『コンビニ人間』は、コンビニを甘く見ている。

クリエーティブ・ビジネス塾37「コンビニ人間」(2016.8.29)塾長・大沢達男

「『コンビニ人間』は、コンビニを甘く見ている」

1、芥川賞
第155回芥川賞に『コンビニ人間』(村田沙耶香文芸春秋」2016.9)が選ばれました。
小説の主人公は、大学1年のときにコンビニでアルバイトを始めて36歳、18年間コンビニ一筋に生きてきた女性です。
「小説のおもしろさのすべてが、ぎゅっと凝縮されて詰まっている」(山田詠美)。「傑作と呼んでよい」(奥泉光)。「上質のユーモアがあり、作者の客観性が備わっている」(村上龍)。「おそろしくて、可笑しくて、可愛くて、大胆で、緻密。圧倒的でした」(川上弘美)。
本当にそうでしょうか。コンビニをテーマにしたのはいい。確かに新しい。しかし作者はコンビニを馬鹿にしています。その一点が気に入りません。主人公は18歳でコンビニのアルバイトを始めた時に感激します。「私は、初めて、世界の部品になることができたのだった。私は、今、自分が生まれたと思った。世界の正常な部品としての私が、確かに誕生したのだった」(前掲 p.416)。そして30歳をはるかに越えた今、コンビニで働く心地よさをこう表現します。「コンビニに居続けるには『店員』になるしかないですね。それは簡単なことです。制服を着てマニュアル通りに振る舞うこと」(p.450)。
つまり、現実世界では異邦人でしかない主人公が、マニュアル化されたコンビニ世界で自らの人生を全うできる。これが小説のテーマです。作者は18年のキャリアがありながら、コンビニを見くびっています。
2、鈴木敏文
コンビニの生みの親は鈴木敏文(1932~)です。鈴木なくして、日本のコンビニを語れません、
鈴木伝説その1。「おいしさへのこだわり」
あるときセブンイレブンで売っているチャーハンを、鈴木が試食して怒ります。まずい!ダメだ!部下が反論します。いまこれがいちばん売れています!鈴木はまたまた怒ります。売れているからいいとは限らない、セブンイレブンがこんなものを売ってはならない。高熱で調理する鍋の見直しからチャーハンづくりが始まります。おにぎりも同じ。鈴木は従来の製法を根本的に見直し、「こだわり」に変えさせています。
鈴木伝説その2。「ものまねはしない」
セブンイレブンは専用工場と配送センターの効率使用のために、地域に集中して出店します(ドミナント戦略)。おにぎり、お弁当、お惣菜は、1日3回生産、3回納品体勢で92%が自社製品です。他社はせいぜい30%程度です。さらに全国の店舗管理責任者は定期的に東京本部に集まり、情報交換をしています。
鈴木伝説その3。「わがままな独裁」
鈴木は会議の席の決断で、賛成されたら実行しない、反対されたら実行する原則を貫きました。そもそも1974年のセブンイレブンのスタートがそうでした。大型スーパーの時代に、小さなコンビニは、非常識でした。2001年創業の「セブン銀行」もそうでした。銀行業務の素人がやってもうまくいくはずがない。
鈴木はいつも革命家で、コンビニはいつも新しい時代を切り開いてきました。コンビニだけは「失われ20年」の間も成長を続けてきました。
3、商人
接客用語の唱和があります。「いらっしゃいませ!」「かしこまりました!」「ありがとうございました!」(p.421)
これがマニュアルになり、こころからのおもてなしの心が失われてしまったら、そのサービス業は終わっています。かつてのJALです。日本航空のフライトアテンダントは、日本人へのマナーの指導係と勘違いしていました。彼らの「お客様!」は、「おい!そこの馬鹿!なにしているんだよ!」と同じで、いつも高飛車になにかを客に命令していました。最近のファミレス用語も同じです。「お客様のご注文を繰り返させていただきます」、「注文は・・・・で、よろしかったでしょうか」。おいおい、しっかりアイコンタクトしてものを言ってくれ。
コンビニ人間』の作者は、18年間のコンビニ経験があります。だからこんな記述もあります。「コンビニはお客様にとって、ただ事務的に必要なものを買う場所ではなく、好きなものを発見する楽しさや喜びのある場所でなくてはいけない」(p.480)。でもこの言葉は流れています。小説家、インテリ、知識人はコンビニで働く人間を「マニュアル人間」、「部品」と見下しています。商人をバカにしています。真の人間的な力なくしてはコンビニも商売も成り立ちません。鈴木敏文はそれをやってきました。
日本はいまも、士農工「商」。末は博士か大臣か。サムライ(官僚)が上で、商人を下に見ています。