井上有一、その作品の完成度の高さに感激。

クリエーティブ・ビジネス塾7「井上有一」(2015.2.11)塾長・大沢達男
1)1週間の出来事から気になる話題を取り上げました。2)新しい仕事へのヒントがあります。3)就活の武器になります。4)知らず知らずに創る力が生まれます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

1、書
ある中国人のセレブが、日本の書家井上有一展覧会の中国開催を企画し、協力することになりました。いいチャンスです。「書」とは何かを考え、日本と東洋が世界にアピールできるものは何かを考えてみます。
書道はCalligraphy、書道家とはCalligrapher、書き方とか書法はWriting、Handwriting、書体はFontです。西洋に書道はありません。書道は東洋、中国と日本のものです。西洋にあるのはプリンターの書体、フォントです。アップルのスティーブ・ジョブズが大学時代にカリグラフィーに興味を持ち、その知識がコンピューターの設計に活かされ、マックが美しい書体を持っていることは有名です。しかしそれもあくまでフォント=書体にとどまり、書道とは次元が違い、芸術と呼べるものではありません。
日本が米英との戦争の破れたとき、東洋芸術で、「書」で、日本を再建すると宣言した男がいました。その男はまず日本の書で革命を起こし、つぎに書を世界の芸術の第一線の舞台に乗せることに成功し、そして書の世界のスーパースターになります。それが井上有一(1916~1985)です。
2、恋
1)愚轍(ぐてつ)・・・井上有一は初め前衛書道家として出発します。書をヴジュアルアートのひとつと考えます。書で文字を書くことすら否定します。「日展」を否定し、社会全般、書道界全般に対する反抗、抵抗をします。「アバレルダケアバレロ、スベテヲ否定セヨ、メチャクチャナリ、何モカモクソクラエ」(『井上有一』海上雅臣p.129ミネルヴァ書店)。あるときはエナメルを使い非文字作品の制作に没頭します。しかし、文字、筆、紙、墨さえも捨て去り、このうえなく自由な制作をしているはずのところに、かえってひとりよがりで自閉している不自由さを見てしまいます(p.140)。文字を捨てることによって文字を書くことの素晴らしさを理解します。国際的な美術展、サンパウロビエンナーレ展(1957年)で評価される「愚徹」(グテツ=愚かに徹する。造語)に到達します。二畳分の紙に両腕で大筆を持ち裸足でふんばって書いた作品です。
2)恋・・・井上有一は芸術家であるまえに小中学校の教師でした。スキンヘッドの教師とて、教頭そして最後には小学校の校長にまでになります。しかし50代に教師として危機を迎えます。恋愛問題。28歳も年下の同僚の女性教師を、職場の上司しかも妻帯者の井上有一が恋してしまいます。「うるわしききみのいきするそのいきをわれはおもいてひとりいきする/わが恋はひごとにつのりゆくごとしいかなることのおきてきたるか」(p.199~200)。あってはならぬ恋愛、井上有一はそれを抑えに抑えます。妻にも告白します。そして124.5×180.5cmの大作「愛」、11.4×12cmのハガキのような小さな作品「恋」が生まれます。
3)噫横川国民学校・・・井上有一の原体験は1945年3月10日の東京大空襲にあります。小学校の教師として目の前でたくさんの児童が焼き殺されます。敗戦の痛手から書を始めたわけですが、その原体験は作品にはなりませんでした。しかし33年後62歳になり「噫横川国民学校」となって実を結びます。横川とは東京都墨田区。145×244cmの巨大な作品。「・・・右昭和20年3月10日未明米機東京夜間大空襲・・・
当夜下・・・一帯無差別焼夷弾爆撃・・・死者実に十万・・・我前夜・・・横川国民学校・・・奇蹟生残・・・」最後の方がかろうじて判読できるだけ。まるで爆撃を受け炎上しているかのようでなにが書いてあるかハッキリしません。かつては惨状を描けなかった井上有一がついに戦争を語りました。
3、学
井上有一は「直接古典から学べ」と言います。ここに書の神髄があります。古典の精神を見抜く。古典の精神に触れて自己の精神を高めるのです(p.257)。古典の前衛を学ぶことで、「既成概念にとらわれるな」「自分の頭で考えろ」(p.162)が可能になるのです。そして井上有一は、一点でいいから、王羲之顔真卿空海に匹敵する字を残したい、と願いました(p.275)。
王羲之(303~361)は、中国の「書聖」、すべての書の源となっています。代表作は「楽毅論」。真筆がひとつも残っていない伝説の人です。顔真卿(709~785)は唐代の書家。力強さと穏やかさの楷書で知られます。代表作は「顔勤礼碑」。空海弘法大師(774~835)は真言宗の開祖、平安時代の僧で書家。代表作は「風信帖」(ふうしんじょう)です。
書とは筆で空間を刻む音楽。書にはリズム、メロディ、ハーモニーがあり、作品にはアリアから交響曲までがあります。1200年以上昔の前衛から東洋の精神を学ぶ、そのことが私たちを東洋人として強くします。