新聞広告の終わり。つまり新聞のメディアとしての終焉。

クリエーティブ・ビジネス塾2「元旦の広告」(2018.1.8)塾長・大沢達男

新聞広告の終わり。つまり新聞のメディアとしての終焉。

1、旭化成積水ハウスダイワハウス
2018年元旦の新聞広告のナンバーワンに「旭化成ホームズ」の全ページ広告を選びました。
キャッチコピーは「世界で100年、日本で50年。」。ヘーベルハウスの広告、毎日新聞に掲載されました。
まずデザインが目を引きます。全体がオレンジ色。左上に日の丸のような真っ黒な円がよぎっています。左下にはヘーベルの四角が、そこにオーバーラップして外国人の顔が、ヘーベルウォールを作ったヨゼフ・ヘーベルです。ゴツゴツしたグラフィックなレイアウトは、明らかに建築・家具のモダンデザインのパイオニアになった、バウハウスをしのばせるものです。
ALCコンクリートは約100年前にスウェーデンで生まれ、断熱性と耐久性で極寒の地の人々を支えました。
そして戦後のドイツでヨゼフ・ヘーベルALCコンクリートのパネル化に成功し、「ヘーベルウォール」として、瓦礫と化した街の復興に貢献をします。旭化成は50年前にヘーベルウォールに出会います。以来、住まいを通じて日本人の人生を支え、不意の災害にも揺るがない日本の住まいを、つくりつづけています。
つぎは「積水ハウス」。植栽に囲まれた石畳の庭に日本犬がこちらを見ています。キャッチコピーは「正の月に 実の家で」 コピーの中程で、「家に帰るは 家族に還る」とあります。そして「家に帰れば、積水ハウス。」と結ばれています。この言葉は美しい、CMソングもいい。しかしこの広告に好感を持てません。
もうひとつは「Daiwa House」です。全ページに赤が敷かれ広告キャラクターの役所広司さんが口ひげの背広姿のアップがあります。「すべては、人、街、暮らしのために。」。コピーには、AI、IoT、住宅革命、街の活性化、グローバル市場・・・勇ましい言葉が羅列されていますが、空疎です。
2、講談社パナソニック、西武そごう。
元旦にいちばん目立った広告は、「がんばれ、山中先生!」です。新聞の全ページに眼鏡をかけた山中伸弥教授(京都大学iPS細胞研究所長)のアップがあります。広告主は講談社です。
コピーを読んでみると、アメリカの研究費は日本の十倍。だけど山中先生は挑戦している。講談社は挑戦を応援します。・・・バカにしてませんか。講談社が巨額の研究費を拠出したと言うのなら分かりますが。
つぎはパナソニック松下幸之助の文章を引用した広告です。キャッチコピーは「日に新た」。文章はいいです。「ことしは去年のままであってはならないということ、きょうは昨日のままであってはならないということ、そして明日はきょうのままであってはならないということである」。下半部の紙面には1918年から2017年までの様々な商品写真と開発シーンの写真が並べられています。そして締めのコピーが「おかげさまで今年、パナソニックは創業100周年」と結ばれています。
写真は小さくてみにくい。ごちゃごちゃしたグレーのスペースにしか見えない。疑問は、パナソニックは松下から脱皮した、のではないかということです。なのになぜ松下幸之助の文章を引用するのでしょうか。
最後は西武・そごうです。お久しぶり、木村拓哉さんがバストショットで全ページに登場します。
キャッチコピーが「正解はない。『私』があるだけ。」ボディコピーを全文引用します。「誰にも似ていない人生は、大変だ。まわりはいつでも、口を挟みたがる。『こうあるべき』から逸脱した瞬間に、ナイフのような鋭さで、言葉が、視線が、一斉に攻めてくる。でも、それに屈していたら、新しいものは、生まれにくくなる。予定調和と正論が、今日を息苦しくする。正解が一つしかない世の中は退屈だ。新しい『私』を始めるのは、いつだって、わたししかいない。その時、西武・そごうは、あなたの勇気になってみせる。わたしは、私。西武・そごう」名文です。生涯一度でいいから、こんなコピーを書いてみたいものです。
しかし、実際の木村拓哉さんはどうだったのでしょうか。友を裏切り、保守的にジャニーズ事務所に残りました。ジャニーさんに「仁義」を通し、ジャニーさんの「恩義」に報いたのではないでしょうか。
あたらしい「私」を始めるわたしを嫌いました。そこにはコミュニティに帰依する自分があります。それこそが新しい自分ではないでしょうか。西武・そごうの広告は新しそうで古くさい思想が支配しています。
3、元旦広告の終わり
数年前まで元旦広告は、各社の広告競争でした。クリエーターの才能比べ、コンペティションでした。
話題のトップはいつも資生堂伊勢丹。そして、ソニー、日立、東芝のエロクトロニクスと電器。さらに、トヨタ、本田、三菱の自動車。今年、元旦広告の常連企業がすべて、消えました。つまり有能なクリエーターも晴れがましい広告の表舞台から消えました。レベルは下がります。新聞広告の時代は終わりました。