激烈スニーカー戦線、またアディダスの時代がやってくる。

クリエーティブ・ビジネス塾33「アディダス」(2016.8.1)塾長・大沢達男

「激烈スニーカー戦線、またアディダスの時代がやってくる」

1、ABCマート
ひょんなことから、ふたりの女性と話す機会がありました。カジュアルのきちっとした身なり、ややロング、ブロンド系に染めた髪を後ろでまとめ、「OL」ではないビジネスパースンのふたりは、スニーカーのABCマートに勤めていました。
「ABCってハワイが本社ですか」、と間抜けな僕の質問。
「あれは『ABCストア』でコンビニ。関係ありません」と若い女性。
「どうして、ニューバランスだけが売れているんですか」、とつぎの質問。
ニューバランスの時代は、終わりつつあります。またアディダスの時代になります」、とふたりのうちの上司の答え。ふたりの答えは、驚くほどのニュースに溢れていました。
ABCマートの本社オフィスは渋谷マークシティ・ウエスト・19Fにあります。同じビルには、インターネット広告のサイバーエージェントが、そして歩いて5分の渋谷ヒカリエにはケータイのサイトを運営するディー・エヌ・エーがあります。ABCマートが押しも押されぬ大企業でした(申し訳ありません。単なる安売りやの認識しか持っていませんでした)。創業者は三木正浩。1985年に(株)国際貿易としてスタート、1997年に(株)エービーシー・マートに。国内786店舗、海外191店舗。1991年、VANSの独占販売権、1995年にHAWKINSの商標権、さらにニューバランスとの商品開発、2013年ABCシューズファクトリーを建設しています。恐るべきは三木正浩氏、米経済誌ファーブスの長者番付で、日本の9位にランクインしています(1位柳井正、2位孫正義)。
2、スニーカー戦線
○ナイキ。1968年設立。米国オレゴン州でフィリップ・H・ナイトがオニツカ・タイガーの米国販売開始したのがその始まり。71年に制作されたナイキのマーク「Swoosh=スウォッシュ」は、キャロライン・デビッドソンの作品。ギャラはたったの35ドルだった(後にキャロラインはナイキの株式を譲渡されている)。95年発売のエアマックス95は爆発的ヒット。履いている人が脱がされ、奪われる<エア・マックス狩り>事件が頻発した。ナイキの名は社会的現象になり、不滅になる。
アディダス1920年のダスラー兄弟商会が前身。弟アドルフ・ダスラーが49年にアディダスを設立。兄ルドルフ・ダスラーはその後、プーマを設立する。70年アドルフの息子ホルストがオリンピック、ワールドカップ(公式球はアディダスが独占)に強い影響力を持つようになる。
ニューバランス1906年米国マサチューセッツ州ボストンにウイリアム・J・ライリーが創業。中国、ベトナムではなく、米・欧に生産拠点、ゆえに高価格になる。
コンバース。1908年米国マサチューセッツ州にマーキス・M・コンバースが創業。17年バスケットシューズキャンパスオールスター発売。2003年ナイキに買収される。
リーボック。1900年英国でJ・W・フォスター社として創業。58年リーボック社に。82年エアロビクスシューズ「フリースタイル」がヒット。2005年アディダス傘下。
○ミズノ。1906年大阪で水野兄弟商会。23年美津濃運動用品(株)、87年美津濃からミズノへ。
○アシックス。1949年鬼塚喜八郎が神戸に鬼塚株式会社。ONITUKA TIGAER 虎のマーク。53年マラソンシューズ発売。77年(株)アシックス。2002年オニツカタイガー復活。
3、スタンスミス
アディダスの新戦略は、ロボットが靴を生産する「スピードファクトリー」。まず、人件費の高いドイツでも24時間、生産可能になります。靴生産の歴史は、人件費の安い国を求めて、韓国、中国、ベトナムと転々とするものでした。つぎに、消費地で生産する「地産地消」が実現すれば、輸送と在庫のコストがなくなります。納期を短縮しムダのない少量生産ができます。そして、ロボットのつぎは3Dプリンターによる靴生産です。大規模工場は消えます。だれでも靴を作れます。アディダスはソフトを売る、さらには、スマホを使った健康管理産業にビジネスモデルを転換します(日経7/5)。
アディダス・スタンスミスは1974年発売。アディダス史上最も売れたスニーカーです。2014年に復刻復活し、またブームになっています。ルイ・ヴィトンのデザイナー、マーク・ジェイコブズが愛用していることで伝説になりました。誰が履いているか。もちろん女子!女性の時代の定番です。