工藤官九郎より、十返舎一九のほうがダイナミック。

クリエーティブ・ビジネス塾6「弥次喜多」(2016.2.3)塾長・大沢達男
1)1週間の出来事から気になる話題を取り上げました。2)新しい仕事へのヒントがあります。3)就活の武器になります。4)知らず知らずに創る力が生まれます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

1、『真夜中の弥次さん喜多さん
TOKIO長瀬智也と歌舞伎の中村七之助、いい男ふたりがブチュー、長い接吻シーンから始まる映画があります。『真夜中の弥次さん喜多さん』(工藤官九郎脚本・監督 2005年 配給アスミック・エース)です。原作はしりあがり寿の同名のマンガ、さらにその原作に江戸時代の滑稽本(庶民のための面白おかしい物語)『東海道中膝栗毛』(十返舎一九)があります。映画は、弥次さん喜多さんをホモ同士という設定にしています(原作にもイントロにそう書いてありますが、本編での同性愛描写はありません)。つぎに映画は、喜多さんは薬物中毒、おクスリ大好き人間として描いています。そして映画は、工藤官九郎の初監督作品、全力投球の作品になっています。イマジネーションの爆発、ハチャメチャ、変幻自在、ギャグ、パロディ・・・しっちゃかめっちゃか、首が廻らなくなり、頭が痛くなるなるような作品です。
2、『東海道中膝栗毛
十返舎一九の原作は面白い。
(その1)
弥次さん「ハテこつちがわるい。モシれうけんしてくなせい(れうけん=堪忍)。こいつは茶に酔うと、気がつよくて、なりやせぬ。サアちゃつちゃつといこう。アイおちやらばおちやらば」。喜多さんが座頭(盲人)の酒を、自分の茶飲み茶碗に注ぎ飲んでしまういたずらをしますが、それがバレて大騒ぎになる。そのエンディングの駄洒落です(『東海道中膝栗毛』p.122 校注・訳 武藤元昭 ほるぷ出版)。
(その2)
喜多さん「この馬はしづかな馬だ」馬子(まご)「おんな馬でおざるは」喜多さん「だうりでのり心がよい」。このちょっとしたお色気もいい。ふたりはこのあと天竜川の渡しにたどり着きます。そのエンディングは「水上の雲より出て鱗(うろこ)ほどなみのさかまく天竜の川」(この川は信州諏訪の湖水、高い所から発しているので、龍の鱗のように波がキラキラ逆巻いている。まさに天竜の川だ)の美しすぎる狂歌で結ばれています(前掲p.136~137)。
(その3)
弥次さん「ハハハハはまぐりをもっとくんなせえ」女「ハイハイ」又やきたてのはまぐり大さらにもつていだす。弥次さん「おまへのはまぐりなら、なおうまかろう」ト女のしりをちよいとあたる「オホホホホだんなさまは、ようほたえてぢや」(はまぐり=女陰、ほたえて=ふざける)。このゲスで俗なお色気もいい(前掲p.197)。
3、十返舎一九
十返舎一九(じゅっぺんしゃ いっく 1765~1831)は江戸時代後期の戯作者、浮世絵師。いまでいえば大衆小説家でイラストレーターです。『東海道中膝栗毛』の膝栗毛とは、栗毛の馬の代わり膝を使った。つまり東海道を徒歩で歩いた旅行記ということになります。一九は日本で初めての職業作家といわれています。一九はプロの作家でした。雇っていたのは蔦屋重三郎です。喜多川歌麿などの浮世絵画家も蔦屋が面倒をみていました。蔦屋は江戸後期の偉大なプロデューサーでした。
東海道中膝栗毛』は滑稽本ですが、日本文芸の本流にあります。数々の和歌をふまえた狂歌は日本文芸の伝統があってのことです。そして明らかに作者は『源氏物語』の影響も受けています。
「いろいろあれども、これもくだくだしければりやくす」(前掲p.91)。このはしょり方は、紫式部そのままです。谷崎潤一郎も『細雪』なかで、紫式部をまねてよく使いました。
つぎに弥次さん喜多さんは、江戸っ子を持ち上げています。だから日頃、コンプレックスのとりこになっている関東者や東京人に勇気を与えてくれます。東京の醤油だらけのかけそばは食えない。アミやコンブの佃煮だけの朝飯なんかありえない。そもそも味が濃すぎる、口に合わない。だから福岡や京都や大阪の人を避けてきました。ところが弥次さん喜多さんは、京都の人間をケチだ、と相手にもしません。
そして驚くの一九の文章のうまさです。いま式亭三馬の『当世浮世風呂』をまねて、『当世浮世レストラン』のような文章を書き進めているのですが、一九の文章を読んでいて脂汗が出てきます。なんというフピード感、ドライブ感、うまい。おしゃべりのようで、文章にムダがない。さすが日本初のプロです。
映画『真夜中の弥次さん喜多さん』には賛成できません(すみません、しりあがり寿作品の方はわかりません)。滑稽本東海道中膝栗毛』はおすすめです。あのグルーブ感(のり)はまねできません。