私たちはアヒル、原節子は白鳥。

クリエーティブ・ビジネス塾50「原節子」(2015.12.16)塾長・大沢達男
1)1週間の出来事から気になる話題を取り上げました。2)新しい仕事へのヒントがあります。3)就活の武器になります。4)知らず知らずに創る力が生まれます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

1、永遠の処女
その死から2ヶ月後に、女優原節子(1920~2015)が9月に亡くなっていたことが、報道されました。いまでは、原節子を誰も知しませんが、原節子は誰もが知っていなければならない女優です。戦前と戦後の短い期間に活躍しました。代表作は小津安二郎監督の紀子の3部作『晩春(1949)』、『麦秋(1951)』、『東京物語(1953)』です。
あまり好きな表現ではありませんが、原節子は「永遠の処女」と言われました。それはまれに見る美貌の持ち主にも拘らず、結婚をせず生涯独身を貫いたからです。そればかりではありません。小津安二郎監督が1963年に亡くなると40代の若さで引退、映画界だけでなくジャーナリズムとも縁を切ってしまいます。
2、真善美
最高傑作は『麦秋』です。麦秋(ばくしゅう)とは麦が収穫される初夏のこと。この変わったタイトルとともに『麦秋』が、小津作品のサイコーで、原節子のサイコーです。
美・・・『麦秋』は主人公の紀子(原節子)の結婚話です。紀子は鎌倉で両親と兄夫婦、その子どものふたりの男の子と暮らしていました。兄は医師、紀子は丸の内のオフィスで社長秘書を務めるOLでした。もう28歳になったしまった紀子に、社長が縁談を持ってきます。ある日、近所に住む幼なじみの家族が仕事の都合で地方に引っ越すことになります。家族は、紀子と同じ年頃の若い医師、その母親、そして幼い娘の3人暮らしでした。医師の妻は亡くなっていました。転勤の前日、紀子はお別れのあいさつにその家族を訪問し、母親だけに別れのあいさつをします。その席で彼女が、冗談のようにして言い始めます。
「紀子さんのような人が、家にお嫁に来てくれると、いいのに・・・」
ところが紀子はとんでもない反応をします。
「私みたいな、売れ残りでよかったら」
母親はわが耳を疑い、飛び上がらんばかりに喜びます。結婚話がわずかの数十秒で決まります。
女優原節子(紀子)の美しさはこのシーンに凝縮されています。
ベージュのセーターにロングプリーツの同系色のスカート(もちろん白黒映画だから色は想像)、ヘアはセミロングでセンターで分けています。原節子はわずかに首を傾げながら、天使のような笑みをたたえ「私で、よかったら」と答えます。その顔には生活感などまるでありません。対して母親役の杉村春子は生活の現実のみがにじみ出た表情をしています。人間世界に天使が降りてきた瞬間です。
真・・・紀子は自宅に帰り、引っ越しを明日に控えた幼なじみとの結婚の話を、打ち明けます。そして深夜の親族会議が開かれます。兄夫婦、両親、みんながみんな、紀子の結婚に反対します。兄が言います。
「お前のことは家族のみんなが心配していた」「それをひとりで勝手に決めて」「後悔することはないのだな」
原節子(紀子)は、4人の厳しい視線に動じません。そして、きっぱりと「(後悔することは)ありません」と答えます。原節子は自らの運命(さだめ)を知っていました。神の使命を帯びて、この世に来たからです。
善・・・映画のラスト近くに、紀子と義姉が浜辺に座り、来し方行く末を話すシーンがあります。白いブラウス、ヘアはいつものセミロングのセンター分け。なぜ結婚を決意したか、紀子は告白します。
「子どもぐらいある人の方が、信用できる・・・」
原節子(紀子)は、透明な表情で、未来の遠くを見ながら話します。彼女は、母親を失った幼女を助けるためにこの世に来ました。そればかりでありません。妻を亡くした若い医師は、戦争で亡くなった紀子の兄の親友でした。兄の霊に答えるために結婚を決意しました。原節子は義の道を歩むために生まれてきました。
3、白鳥
「神秘で高貴な空気に包まれていた・・・けれど気さくでお優しい方だった」(女優杉葉子日経11/26)。「スクリーンで見るきりっとした美しさとは別の、明るく快活な笑顔」(女優香川京子日経12/29)。
原節子とは何者だったのでしょうか。私たちと同じ人間のようでしたが、ふつうの人間ではありませんでした。私たちは所詮、アヒルですが、原節子は白鳥でした。私たちは所詮、野良犬ですが、原節子とは伝説の麒麟(キリン)でした。喜怒哀楽を超越し美しく悲しいだけの音楽を書いたモーツアルトでした。
原節子には、真と善と美が、ありました。原節子は永遠、だから、知っていなければならないのです。