クリエーティブ・ビジネス塾3「エルビス②」(2018.1.15)塾長・大沢達男
「ロックロール」じゃない、エルビスは「ゴスペルシンガー」だ。
1、"Crying In The Chapel"(涙のチャベル)
♫チャペルで泣いている ぼくを見たね/ぼくの涙は 歓びの涙さ/満たされることを ぼくは知った/いまは幸せ 神とともにいる/質素でつつましい チャペルだけれど/貧しいみんなが 祈りに来るんだ/祈りを捧げ 強くなるんだ/一日一日を 大切に生きるように(中略)きみは捜し 捜し求めるだろう/だけど君は 見つけられない/この世のどこにも やすらぎはない/悩みがあるなら チャベルにおいで/ひざまづいて 祈ってごらん/そうすれば 君の悩みは消えていく/そして君は 君の生き方を見つける♫(アオヤマゴロウ訳)
エルビス・プレスリーは、「キング・オブ・ロックンロール(ロックンロールの王様)」と呼ばれました。
ロックンロールとは何でしょうか。「黒人のリズムアンドブルースと白人のカントリーウエスタンの融合から生まれたアメリカのポピュラー音楽。叫ぶような黒人的唄法、アフタービートによる明快なリズムを特色とし、1950年代から世界的に流行。」(広辞苑)。
事実、エルビスの歌は、黒人が歌っていると間違えられ、エルビスは「黒人のように歌う白人」と言われました。広辞苑のロックンロールの定義につけ加えることがあります。エルビスは、黒人と白人の音楽の融合だけでなく、もうひとつ教会音楽(賛美歌、ゴスペル=黒人霊歌、Negro Spiritual)を融合しています。エルビスの音楽はリズムアンドブルース、カントリーウエスタン、ゴスペルから生まれています。
"Crying In The Chapel"(涙のチャペル)は、エルビスの絶頂期1960年に録音され、65年4月にリリースされ、65年6月ビルボードチャートで全米3位にまでになった変わり種のエルビスが歌ったゴスペルのヒットソングです(全英ではナンバーワン)。
2、ママ
エルビスは1935年1月8日に双子の弟して生まれます。兄は生まれてすぐに亡くなります。兄が生まれて35分後にエルビスが生まれます。兄の代わりに自分が死ぬべきであった。エルビスは生まれながらにして人生の不条理を理解していました。エルビスのママはファースト・アッセブリー・オブ・ゴッド・チャーチの教会(根本主義に近いペンテコスタル派)に通う熱心なキリスト教徒でした。
エルビスは生まれて10日後に教会に行っています。2歳のときにはママに膝から抜け出し通路に立ち、聖歌隊に近づき身体を揺すり声を合わせました。9歳で洗礼を受けています。
ママの名前はグラディス・ラブ・プレスリー。ママの父(祖父)は小作人、密造酒作り。ママのママ(祖母)も小作人でユダヤ系の移民、曾祖母は純血のチェロキーインディアン。
パパの名前はヴァーノン・エルビス・プレスリー。パパの父(祖父)の仕事は大工、密造酒作り。曾祖父の名前は分からない。ヴァーノン17歳、グラディス23歳のときにふたりは出会い。22歳と19歳と年齢を偽り結婚、2年後にエルビスが生まれています。
とんでもない両親です。それに追い打ちをかけるように、エルビスが3歳のときに父のヴァーノンは、小切手偽造事件で刑務所にぶち込まれます。1年4ヶ月、エルビスはママとふたりだけの不安な日々を送ります。音楽だけが安らぎで絆の母と息子でした。まずママは教会だけでなく、宗教的なイベント「キャンプ・ミーティング」に出掛けました。1万人以上の人が集まり、説教と聖歌が続く1週間の熱狂的な催し物でした。
つぎにママは踊りを愛しました。腰を振り、髪を振り乱し、脚を震わせる、官能的で猥雑な踊り「バックダンス」の名手でした。エルビスのステージアクションは、ママから受け継がれた宗教的なトランス(恍惚状態)や扇情的な踊りだったのです。
そしてママには78回転のゴズペル・グループのレコードコレクションがありました。ラジオも当時の大きな娯楽でした。エルビスはレコードでゴスペルを聞き、ラジオでナッシュビルから送られてくるヒルビリー・ミュージックを聞いて育ちました。
3、"Blue Christmas"(淋しいクリスマス)
♫きっと君がいない/淋しいクリスマスのなる/ぼくは淋しい/ただ君を思っている/赤い飾りは/緑のクリスマスツリーに/いっしょにいたいよ/だけど君はいない/そして淋しい/雪が降り始めたよ/それは淋しい/思い出を呼び覚ます/君は幸せなんだろう/雪化粧のクリスマスツリーで/ぼくは淋しい淋しい/淋しい淋しいクリスマス( アオヤマゴロウ訳 オリジナルは1948年のアーネスト・タップのカントリー・ミュージック。エルビスの1957年録音で不滅のナンバーに)