誰もが知っているルノアールは、誰にも理解されていない。

クリエーティブ・ビジネス塾36「ルノアール」(2016.8.22)塾長・大沢達男

「誰もが知っているルノアールは、誰にも理解されていない」

1、不幸
ピエール=オーギュスト・ルノアール(1841~1919)は不幸な画家でした。
この100年間絶大的な人気を誇りながら、その画業が、だれにも理解されていません。観客から拍手を浴びるほど画家は孤独になっていく。矛盾です。そもそも芸術は矛盾です。俺は絵がうまい。誰も描いたことがない絵を描く。だから誰も俺を理解できない。
ルノアールは日本の小説家、谷崎潤一郎の場合に似ています。谷崎は快楽だけを求めて小説を書きました。ドラッグの中毒患者のように、より強い快楽を求め、誰も知らないような血みどろの刺激の世界をさまよい続け、作品を生み出しました。『秘密』から『瘋癲老人日記』まで、谷崎はゲイからロリコンに自分の快楽を進化させています。
ルノアールも同じです。『猫と少年』から『浴女たち』までゲイから始まりロリコンで筆を収めています。人気作家として評価されいる谷崎の『細雪』、ルノアールの『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』は、顧客に注文に応じて(媚びて)制作した、商売でしかありません。芸術とはいえ商売ですが・・・。
2、テクニシャン
ルノアールは、デッサンの天才で、色彩の魔術師で、さまざまジャンルの絵画を描きました。
ルノアールは数多くのデッサンを残しています。たとえば『都会のダンス』(1882~1883、黒色鉛筆、コンテ?)デッサンを見て、あなたは何を思うでしょうか。男に抱かれた女の表情は哀愁に満ちている。慎ましさのなかの背徳、黒く塗りつぶされバックで、その表情は強調されている。対して男と女の下半身はたった一本の線でダイナミックに大胆に描かれている。天才だけが描ける線。ルノアールの最高傑作をたった1つといわれ、この一作のデッサンをあげることは、無謀な試みではありません。
色彩の魔術師。それを証明するためには『ジョルジュ・アルトマン夫人』を取り上げます。実はこの絵に色彩はない。すべての色彩を含む、黒だけで描かれています。まず、モデルの夫人は世紀末のパリモードである、後ろ腰を大きく膨らませたシルエットの黒のドレスを着ています。それをルノアールは黒一色で生き生きと描いています。そしてドレスには黒絹サテンが使われ、フルリには黒曜石、その質感の違いを、ルノワールは見事に描き分けています(深井晃子 日経7/18)。さらに、背景には黒のグランドピアノ。黒光りの楽器に何かが映り込んでいます。ルノアールを黒にすべての色彩の役割を演じさせています。
ルノアールは自身を人物画家といいましたが、あらゆるジャンルの作品を残しています。風景、静物、花、そして人物もヌードも。この多彩は意外です。たとえばピカソが残したのは、ほとんど人物画です。ルノアールはあらゆる注文に抜群のテクニックで応える、商売人でした。
3、快楽の果て
ルノアールは、『猫と少年』で絵を描き始め、『浴女たち』で絵を描き終えています。
まず、『猫と少年』(1868)では、青白い少年の後ろ姿のヌードを描きました、妖しいエロティシズム、27歳のルノアールはゲイでした。快楽の果てに自分が心から愛した少年を描きました。25歳の小説家谷崎潤一郎が、小説『秘密』で夜になると女装をして街に出掛け、禁断の愛を貪ろうとしたように。
そして、前述の『都会のダンス』のモデルはシュザンヌ・ヴァラドンロートレックドガも愛したモデルです。
シュザンヌはこの作品が完成した年に、父親が分からない子供「ユトリロ」を出産しています。父の名は永遠のナゾ。しかしルノアールは描きながら愛しました。画家仲間のアイドルモデル、シュザンヌ・ヴァラドンを描き切るまで愛し切りました。ちょうど谷崎潤一郎が自分の妻を友人の作家、佐藤春夫に譲渡したように。
さらに、『浴女たち』(1918-1919)では、主役のモデルとして、ガブリエル・ルナール(1878-1959)を描いています。次男のジャンが誕生した1894年、16歳のときに、ルノアール家にやってきた家政婦です。ルノアールは37歳年下のガブリエルを愛しました。以後20年以上、ガブリエルの裸体の虜(とりこ)になり、描き続けました。77歳の谷崎潤一郎が、『瘋癲老人日記』で嫁の若い肉体を偏愛したように。
ルノアールは幸せな人生を送りました。青年の日々に若く痩せた少年を愛し、不惑の年に仲間のアイドルをゲットし、老いてからは若い乙女の肉体を貪りつくし、そして快楽の果てに亡くなりました。でも画家ルノワールの真実を、誰も理解していません。
ルノアール展」(国立新美術館2016.4.27~8.22)は、田舎者でごったがえす観光地のようでした。