クリエーティブ・ビジネス塾49「奥田務」(2015.12.9)塾長・大沢達男
1)1週間の出来事から気になる話題を取り上げました。2)新しい仕事へのヒントがあります。3)就活の武器になります。4)知らず知らずに創る力が生まれます。5)ご意見とご質問を歓迎します。
1、J・フロントリテイリング
J・フロントリテイリング相談役の奥田務(おくだつとむ)が日本経済新聞に「私の履歴書」を書きました。ビジネスをする人、仕事とは何かを知りたい人、すべての人は、彼をお手本にすべきだと思いました。奥田務から何を学べるかをまとめてみました。
そもそも奥田務とは誰か。J・フロントリテイリングとは何か。基本情報を整理します。J・フロントリテイリングとは、百貨店の大丸と松坂屋が経営統合して産まれた会社です。松坂屋の創業は1611年(慶長16年)、大丸は1717年(享保3年)、日本でも有数の歴史のあるふたつの企業です。そして奥田務は大丸の社長と会長でした。奥田 碩(おくだ ひろし)元トヨタ自動車社長は、奥田務の実兄です。
2、先義後利(せんぎこうり)
第1に奥田務から学ぶことは、「先義後利」です。「先義後利」とは百貨店「大丸」の社是で経営理念です。奥田務のビジネスの根幹にはこの言葉があります。「先義後利」とは、「企業の利益はお客様と社会への義を貫き、信頼を得ることでもたらされる」。「先義後利」は儒教の教えです。「義」とは正しいこと、人間が行うべきすじみち、人道・公共のためにつくすことです。奥田はこの社是の話を新入社員のときに聞きます。そして思います。「利益を追求するためにお客さんや社会への言い訳のようなもので詭弁だ」。しかしその後のビジネス経験で学びます。「先義後利」の視点を欠くと仕事はうまくいかないのです。
経営統合した松坂屋の社是は「諸悪莫作衆善奉行(しょあくまくさ しゅうぜんぶぎょう)」。悪いことをしてはいけない、善いことをしなさい。仏教のおしえです。奥田務は宅急便の生みの親、小倉昌男の言葉も紹介しています。「サービスが先、利益は後(service before profit)」。さらに商社の伊藤忠が社是にしている近江商人の言葉があります。「売り手よし、買い手よし、世間よし」。経営学やマネジメントには、欧米から輸入されたさまざまな理論がありますが、日本企業の伝統の哲学はそれらを上回っています。日本はサムライの国ではなく、商人(あきんど)の国です。奥田務はその代表者のひとりです。
第2に奥田務から学ぶことは「資本主義の怖さ」です。奥田務は戦前、三重県内で最大の証券会社奥田証券の息子として生まれます。その奥田証券は1960年代、東京五輪あとの不況で破綻します。奥田務は歴史が突然途絶えることを知ります。さらに奥田務は、70年代に米国留学でお手本として学んだ多くの百貨店が姿を消すのを目撃しています。著名百貨店ギンベル、米国最古の百貨店ワナメーカー、そして世界最大の小売業シアーズが歴史を絶たれています。
第3に奥田務から学ぶことは、先輩から貪欲に学ぶんだことです。まずふたりの田中さん。徹底的な現場主義の心斎橋店長田中正佐(たいすけ)さん。そして大丸きっての理論家田中誠二常務。そして京都店長の本田博道さん。本田さんの指導は終電を過ぎても終わらなかった。そこで店の近くに下宿を借りてとことん本田さんの話を聞けるようにする。つまり徹底的に先輩から吸収しました。先輩に恵まれたとも言えるでしょう。しかしこれほど先輩から学んだと言える人は珍しい。奥田務の人柄でしょう。
3、練習ハ不可能ヲ可能ニス
奥田務は慶応大学卒業、父の奥田正も同じく慶応大学卒。「練習ハ不可能ヲ可能ニス」は慶応大学塾長小泉信三の言葉です。奥田務は練習の人、努力の人です。
奥田務は34歳のときにニューヨーク州立大学のFIT(ファッション・インスティチュート・テクノロジー)に留学します。FIT時代は人生で一番勉強したと回顧しています。昼間の授業だけだなく夜間も授業。睡眠時間は5~6時間、トイレ、食事、シャワーの時間以外はすべて勉強。勉強が終わらず朝を迎えたことはザラ。朝日で光るマンハッタンを何度も見たというのですから、超人的な努力の人です。そして1年後に優等賞で卒業、さらに1年実際の企業で研修。2年間の米国留学を経て帰国します。スーツケースには書籍で満杯、検査官が驚くほどでした。しかし奥田務は勉強だけではありませんでした。米国最先端の百貨店ブルーミングデールで研修しているときにマーヴィン・トラブ社長にアドバイスされます。「ミュージカルを見ているか。美術館に足を運んでいるか」。奥田務は、劇場、美術館、映画館に通いました。
「私の履歴書」のオープニングが印象的です。生まれたの1939年10月14日。ポロのファッションデザイナーのラルフ・ローレンと同じ日だというのです。オシャレじゃないですか。