クリエーティブ・ビジネス塾31「ブルックリン」(2016.7.18)塾長・大沢達男
「映画『ブルックリン』がいい。ファッションがとくに素晴らしい。」
1、映画
街の噂を頼りに見る映画を選びます。でも、このところの傑作映画はどれもこれも外れ。エキソントリックな話、見たくもないシーンの連続、頭を抱えていました。それに追い打ちをかけるように、ある会議に出席するために、今村昌平監督の『楢山節考』(1983)を見なくてはなりませんでした。カンヌ映画祭でパルムドール賞、世界のトップに選ばれた傑作です。しかし今村監督の映画は苦手。監督は見たくない映像、目を背けざるを得ないようなヴィジュアライゼーションを得意にしている。下手物、悪食、悪趣味。監督は猟奇や異常を一生懸命描きます。だけど、見たくないものは見たくない。現実だけで十分。だったらドキュメンタリーをやればいい。今村コンプレックスをこれで克服です。
そしてついにお気に入りの映画に出会うことができました。映画『ブルックリン』です。田舎から都会に出てきた女子の恋物語。田舎とはアイルランド、都会とはニューヨーク、50年代の話です。
まず船旅があります。今も同じです。初めて飛行機に乗った時と同じです。隣の同乗者、気分が悪くなる、トイレ・・・そして入国審査。誰もが共感できるドキドキのエピソードがあります。
つぎに女子だけの寄宿舎での生活。女子数人の夕食、噂話、テーブルマナー。勤務先での苦労。なまりの言葉、ままならぬ顧客サービス、上司(お局様)の指導。どれもこれも、おなじみの話です。
そしてラブ。初めてのダンスパーティー。できあがるカップル。取り残される「壁の花」。でも・・・遂に誘われる。足が震えるステップ。そしてデート。ダサイ田舎女子が、スマートにクールに変身していきます。・・・ところが田舎(アイルランド)の家族に突然の異変。ドラマが始まります。
2、50年代のファッション
映画のどこが素晴らしいか。ファッション、50年代のファッションです。今の時代のユニセックス、モノセックスのファッションなんて鼻クソ、「ジェンダー・フリー」なんて、糞クラエです。
スカート全盛時代。それもタイトではなく、フレヤースカートの時代。まず、ワンピースがあります。
主人公の田舎女子が着る黄色のワンピース。ゆったりとし胸元、そして大きく広がるフレヤースカート。何と大胆で自由でしょうか。清楚な女子です。いや、可愛らしい雌(めす)がいます。もうひとつのワンピースは白地にピンクのスとライブです。素肌を見せる大きなV字、トップはややタイトに仕上げてあり、こちらも緩やかに大きくプリーツが広がっています。成人女子。雄(オス)を誘う雌(メス)の着飾りです。
次は数々のプラウスにロングのプリーツスカート。それにカーディガンです。映画のポスターには花柄模様のフレヤースカートに白のブラウス、ブルーグリーンのカーディガンを着た主人公がいます。多分花柄はアイルランドを象徴しているのでしょう(他のファッションが素敵なので、キービジュアルのこちらはあまり賛成できません)。女子のカジュアルウエアは、ブラウスとカーディガンが定番。純潔、貞淑の証(あかし)です。
そしてそして、映画にはさまざまなウールのコートをまとった人たちが登場します。厚手の生地を使いゆったりと仕立てた豊かなコート、今ではダウンジャケットにその座を奪われ、すっかり見かけなくなりました。色合い、風合い、この冬は是非と思わせるようなものばかりです。あの日に帰りたい、この時代がいつまでも続いてくれたら、映画のなかにいつまでもいたい。映画はファッションで誘惑します。
3、プルックリン
主人公の女子はアイルランドの田舎からニューヨークのブルクッリンにやってきました。デパートに勤め、簿記学校に通います。ブルックリンは移民の街です(アメリカはどこでもそうですが)。アイルランド人はいい仕事に就けなかった。消防士、警察官、危険な仕事が多かった。アイリッシュなまりってどんなでしょうか。映画でもはっきり、言葉が違うって解りますが、アメリカの東北弁のようなものなのでしょうか。だったら大変だね。とはいえ、35代米国大統領のジョン・F・ケネディはアイリッシュ系です。
Tシャツやトレーナーに「ブルックリン」の文字を最近見かけませんか。ブルックリンはいまが旬です。なぜか。ソーホーにいたアーティストたちが、家賃の値上がりのために、ブルックリンに移り住んできたからです。
ニューヨークに行ったら、マンハッタンだけではだめ。ブルックリンに行くべきです。ここ数年、ニューヨークには数年行っていません。だから新しい交通機関、ニューヨーク版白タク(ただし、リーガル=合法的)「ウーバー」の乗り方も知りません。ぜひブルックリンの新しい風に吹かれてみたい。映画のようなワンピを着た女子に出会いたい、恋に落ちたい。