クリエーティブ・ビジネス塾32「EU離脱」(2016.7.25)塾長・大沢達男
「英国のEU離脱は、ヨーロッパの終わりの始まり」
1、キャメロン
<ゴチャゴチャ言うな!オレは売りなのか買いなのか?オークションにかければいい!>若い英国首相デビッド・キャメロンはこう、大見栄を切りました。売りとは、英国はEUを離脱すべき(LEAVE)。買いとは、キャメロンが主張する、EUに残留(REMAIN)。それを国民投票で決めようと提案したのです。
キャメロンの狙いは、EUとUKの関係を真剣に問うものではありませんした。何となれば、EU離脱なんてありえない。キャメロンの真の狙いは保守党内のリーダーシップを、自分のもとにすっきりと、まとめたかっただけです(「FT6/17」日経6/19)。
ところがそのオークションに法外な売値をふっかけて(あり得ない離脱)、キャメロンに挑戦してきたふたりがいました。ボリス・ジョンソン前ロンドン市長とマイケル・ゴープ司法相です。もちろんふたりともマジではありませんでした。法外な売値での落札(離脱)はあり得ない。党運営でふたりは、キャメロンに負けない影響力がある、ことを誇示したかっただけの話です。
そして、とんでもないことが、起こりました。6月23日の国民投票で、法外なオークションが落札されます(離脱決定!)。驚いたのはオークションを呼びかけた当の本人キャメロンだけではありませんでした。ジョンソンもコーブも青くなって逃げ出してしまったのです。こうして、ヨーロッパの終わりが始まりました。
2、EU
EU(European Union 欧州連合)は世界大戦の反省から生まれました。まず、1952年に旧西ドイツとフランスなどにより欧州石炭鉄鋼共同体(ECUC)が。つぎに1967年にEU の前身EC(欧州共同体)が結成、 1973年に英国が加盟します。そして1993年にEUが発足、1999年にEU単一通貨ユーロが誕生します。しかし英国はユーロに不参加、国境検問廃止のシュンゲン協定(1990年)にも参加していません。
EU離脱はバカげた提案です。まず英国は貿易総額の49%をEUとしています(米国11%、中国7%)。欧州の病人としてEUに加盟した英国は43年間、GDP(国内総生産)伸び率年平均1.8%(ドイツ1.7%、フランス1.4%、イタリア1.3%)の経済的繁栄を謳歌してきました(「FT6/16」日経6/19)。
つぎに移民。英国には年間30万人以上の移民がきます。離脱派は移民が雇用を奪っている、さらには移民を手厚い福祉の対象にすべきではない、と主張します。しかしどうでしょう。英国の医療制度を支えているのは、EU出身の医師や看護士です。逆に言うまでもなく、英国労働者にはEUという5億人のマーケットでビジネスチャンスを探すことができます。
さらに安全保障の問題があります。IS(イスラム国)、国際的犯罪組織ネットワーク、そして中東・アフリカからの移民、さらに気候変動。大きな問題はすべてEUとして対応しなければならない問題です。現実にロシアのウクライナ侵攻に制裁を科したのも、イランとの核交渉のきっかけを作ったのもEUです。平和の保証人として米国が機能してきたのも、まとまったEUがあったからです。離脱派は安全保障にノーアイディア、「支配階級を攻撃せよ」、意味不明のスローガンを掲げるだけです。
3、裏切り
そもそも英国のEU離脱は、国際社会への裏切りです。ロンドンオリンピックは2012年に開催されました。2005年IOC総会で英国が何と言って、招致のプレゼンテーションをしたか、覚えていますか。
<ロンドンオリンピックは、ロンドン東部のストラットフォードを再開発し、そこを中心に開催する。なんとなれば、そこにはアラブやアフリカからの経済的に貧しい移民がたくさん住んでいる。彼らに豊かさの光をあてたいからだ。そして、恵まれない子供たちに夢を与え、スポーツをする素晴らしさを。教えたいからだ。>
1980年代に活躍した中距離界のスーパースター、セバスチャン・コーの歴史に残る素晴らしいプレゼンテーションでした。ロンドンに破れたのは、パリ、マドリード、ニューヨーク、モスクワでした。なかでも最後まで開催地を争ったパリは、50vs54の僅差で破れました。
<EUは離脱だ!アラブやアフリカからの移民はいらねえ!>これって、オリンピック開催立候補地に対する裏切りではありませんか。国際社会への約束を破っていませんか。時計の針は戦後に戻ります。そしてヨーロッパが世界の指導者であった時代が終わります。中国、インド、アラブ、アフリカの時代がやってきます。1967年に英国のBBC放送がリーダーシップをとって世界を結び、世界初の衛星中継番組でビートルズが歌った『愛こそすべて』も、いまや空しい。英国ではペテンこそすべて、です。