クリエーティブ・ビジネス塾6「白鵬」(2015.2.4)塾長・大沢達男
1)1週間の出来事から気になる話題を取り上げました。2)新しい仕事へのヒントがあります。3)就活の武器になります。4)知らず知らずに創る力が生まれます。5)ご意見とご質問を歓迎します。
1、史上最強の問題発言
大相撲の初場所は白鵬の前人未到の新記録33回目の優勝で終わりました。史上最強の大横綱が活躍する同時代に生まれたことに感謝し、白鵬の更なる活躍を祈らずいられません。
その矢先、優勝の翌日と翌々日に新聞にただならぬ見出しが載りました。「慢心発言審判を侮辱。白鵬厳重注意」(サンスポ1/27)。「審判部決起。白鵬を呼び出せ!!」(サンスポ1/28)。共に一面のトップの大きな見出しです。なにがあったのか。優勝翌朝の記者会見での問題発言です。
1)13日目の稀勢の里との相撲は取り直しになったが、ビデオを見れば、子どもでも分かる(つまり白鵬の勝ち)。2)ビデオ判定の審判も元相撲取りなのだから、二度とないようにして欲しい。3)(相撲に)肌の色は関係ない。髷を結えば、日本魂、同じ人間である。
あからさまな審判批判、それどころか相撲協会自体を侮辱しています。1月28日に白鵬の宮城野親方は北の湖理事長、伊勢が浜審判部長に謝罪します。そして一件落着となります(サンスポ1/29)。
みなさん、白鵬の発言をどう思いますか。話にならん。大横綱の資格なし。誰もがそう思います。しかし本当に白鵬は、横綱どころか人間として未熟、なのでしょうか。そう思いません。結論はただひとつ、白鴎の日本語が未熟である、ことです。まず、建前と本音。日本人は本音では判定を間違いだと思っても、建前として審判批判を絶対に口にしません。そんなことは子どもでも知っています。次に、審判部を批判することは相撲の興行世界の身内を斬ることです。そんな裏切り者は相撲の世界で生きて行くとができません。これも日本人なら子どもでも知っています。なぜ賢い白鵬にそんなことを言わせてしまったのか。
日本語の未熟に加えて問題になるのが、発言3)の「肌の色」です。本場所で白鵬はいわれのない差別を受けています(外国人力士はみなそう)。遠藤戦、稀勢の里戦は、特にひどい。場内は遠藤コール、稀勢の里コールで満たされます。白鵬は憎まれ役、ヘイトスピーチの矢面に立たされているようになっています。
2、史上最強のその理由
双葉山は知りません。しかし大鵬、千代の富士、北の湖、貴乃花は見ている。白鵬が間違いなく一番強い。土俵のど真ん中で相手力士を投げ飛すことができるのは、白鵬だけだからです。次元が違います。
1)体・・・ひざのお皿が、ふつうの人より一回りも二回りも大きい。太いひざが下半身の強さになっている。からだは柔らかくゴムのよう、力を吸収してしまう(元兄弟子西岩親方日経1/11)。長い準備運動でケガをしません。2)技・・・「後の先(ごのせん)」。双葉山の究極の立ち合いをマスターしようとしてる。剣道の戦法の一つで、一瞬遅れて立つように見えながら、自分優位の体勢をつくる。至高の芸を身につけようとしています(サンスポ1/26)。3)心・・・初優勝のときに父と母への感謝、大鵬と並んだ32回の優勝のときには、ちょんまげ姿を守り相撲を今日の繁栄へと導いた明治天皇と大久保利道に感謝、さらに33回目の優勝では「強い男の裏には賢い女性がいる」と妻に感謝。スピーチのお手本、日本人の鑑(かがみ)です。
3、日本人と外人
かつてハワイ出身の小錦はその発言が「相撲はケンカ(fight)だ」と翻訳されバッシングを受け横綱になるチャンスを逃しました。また横綱朝青龍は「関東連合」と問題を起こし、引退せざるを得なくなりました。本人より、日本語の使い方と「外人」であったことが、問題であった思わせる事件でした。
他のスポーツでもあります。ゴルフではグラハム・マーシュ(オーストラリア)はジャンボ・尾崎と優勝争いをしていて、パットを外し、拍手されました。もちろんグラハムは激怒しました。野球はもっとひどい。2001年のT・ローズ、2002年のA・カブレラは、ホームランが55本に到達すると、どのチームもバッティングをさせてくれませんでした。外人だから、王貞治選手の日本記録55本を守るためです。
「ガイジン」という日本語はいやです。なぜ日本人は世界に向かって日本と日本人を主張しない(できない)のに、身内の中で外人をいじめるのでしょうか。外には遠慮するけど身内はしっかり結束するのでしょうか。「耐える感じの民族。でもそれが切れた時には、倍返しみたいなところがあるから余計に怖い」(北野武 「日本のヘイトスピーチ」Wikipediaより)。渋谷の焼き鳥屋の店員から日本人がいなくなりました。中国人、ベトナム人だけです。私たちは食事も介護も外国人なくては生きて行けない時代を迎えています。
白鵬は強く美しい。優勝33回、数字は何よりそれを語ります。