有栖川公園。さまざまな国の人が集まる。ちょっと足を延ばして世田谷の砧公園もいい。近くにフレンチのレストランがある・・・思い出していて空しくなります。
「渋谷駅から道玄坂に至る両側には、相当な店舗が並んでいて、繁華な区域を形作っているのでるが、それでいて、何処かしっとりした潤いに欠けてい、道行く人の顔つき一つでも、変に冷たく白ッちゃけているように見えるの何故であろうか」(同中p.116)。
谷崎潤一郎はあきらかに東京文化を批判をするために『細雪』を書いています。
3、田舎者
小説家谷崎潤一郎(1886~1965)は、明治19年に東京神田に生まれ、府立一中、一高、東大に学びました。作家として地位を固めた後、関東大震災(1923年)を機に関西に移住します。東京を捨てました。37歳でした。『細雪』が谷崎の代表作とよく云われますが、それには賛成できません。谷崎は小説とは何かを問い、一作ごとに方法論的な実験をしています。トランペット奏者のマイルス・デビスが永遠の革命者のように新境地を開き続けたように、あるいは画家のパブロ・ピカソが、生涯をかけて変身し続けたように。谷崎は小説の新境地を拓き続けたアバンギャルド(前衛)でした。方法論的な実験という意味で『細雪』は極めておとなしい。だから代表作とは云えない。『細雪』は極上のイージー・リスニング、印象派の大作です。
それはともかく「細雪』を前にして、私たち東京の人間は逃げ出すほかはありません。和服を知らない、住まいを知らない、そして桜の美しさを知らない。東京人こそが究極の田舎者だからです。